金閣寺。
三島由紀夫の書いた「金閣寺」と出会ったのは、私が高校生の時です。
この作品に触れた時、まるで火傷をしてしまったような感覚でした。
若い学僧が金閣寺を放火するに至るプロセスを書いたものですが、強烈な自己否定とパラノイアじみた葛藤が三島氏の完璧な文体で完成されています。
昭和25年7月1日に「国宝・金閣寺焼失」の報道が世間を騒がせました。金閣を焼いた青年の自供によると、「動機は美に対する反感にあった」とのこと。
三島氏はこの青年を「どもりに生まれついた宿命の、生への消し難い呪いを持った」学僧として描いています。
青春時代にこの「金閣寺」と出会ったことで、私は内面にくすぶるものを暴発させずに済みました。私にも確実に存在するコンプレックスは、他の誰もが何かしら抱える問題なのだということが分かったのです。
放火事件を犯した単なる変質者も、実は孤独な人間が抱えるいやらしさや滑稽さであって、他人事ではないのです。
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