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2006年3月30日 (木)

金閣寺。

三島由紀夫の書いた「金閣寺」と出会ったのは、私が高校生の時です。
この作品に触れた時、まるで火傷をしてしまったような感覚でした。
若い学僧が金閣寺を放火するに至るプロセスを書いたものですが、強烈な自己否定とパラノイアじみた葛藤が三島氏の完璧な文体で完成されています。
昭和25年7月1日に「国宝・金閣寺焼失」の報道が世間を騒がせました。金閣を焼いた青年の自供によると、「動機は美に対する反感にあった」とのこと。
三島氏はこの青年を「どもりに生まれついた宿命の、生への消し難い呪いを持った」学僧として描いています。
青春時代にこの「金閣寺」と出会ったことで、私は内面にくすぶるものを暴発させずに済みました。私にも確実に存在するコンプレックスは、他の誰もが何かしら抱える問題なのだということが分かったのです。

放火事件を犯した単なる変質者も、実は孤独な人間が抱えるいやらしさや滑稽さであって、他人事ではないのです。

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2006年3月29日 (水)

花冷え。

ポカポカ陽気の日が続いていたので、もう灯油の買い置きは必要ないだろうと思い、ストーブも片付けてしまったらこの寒さ・・・
近くの神社では八分咲きの桜が近隣の住人たちを楽しませてくれます。
その桜がこの寒さにまるで凍えるように震えていました。
その桜並木を、コートの襟を立てて通り過ぎるのです。そうするとなぜかとてもロマンチックな気分に浸れます。その時だけドラマのヒロインになったような感覚でしょうか。
「季節は春なのに、私の心は木枯らしが吹いている・・・」
そんなセリフをあれこれ想像しながら歩いていると、桜が私の心を見透かしているみたいに寒さにゆらゆらと揺れているのです。

でもその反面、すぐに我にかえって、
「早く家に帰ってこたつに入ろう。」
と思う現実的な自分もあります。

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2006年3月26日 (日)

雨ニモマケズ・・・

今月で町内会の役員をやっと終えられます。
一年間、我ながらよく頑張ったと思うのです。
と言うのも、我が家に男手はなく、たいていのご家庭はご主人が役員を引き受けるものなのです。なので月に一度の会合に出席しても9割が男性の顔ぶれ、女性は皆無に等しかったのです。
昨年の三月、男手もなく日中は仕事をしている都合で私には引き受けられないと、一たん断ったものの、
「仕事は理由になりません。ここに住んでいる以上、順番だから引き受けてもらわねば困ります。」
と、半ば強制的に任せられました。
私は泣く泣く引き受けることとなりました。
月に一度の会合、月に二回、広報の配布(各世帯にポステイング)、訃報の伝達、葬儀の取り仕切り、盆供回り、防災訓練での炊き出し、町内会費の集金、忘年会、新年会等等・・・
それはもう口では表現できないほどの多忙な日々でした。それもこれも会計報告の承認を得て、来年度への引継ぎを終えたらもうお役ご免だ、と思っていたのもつかの間、またもや別の役員が回って来てしまったのです。
親が残してくれた一軒家に住むことで、家賃などを払わなくても済む反面、この土地に定住すると見なされることでそれなりの面倒な苦労も付きまといます。
「うちは転勤族なので。」と役員を断る世帯がうらやましいです。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
もう一年間、とにかく自分でできる範囲で頑張ってみようと思います。

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2006年3月24日 (金)

不安神経症。

友人のK美さんのお父さんは買い物が大好きなのです。
塩、砂糖、しょうゆなどの調味料はもちろん、洗剤やトイレットペーパーなどの消耗品をたくさん買いだめしておくとのこと。
「買いすぎで置く場所がないの。良かったら送るよ。」
K美さんはホトホト困り果ててお父さんのいない隙を見て、ダンボール箱に詰められるだけ詰め込んで、私宛にクロネコで送ってくれるのです。
「もう廊下もトイレットペーパーの山積みで歩くに歩けないの。」
そんなにスゴイことになっているのかとこちらも心配になってしまいます。
K美さんのお父さんは敏感な人なので少しでも量が減っていると不安になるらしく、急いで買い足してしまうとのこと。なので、私に少しぐらい物資を供給したところで全く状況は変わらないようです。
K美さんのお父さんは、どんなものでも予備を買い置きするのがクセのようで、それが度を越してしまっているため家族から「やれやれ」というため息がもれてしまうのです。
けれど、そのおすそ分けを頂いている私にとっては、K美さんのお父さんは差し当たりマザー・テレサのような存在なのです。

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2006年3月21日 (火)

告知

父の一周忌の法要を済ませたのを機に、母とともに遠州へと引っ越して来ました。母の実家とは目と鼻の先だったこともあり、住まいを移したことを本人はことのほか喜んでいました。
けれどそれから間もなく、母は体の不調を訴えました。近くの総合病院で検査をしてみたところ、即入院とのこと。主治医が何やら大事な話があるからと言われ、不安を覚えながらカンファレンスルームに入りました。そこには主治医と看護士が一人同席しました。
病院特有の淀んだ空気の臭いを嗅ぎながら、「一体何の話だろう?」と予測もつかないままぼうっとしていると、不意に先生が口を開きました。
「さて、お母さんの病状ですが、率直に申しますとあまり芳しくありません。」
その声は重くて、苦渋に満ちたものでしたが、でも冷静でした。
「手術をしたところで改善の余地はなく、おそらくこのまま見送ることになると思います。余命あと1年・・・いや半年というところでしょうか。」
母は末期ガンで、すでに手の施しようがなかったのです。
緊張で鳥肌が立ちました。地震でもないのに体がゆらゆらしているような感覚でした。耳の奥の方でキーンという実際には聞こえるはずのない音が聞こえて来て、その耳鳴りがいつまでも私を悩ませました。
「告知しますか?」
そう聞かれた時、私は思わず、
「いいえ、黙っていて下さい。お手数ですが、お願いします。」
と答えていました。
果たして告知しないことが正しかったのかどうかは分かりません。自分への言い訳になってしまうかもしれませんが、当時70歳だった母に真実を伝え、その明るさ朗らかさを奪ってしまう勇気がなかったのです。筋道立てて事実を知らせ、死と向き合う強さを要求することができなかったのです。

3月22日午後20時20分、母は逝きました。
あれから丸7年が経ってしまいました。

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2006年3月19日 (日)

お彼岸。

両親の眠るお寺があるのは伊豆の方なので、そう易々とはお墓参りにも出かけられないのです。
その代わりにできることと言ったら、仏壇のお掃除と、お花を飾ること、それに両親の好物だったあんこのたっぷり詰まったお饅頭をお供えすることぐらいです。
我が家のロッカータイプの小さな仏壇に両親のお位牌を安置するのは、とても心苦しいのです。口数の少なかった父はともかく、思ったことを遠慮なしに口にする母はバリバリの遠州弁で、「狭いや~」とボヤいていそうです。
私にもう少し甲斐性があったら・・・
そのうちきっと、今より一回りほど大きなサイズの仏壇を購入しますので、それまでもうしばらくご辛抱下さい。

「暑さ寒さも彼岸まで。」
お彼岸が明けたら、すっかり春ですね。

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2006年3月18日 (土)

気分転換。

今週はとにかく疲れました。
生活がかかっているので、フルタイムで働くことに抵抗はありませんが、様々なタイプの人間を相手にする窓口業務というのは、かなりストレスのたまる職場だと思います。(きっと他の職種も同様ですね。)
むやみやたらに怒鳴られることもしばしばあります。決して自分は悪くないと思っていても、言葉上は、
「申し訳ございません。大変失礼致しました。」と、米搗きバッタのように頭を下げるのです。
「順番に受付させて頂きますので、もうしばらくお待ち下さい。」などと丁重に言ったところで相手はイライラのピークを迎えているので、
「ふざけるなっ!いつまで待たせやがるんだっ!?」と、けんもほろろ。
対応する側はもう疲労困憊です。

今朝は遅い目覚めとともに遅い朝食。お休みの朝はのんびりゆったりとした気持ちになります。
あいにくの雨降りにもかかわらず、美容室へシャンプー&カットしに出かけて来ました。
サービスで頭皮のマッサージをしてもらえるのがとてもありがたいです。
春らしく、軽やかなヘアスタイルに変身して(?)、月曜日からの仕事もどうにか頑張れそうです。
私なりの気分転換なのです。

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2006年3月17日 (金)

ホームレス

近所に広くてきちんと整備された公園があります。天気の良い日曜日、祝祭日ともなればたくさんの家族連れでごったがえします。
長い滑り台をキャッキャッと子猿のような声を上げて、次から次へと子供たちが滑り降りて来ます。芝生の上ではバドミントンをやったり、キャッチボールをしたり、愛犬と戯れたりする姿も見受けられます。
そこは明るく活気に満ち溢れているのです。
宵の口、公園はガランとして、いつのまにか外灯が公園内の歩道を照らします。ベンチには寄り添う若い男女が、怪しげな雰囲気を漂わせているのです。
そんな中、ダンボールに囲まれた一角があります。日中は気づかなかったダークサイド。年配の男性二人と女性一人の共同生活。時折、低い話し声が聞こえて来たり、たまにはうめき声も洩れたりします。けれど、誰もそこには近づかないし、気にも留めません。

同じ公園の昼間の顔と夜の顔。
光と影なのです・・・

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2006年3月14日 (火)

フィッツジェラルド

フィッツジェラルドはアメリカの小説家で、代表作には「グレート・ギャツビー」等があります。ヘミングウェイと同時代の作家ですが、その影に隠れてしまったのかフィッツジェラルドはヘミングウェイほどの知名度はありません。

「アーネスト(ヘミングウェイのこと)は牡牛で、ボクは蝶だ。蝶は美しい。しかし牡牛は存在する。」

と、フィッツジェラルドはヘミングウェイと自分とを比較しています。
私は中学校時代の恩師の力を借りて、「グレート・ギャツビー」の翻訳を試みました。2年近くかけて勉強したにもかかわらず、英語を日本語に直すというのはそれほど単純な作業ではなく、結果は惨憺たるものでした。
英文学科卒という肩書きがいかに当てにならないかを身を持って実感しました。
高校で教わったリーダーの授業が無意味なものだとは思っていません。
ただ、いかに自分が要領の悪い勉強をしていたかが今さらながら残念でなりません。
印象に残るのは、「グレート・ギャツビー」の最後の一文です。恩師T先生の名訳をここに引用させて頂きます。

「こうしてボクたちは絶えず過去に未練を感じながらも、流れに逆らう小舟のように未来に向かって突き進んでゆくのだ。」

そうなんです。「後悔のない過去」なんて、ありえないのです。
世間という荒波にもまれて、それでも私たちは生きてゆかねばならないのです。

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2006年3月13日 (月)

長電話。

私は時折、K美さん宅へ電話をします。けれどK美さんは付き合いが多いので不在の時もよくあります。K美さんのケータイにかけるほど緊急の用事ではないので、自宅にいない時はまた次の機会にかけ直すのです。
K美さん不在時に必ず電話に出るのはお父さんです。したたかに酔っておられるのか、ろれつが回っていないこともあります。
「お宅は職場の知り合いか何かですか?」と聞かれたので、
「いいえ、高校の同級生なんですが。」と答えると、
「どちらの高校で?」と突っ込まれました。
「三島K高校なんですが。」
するとK美さんのお父さんは、まるで若き日を懐かしむような口調で、
「ほほう、ボクはね、山梨の工業高校を出ておりまして・・・」と、延々高校を卒業してから就職に至るまでの経緯を話されました。私はキリの良いところで電話を切ろうとしたのですが、K美さんのお父さんはすかさず、
「どちらの高校で?」と、尋ねてきます。あれ、さっき答えたはずなのにと思いながらも、
「三島K高校なんですが。」と、再び答えてしまう私。
それから後は、お父さんの山梨の工業高校時代から就職するまでのお話です。その同じ会話を4,5回繰り返した後、どうにかこうにか電話を切ることができます。時間にして50分。K美さんのお父さんとの長電話なのです・・・

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2006年3月12日 (日)

ニート

ニートの定義は、働こうとせず、学校にも通わず、仕事に就くための専門的な訓練も受けていないというものです。(Not in Education, Employment, or Training)
私の友人K美さんの弟さんは、いわゆるこの「ニート」という類に入るかもしれません。とは言え、最近では自宅で内職を始めたとのことなので、もしかしたらこの「ニート」からは脱却したことになるかもしれません。
K美さんのご両親は健在ですが、お父さんはすでに定年を迎え、収入は国から支給される年金だけ。一家の家計を支えるのは保育士をしているK美さんにかかっているというわけです。
弟さんの心の闇に迫ることは、他人の私には無理ですが、「ニート」とか「ひきこもり」の背後にあるものって一体何なのでしょうね?
本人の「甘え」と言うにはあまりに短絡的のような気もします。

自分も心のどこかで「ニート」願望があるのは、否定出来ないのです・・・

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2006年3月11日 (土)

ドラえもんっち。

トイザラスで1999円で買いました。「たまごっち」のドラえもん版です。
たまごっちはバーチャルな生き物飼育で、放っておくと死んでしまうところなどゲームながらリアルです。
一方、ドラえもんっちはドラえもんとの友情をあたため、立派な「お世話ロボット」に成長させるというコンセプトなのです。
なので、たまごっちのように放っておくと死んでしまうということはありませんが、ふてくされてタイムマシンでどこかへ行ってしまうのです。
この「たまごっち」は90年代後半に大ブレイクしたゲームですが、世間では「ペットまでバーチャルだなんて」という批判が巻き起こりました。
けれど生き物を飼えない生活環境や、熱し易く冷め易い個々の性格などを考えた時、このバーチャルな生き物飼育はとてもありがたいゲームとして存在するのです。

ブームも下火になった今、童心に帰って遊んでみると、これがなかなかおもしろいのです!
子供のためだけのおもちゃではありません。これはちょっとした「大人のおもちゃ」なのです。

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2006年3月10日 (金)

お菓子。

父は病気で倒れるまでずっとクリーニング店を経営していました。
水仕事なので一年中しもやけとひびわれに悩まされ、夏はサウナ状態の中でアイロンがけをしていました。
雨の日も風の日もお客さん宅へ洗濯物の集配に出かけるのです。急ぎの仕事が入ると、日曜日も返上で働くのです。定休日なんて、あってないようなものでした。
幼い頃私は、集配について行くことがよくありました。そうすると行く先々のお得意さんが、「あら、お孫さん?」と父に向かって尋ねるのです。それもそのはず、私は父が46歳、母が42歳という高齢でできた一粒種だったので、まともに「親子」と見られることはなかったのです。
「お嬢さんなの?まあ!?」というリアクションにはもう慣れっこでした。それから必ず飴玉や金平糖などを紙に包んで私にくれるのです。
「ありがとう。」私は待ってましたと言わんばかりにそのお菓子の包みをもらってもうごきげんなのです。
帰り道はもらった飴玉で口の中がいっぱいになってしまいます。

あの時の嬉しさとか満足感は、大人になってからは、なかなか味わえるものではありませんね・・・

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2006年3月 7日 (火)

散歩。

ご主人を乗せた車椅子を押す奥さんとすれ違いました。(ご夫婦のように見えたのですが、本当のところは分かりません。)
お二人とも70代ぐらいで、陽だまりのなか日光浴を楽しんでおられるかのように見受けられました。
けれど、現実問題として家族の中に病気を患っている人がいるというのは、とても、とても大変なことなのです。
私の父は脳出血で、一命はとり止めたものの右半身不随の状態に陥ってしまいました。
結局、亡くなるまでの十一年間はずっと母が介護し続けて来ました。その間母には自由というものがなく、外出と言えば近所のスーパーへ買い物に出かけるぐらいだったのです。
たまには父を車椅子に乗せてのんびり散歩に出かけることもありました。その際、傍から見たら何となく穏やかで微笑ましく思われていたかもしれません。

そんなわけで、すれ違ったあのご夫婦を見た瞬間、両親のことがオーバーラップして、介護する側と介護される側のことを思ってしまったのです。

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2006年3月 6日 (月)

舞鶴。

深い意味はないのです。ないのですがあえて意味を持たせるのだとしたら、過去の自分と決別するためだったかもしれません。
東舞鶴は10年前に訪れた時とは格段に変わっていました。
駅前は道路拡張のおかげか広々としていて一面の銀世界。冬温暖な地域に住む私は、積もるほどの雪にお目にかかることはまずありません。
子供のように足跡をつけて楽しむ自分。
駅の目の前には立派なショッピングセンターも建ち、行き交う人々は活気に満ちていました。
変わらないのは、薄く膜がかかったようなあいまいな空模様。それにこの街の持つ「におい」のようなものでした。

私のつけた足跡は、雪解けとともに跡形もなく消えてなくなってしまうことでしょう。まるで何事もなかったかのように。そうして、多くの人々が舞鶴を通り過ぎてゆくのです。
12月30日小晦日の出来事です。

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2006年3月 5日 (日)

物書き。

21か22歳の時、「よし」と決めてこれぞと思う文学賞の公募に投稿を始めてみたものの、ハシの先にも引っかかりませんでした。評論にも興味があったので、自分の得意分野におけるものを(自分の中では鋭い切り口だと思い込んで)バッサバッサと切り倒してみました。
けれど、前と同じ結果に終わりました。
自分があまりに不甲斐なく、同時にこの辺りで「実益」を得てみたいと心機一転、まるで「想定外」のレデイースコミックの原作というものに挑戦することにしたのです。

(1)人妻の道ならぬ恋
(2)教師と生徒との禁断の愛
(3)オフィス・ラブ

三種の神器のような分かり易いテーマ。こんな私でも何度となく掲載してもらい、少しだけお小遣い稼ぎさせてもらいました。
けれどその後の胸のわだかまりと言ったら・・・
お金と引き換えに夢を売ってしまったような気持ちでいっぱいでした。
なぜならそれは、私の書きたいテーマではなかったからです。

今ではブログという手段を使って、趣味の範囲内で独りよがりの「物書き」を楽しんでいます。ささやかな幸せです・・・

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2006年3月 4日 (土)

ノルウェイの森

世間がバブルに沸いていたあの頃、村上春樹さんの「ノルウェイの森」が爆発的な人気を呼んでいました。当時の私は「流行モノ」に反発していたのでリアルタイムに読むことはありませんでした。
その後、世間の熱が冷めた頃を見計らって「どんなものかな?」と興味本位で読むことにしました。

「じゃあ、この前私を寝かしつけてくれた時なんか本当はすごくやりたかったんじゃないの?」
「まあ、そうだろうね」
「でもやらなかったのね?」
「君は今、僕のいちばん大事な友だちだし、君を失くしたくないからね」と僕は言った。
「私、あのときあなたが迫ってきてもたぶん拒否できなかったわよ。(後略)」
「でも僕のは固くて大きいよ」

一体何という会話なんだろうと、ウブな(?)私には衝撃的でした。けれど(上)(下)巻を通しての読後感と言ったら、甘く、せつなく、メランコリックな思いでいっぱいになってしまうほどでした。
この本は単なるラブ・ロマンスではありません。
「限りない喪失と再生」を描いた小説なのです。

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2006年3月 3日 (金)

愛さえあれば・・・

高校時代から仲良くしているK美さんは、現在保育士をしていて花の独身です。
K美さんは、毎日保育園に子供を送り迎えしている父子家庭のお父さんに恋しています。
聞けば、奥さんを病気で亡くされまだ幼い二人の子供を男手一つで育てているのだとか。
最初は子供たちに対する同情からだったかもしれません。けれど、そのお父さんが木工品を作るしがない職人さんと聞いて、ますますその想いは本物になりました。
収入が不安定でしかも二人の子持ち!
普通ならその時点で引いてしまいます。でも彼女は違っていました。
愛をささやくことはもちろん、手も握ったことのない相手に少女のような恋をしているのです。
三十代になってもそんなピュアな恋ができるなんて、本当にステキだなと思いました。友人として、影ながら応援していきたいです。

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