« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月30日 (火)

浜松検定3級。

天竜川・浜名湖地域12市町村が合併して新浜松市が誕生し、1周年。それを記念して静岡新聞社が「浜松検定」なるものを主催、企画しました。これは新しくなった浜松市を「経済、観光からスポーツまで、幅広いジャンルの問題で、浜松知識度を認定するもの」とのことです。
職場でこの「浜松検定」のパンフレットが回覧されてそれを知った私は、ほんの興味本意から、紙面検定3級のみチャレンジしてみようと思いました。
3級の場合は、わざわざ会場に出向くまでもなく、5月7,14,21日の静岡新聞朝刊にそれぞれ50問ずつ計150問が出題されたので、その問題を解答用紙に記入の上、応募するだけなのです。
私の場合、新聞を取っていないので職場の静岡新聞をコピーさせてもらい、家でお菓子を食べながら解いてみました。
受験料も無料なので、全くお金のかからない、ちょっとした脳内エクササイズとなりました。
ちなみに締め切りは5月31日です。
さらに3級合格者の中から、1,2級認定試験にも挑戦する方は、7月1日に指定された会場で受験することになります。その際、受験料が千円かかります。
1級合格者は静岡新聞紙上に掲載されるとのことですが、私の場合は3級の150問を解くだけでもうヘトヘトなので、3級止まりにしておきます。
深夜までかかって頑張ったのですから、たとえ3級でも合格して、認定証を受け取りたいものです(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月28日 (日)

ミニステッパー。

通販カタログで健康グッズのページを舐めるように見ていました。
ひときわ興味をそそられたのは「ミニステッパー」で、屋内でいつでもどこでもステップを踏んでエクササイズ出来るという代物。
「毎日10分間でスレンダーボディに変身!!」というキャッチコピーにも反応してしまい、購入することに決めました。
とにかく最近は運動不足で足腰が顕著に弱って来ているのが自分でも分かるのです。しかも夏に向けて薄着になるので、二の腕や太もも、お腹の贅肉が気になって気になって・・・
そこで夏のお盆休みまでに何とか4~5kgほど減量したいと思っていました。
その時、目に飛び込んで来たのが「ミニステッパー」。見やすいデジタルカウンターも付いているので踏んだ回数が表示され、運動時間まで分かるのです。
「これなら手軽にテレビを見ながらでも運動できるし・・・」と、安易な考えで注文書にサインしてしまいました。
その後、いざ商品が届いてみると、「よ~し、明日からがんばるぞ~」と意気込みだけはあるものの、なかなか箱から取り出すきっかけを逃しています。「よし、今日こそは!」と思いつつ今に至ります。
果たして「ミニステッパー」が日の目を見ることはあるのでしょうか・・・?これでは三日坊主どころか、箱から出さずじまいになってしまいそうなのです・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月27日 (土)

テイク アウト。

今日は仕事が休みなので久しぶりに街まで出かけて来ました。
六月から衣替えなので、夏らしく涼しげなブラウスを買って来ました。
職場では制服を着ても良いし、私服でも構わないので、職場にも着て行けるあまり華美でないデザインにしておきました。
それからせっかくなので本屋さんにも寄りました。街の本屋さんは品揃えが違うので、店内を一周してゆっくりじっくり選んだところで2時間近くかかってしまいました。
目についたのは斉藤孝さんという静岡出身の国語教育の推進をしておられる方の著書で、店頭に山のように積まれていました。
NHKの子ども向けテレビ番組「にほんごであそぼ」の企画、監修をされているのでも有名です。ミリオンセラーなのは「声に出して読みたい日本語」、他に「身体感覚を取り戻す」「子どもたちはなぜキレるのか」などがあり、売れ筋のようです。
こうして本屋さんをブラブラしているだけでも、世間の人がどんなことに興味を持ち、何を求めているのかが分かるような気がします。

そうこうするうちに外はすっかり暗くなってしまい、小雨がパラパラ降り出しました。もうなんだか夕飯の食材を買い求めて家で調理するのが面倒になり、ジャンクフードで済ませてしまおうと思いました。
駅前のマックでトマトグリルチキンサンドのセットを注文しました。野菜が足りないと思ってガーデンサラダ(ごまドレッシング付き)も注文して、テイク アウトすることにしたのです。
電車に乗ってから気付いたのですが、なんとドリンク(グレープ)が入れ忘れられていたのです!
その時は「あ~あ、家のお茶で良しとするか。」と寛容的な気分だったのですが、いざ帰宅して空腹を満たそうとした矢先、ムクムクと怒りが湧き起こり「電話一本入れてクレームつけるぐらい消費者にも権利がある!」と思い立ったのです。(たかだかドリンクの1つぐらいで目くじら立てる必要もなかったのですが、やっぱりすきっ腹の時はイライラするものなんですね・・・)
そうしたところ、電話で駅前のマックから丁重な侘びを受け、我が家まで届けてくれるとまで言ってもらったのですが、結局それは辞退し、近所にもマックがあるのでそこまで私自身が足を運び、ドリンクを受け取ることにしました。
グレープはグレープでも私の頭の中ではビタミンたっぷりのグレープフルーツジュースを思い浮かべていたのに、出されたのは紫色をした炭酸のファンタグレープでした。こればっかりは自分の中での勘違いなので、クレームもつけられず、黙ってファンタグレープを受け取り、帰るしかありませんでした・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月25日 (木)

清貧譚。

太宰治の作品は、中学校や高校の教科書に度々登場するので否が応でもいくつかは読んでいます。有名なところで「走れメロス」「斜陽」それに「人間失格」などがありますが、私が特に好きなのは「清貧譚」という短篇小説です。
この「清貧譚」は昭和16年1月号の「新潮」に掲載されたもので、その後発表された「新釈諸国噺」や「お伽草紙」などの前奏曲と言って良いかもしれません。
戦時中は、こと文学作品に対する検閲が厳しかったので多くの作家が国家権力に傾き、主体性のない作品を発表するかあるいは創作活動を中断してしまうかだったにもかかわらず、太宰文学は素晴らしい「芸術的才能を開花」させています。このことは太宰文学を研究しておられる奥野健男氏の解説からも分かります。

戦争が激化し、日本が破滅に向かって堕ちてゆくとき・・・すさまじい創作力を燃やし続ける。時流を超えた古典やフォークロアの絶対の宿命の中に、人間の永遠の真実の姿を深くとらえようとする。しかも太宰は決して時代から目を背けていない。戦争期の人間の中にも潜んでいる真実を祈るような思いで描いているのだ。

話は前後しますが、「清貧譚」のあらすじを少し紹介します。

主人公は三度の飯より菊の花の好きな才之助という三十二歳独身の貧乏男。良い菊の苗があると聞けば、どんな無理をしてでも必ず買い求めるほどの菊好き。
ある時、やはり菊に詳しい少年とその姉に出会う。その少年と話すうちに菊に関する並々ならぬ深い知識と経験があることを感じ取り、才之助は自尊信を傷つけられ躍起になり、その少年に対して対抗意識をむき出しにする。
結局、才之助は自分の家に少年とその姉を連れて帰り、菊畑を見せて散々自慢をし、その一角にある納屋に姉弟たちの当分の住居として住まわせる。すると少年は恩返しのつもりと思って、才之助の菊畑を半分借り、良い菊の花を咲かせてみせるのでそれを売ってお金にして欲しいと申し出た。ところが才之助は愛する菊の花を売ってお金に換えるようなことは出来ないと断固として拒否する。

ここで太宰は菊づくりという「芸術」を、果たしてお金に換えるべきか否か、そして人並みに生活していくには多少の利益も必要ではないのかというジレンマに悩み苦しみます。
ただ純粋に菊の花が好きだというだけで誰にも品評されることなく、売り買いすることもなく、単に自己満足の世界に浸って良いものなのか。貧乏人であることが果たして美徳なことなのか。様々な葛藤、矛盾を表現しているのです。
まるで、菊づくりに執念を燃やす才之助に「作家」という太宰自身を置き換えたかのようなのです。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年5月23日 (火)

離れに住む人。

伯母は旦那さんに先立たれ、息子夫婦は仕事の都合で離れて暮らしているため、事実上一人暮らしです。
80代半ばの伯母は気丈な性格なので、「嫁姑問題でゴタゴタするよりよっぽど気楽。」などと言ってはいますが、本音のところは分かりません。
私がこちらへ引っ越して来る前、まだ伊豆の片田舎に住んでいたころの話ですが、幼少時代。かれこれ30年ぐらい前です。我が家の隣家は敷地内に母屋と離れがあり、母屋には夫婦と妻方の両親の4人が住んでおり、離れにはおばあさんがたった一人で暮らしていました。
当時幼かった私は、回覧板を回すという簡単なお手伝いをしていました。
「ごめんください、かいらんばん、おねがいします!」
母屋から応答がないと留守なのだと思い、玄関先に置いておくのです。
すぐ脇の離れの前を通過して引き返そうとすると、離れの引き戸が半分ほど開けっ放しになっていました。トタンで出来た物置小屋にしか見えないその離れの中に、一体何があるんだろうという好奇心に駆られた私は、ついつい覗き見てしまったのです。
暗がりの中、わずかに照らす裸電球の下で、敷きっ放しのせんべい布団の上にだらんと正座する老婆。
その姿を目の当たりにしてしまった私はショックのあまり呆然としてしまい、立ち去ることも出来なくなってしまいました。
そのうち老婆は人影に気付いたらしく、徐に私の方を振り返りました。その瞳の濁った眼差しと言ったら・・・
右と左の視線がかみ合っていなくて、私の方を見ているのか見ていないのか分からないのです。私は恐怖を感じ、やっとの思いでその場を離れることが出来ました。
後年、聞いたところによると、嫁姑関係の成れの果てとのこと。
これ程近くに肉親が住んでいるにもかかわらず、なんと孤独で寂しい晩年なんでしょう。

引き換え、伯母は本当の意味での一人暮らしですが、煩わしさもなくそれなりに楽しくやっているのかもしれません。
なので一概に同居が幸せなことなのかどうかは分かりません。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

インザ・ミソスープ。

最初は村上春樹さんの本を探していたのです。
なので文庫本コーナーで「村上」という作者名を追っていました。「インザ・ミソスープ」というカタカナのタイトルを目にした時は、「村上春樹ならあり得る」と思って何の疑いも持ちませんでした。
背表紙のあらすじをざっと読むと、何やらホラー小説のような空気が漂っていて、「いよいよ村上春樹も新境地かな?」と勝手に解釈をすると、まっすぐレジの方へ向かってしまったのです。
そんなわけで、作者が村上は村上でも春樹の方ではなくて、龍の方であることが分かったのは帰宅してからなのです。
村上龍の作品はこれまであまり読んだ経験がありません。先入観だけで判断するのはよくないことですが、どういうわけか女性には少しヘヴィーなイメージがあるからです。
センセーショナルを巻き起こした「トパーズ」は、ちょっとした風俗小説のようでもあるし、無機質で淡々としていて、そこにロマンスはないのです。
そこでこの「インザ・ミソスープ」ですが、果たして挫折せずに通読することが出来るのだろうかと読み進めてみると・・・
久しぶりに読み応えのある小説に当たったという感じでした。孤独な都会の喧騒の中に、自分がスッポリと同化してしまうような感覚でした。
ここでは巻末の解説(河合隼雄)よりあらすじを抜粋させて頂きます。

「インザ・ミソスープ」は、二十歳になったばかりの日本の青年、ケンジが、アメリカの正体不明の中年男性、フランクと年末の十二月二九日から大晦日までの三日間を東京で行動を共にした間の出来事について記している。・・・「商談」?が成立し、契約に基づいてケンジはフランクのために、歌舞伎町で彼が三日すごす間のアテンドをすることになる。・・・しかし、そのうちにケンジは少しずつ不安になっていく。・・・フランクは少しのことで顔色を変え「目から人間的な表情が消えた」りする。・・・「その顔と、全体の姿が、異様に寂しげ」に見えるときもある。ケンジにはその日に新聞で見た「手足と首を切断されて殺された歌舞伎町のゴミ収集場に捨てられていた女子高校生」の殺人事件の犯人がフランクではないかと思えてくるのだ。・・・ケンジの予感は当たっていた。・・・フランクはつぎつぎと凄絶な殺人をやり抜いていく。と言っても、彼はその途中で何度もあくびをしながら殺人をするのだ。

全体に流れるこのトーンの重さと言ったら、これまでに経験のない孤独を感じました。アメリカ人の大胆不敵な感情と、ギラギラする異常な欲望に、島国民族の日本人がものの見事に呑まれてしまう様子が窺えます。
単なるホラー小説の枠を越えた、社会派文学にも勝る作品のような気がしました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月20日 (土)

シュークリーム。

今日は休出でした。午前中はあいにくの雨模様でしたが、まずまずの来客。けれど窓口業務というのはお客様あっての仕事なので、客足が途絶えたとたん何もやることがなく、ただただ時間が過ぎてゆくのを待つのみ。お手洗いに立つ以外は席を離れることも出来ず、じっと正面玄関の向こうを見つめているのです。
同じ窓口業務の同僚は、パソコンの影に隠れてケータイのメールチェック。そうでもしていなければ時間が潰せないという気持ちは分かるので、私も見て見ないフリをしています。
カウンターに無造作に置かれたチラシを揃えてみたり、ペン立ての中のカスを取り除いてみたり、メモ用紙を作ってみたり、そういう雑用を重ねていくうちにやっとのことで時間が過ぎてゆくのです。
中には話し好きのお客さんもいて、お嫁さんのグチを散々こぼしてスッキリされていく年配の女性もいます。
「この辺に○○さんっていうお宅はある?」
と言って道を尋ねていかれる方もいます。酔っ払ってろれつが回らない方、公共のフロアで殴りあいのケンカを始める方などいろいろです。
そうやって休出の日がな一日が暮れてゆくのです。
午後3時を過ぎると外はすっかり雨も上がり、西日が射して蒸し暑いぐらいでした。
職場の上司が徐に私の前に立ち、「どう?」と声をかけて来ました。
普段着姿の上司は見たことがなかったので、すぐにはその人がお客さんなのか上司なのか区別がつかず、戸惑ってしまいました。
「ご覧の通りです。」とだけ答えると、上司は目だけ笑いながら「ご苦労さん。」と言ってケーキの箱をカウンターに置きました。
隣りの同僚が満面の笑みで「わーい!ごちそうさまですぅ。」と、代表でお礼を言うと、上司は「パチンコで勝ったから。」という素振りをジェスチャーでやって見せたので、私たちは妙に納得してしまいました。
上司が行ってしまった後、同僚がこっそり箱の中を覗いて見ると、シュークリームが6個入っていました。箱のラベルを確認すると、「Saint.Raphael」というお店の名前。「うわっ、これってシュークリームで有名なお店だよ!」
同僚に教えられて初めて、そのシュークリームがいかにコクがあっておいしい一品であるかを知りました。

退屈でやりがいのない休出も、こんな嬉しい差し入れがあるならたまには良いもんだと、ちゃっかりな私でした☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月19日 (金)

三角波。

この作品は、向田邦子さんが小説新潮に連載した短篇小説シリーズ「男どき女どき」の中の一篇です。
向田邦子は東京都世田谷区出身で、実践女子大学国文科卒の脚本家です。主にテレビドラマの脚本を手がけ、代表作に「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」等があります。
向田作品のほとんどがホームドラマであり、男女の愛憎劇を扱った作品である中、この「三角波」は同性愛を描いた異色とも言えます。

主人公の巻子はそれまで勤めていた会社を寿退職する。新郎の達夫には何かと小まめに世話を焼く波多野という部下がいて、巻子はその波多野が自分に気があるのではないかと思い始める。と言うのも、電話一本で波多野を呼び寄せ足代わりにすることも出来たし、波多野が巻子と達夫に対して、何やら嫉妬しているような感じさえ窺えたからだ。しかし、巻子と達夫の新居にまで姿を現した波多野の視線の先には、巻子ではなく、達夫がいたのである。

読後は、何とも言えない巻子の「がっかり感」がまるで自分の身にでも起こったかのように伝わって来ます。
二人の男が自分を争って決闘でもしているような錯覚さえしていたのに、その期待外れも甚だしいところで巻子はポツンと女一人、取り残されていたのですから。
ラストは決してハッピーエンドとは言えませんが、向田邦子の鋭い描写力と行間から伝わる各人の想いが、陰気で狂信的にならないストーリーに仕上げているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月18日 (木)

汚名。

名匠アルフレッド・ヒッチコック監督の作品「汚名」を観ました。
ヒッチコックはイギリス、ロンドンの出身で、代表作に「サイコ」等があります。スリラー映画に定評のあるヒッチコックの手がけた「汚名」は、1946年にアメリカで公開されました。

父親がナチスのスパイ容疑で逮捕されたことで汚名を着せられた娘のアリシア(イングリット・バーグマン)。彼女の前に現れたCIA捜査官デブリン(ケイリー・グラント)は、アリシアに南米ナチス一派の捜査依頼をする。
アリシアは汚名返上になるならと、ナチス一派の一人である、父親の友人セバスチャンと結婚して見事潜入を果たす。
アリシアとデブリンは任務を通して連絡を取り合ううちに激しい恋に落ちる。
その後、アリシアの正体を知ったセバスチャンは母親と共謀し、彼女の飲み物に毎日少しずつ毒を盛ることで病死に見せかけた殺人を企む。

この作品が話題になったのは、ヒッチコックの伝説でもある歴史に残るキスシーンです。
当時のプロダクション・コードには「キスシーンは3秒まで」という現在では考えられないような規定がありました。そこでヒッチコックは、3秒以内のキスを何回も繰り返すという逆手を取って、長時間のキスシーンを可能にしました。もちろん、一回のキスシーンは3秒以内に変わりはないので、検閲を無事にパスしたというわけです。

普通のスパイ映画ならあまり女性向きではありませんが、そこには「スリラー」と、そして「ラヴ」のエッセンスが取り入れられているため、充分女性でも楽しめる作品に仕上がっているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月17日 (水)

運転免許証更新。

ついこの前更新したばかりだと思っていたら、もう5年の月日が経ってしまったようです。
私は運転はしないのでペーパー歴が長いのですが、いわゆる「ゴールドドライバー」なのです。
本当は車もないことなのでわざわざ免許証の更新もどうかと思うのですが、やはり身分を証明する際、公的なものとして有効なのでとりあえず更新だけはすることにしています。
30分間の講習を受ける際に手渡された「交通の教則」という冊子を、何気なくペラペラとめくっていると、交通事故で肉親を亡くされた方の「被害者の手記」が掲載されていました。タイトルは「携帯電話のマナーに思う」というものでした。
加害者は携帯電話に気を取られ、シルバーカーを押しながら歩く年配の女性に気付かず、トラックの車体に引っ掛けてしまったのです。しかし加害者は気付いた後もシルバーカーを車体に引っ掛けたまま800メートルも逃げたとのこと。その異変に気付いた対向車のドライバーがすぐに警察へ通報。その後、ひき逃げ犯を逮捕したのです。
被害者遺族の無念さ、憤りなどの痛切な思いが面々と綴られていて、身につまされる思いがします。
これだけ普及してしまった携帯電話を今さら持たないでいることは不可能でしょう。ならばせめて、せめてマナーを守った取り扱いを心がけたいものです。
どんな事情であれ、交通事故はれっきとした「犯罪」なのですから。

【危険運転致死傷罪】
(刑法第208条の2に寄る)

  • 人を負傷させた者・・・15年以下の懲役
  • 人を死亡させた者・・・20年以下の有期懲役(併合加重の場合は最高30年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラとカーネーションとかすみ草。

今さらですが、5月14日は私の誕生日でした。
その日の夕方、宅配便で、抱えきれないほどの花束が届きました。
深紅のバラとカーネーション、それに可憐に寄せるかすみ草です。
友人が私の誕生日を覚えていてくれて、わざわざプレゼントしてくれたのです。
その友人の父親というのは、10年ほど前にアルツハイマー痴呆症で亡くなりました。度重なる深夜の徘徊で、何度警察沙汰になったか分からないとのこと。母親と二人三脚で介護に努めて来た人なのです。そんなことが多少影響したのか、当時交際していた人とは実を結ぶこともなく、婚期を逃して今に至ります。
その後、友人は結婚をあきらめたのか仕事に情熱を燃やし、念願の役職にも就いたのですが、今度は母親が病に倒れてしまったのです。
そんなわけで朝から晩まで息つく間もなく生活に追われている友人は、人並み以上に苦労人なのです。それなのに一言の泣き言もこぼさず頑張っています。
下手な同情を寄せることがどれだけ残酷なことかが分かっているので、私も友人も決して「苦労」という言葉を口にしません。「苦労」をウリにしたところで何の得にもならないからです。
ポジティヴに生きていくにはまず現状を受け入れること。この広い世間にはもっともっと大変な思いをしている人たちがたくさんいるのだと自分に言い聞かせ、どんな時でも生きていることへの感謝の気持ちを忘れてはならないのです。
友人からもらったのは単なる花束などではなく、それに込められた深いメッセージ。生きて、愛でることのできる喜び、安らぎ、優しさ、思いやりなのです。

私たちは共に世間の荒波を生き抜く、闘う同士なのかもしれません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月14日 (日)

誕生日。

いつの頃からでしょうか、あまり自分の誕生を祝う気持ちになれなくなったのは・・・
波乱万丈の20代を思えば、今はずい分と平穏な日々が続いています。
誕生日と言ってもとりたてて予定もなく、ふだん通りの日曜日。朝は一週間の疲れを癒すために10時近くまで寝ていました。遅い朝食を摂った後は部屋の片付けをして、少しのんびりしました。
それでもせっかくなので、誕生日のマネゴトでもしてみようかと近所のmilou(ミルゥ)というケーキ屋さんに出かけました。
まだお昼過ぎだというのに「母の日」とも重なったせいか、目ぼしいケーキは売り切れ。「いちごのタルト」が本命だったのですが、すでに売り切れていたので「モンブラン」を一つ注文しました。(このお店はタルト系が人気なのです。)
店内の喫茶スペースには誰もいなかったので、私はマイルドエスプレッソも注文してその場でいただきました。
広いガラス窓の向こうの前庭は、若葉に萌える木立ちの影と初夏の風がたわむれていました。
こういうささやかな誕生日をもう何年も繰り返していますが、強がりなどではなく、悪くはないものです。おいしいケーキと香り高いコーヒー、それに窓の外の景色に感謝。

ブログのプロフィールも忘れずに年齢の訂正をしなくてはなりません。(本当はサバを読みたいところなのですが(^^♪)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月13日 (土)

くらま。

今からざっと八百五十年も昔のことです。永万元年(1165)のある日、七歳の童子が都の北にある鞍馬寺の仁王門の前に立っていました。その名は牛若、お寺で修行の日を送り心身を磨くために、はるばるやって来たのです。

そうです、鞍馬寺とは源九郎義経が幼少時代に幽閉されていたお寺なのです。
私が最初に鞍馬寺を訪れたのは、高校の時の修学旅行なので、かれこれ18年も前になります。ちょうど今日の天気のような、霧雨が朝から降る日でした。旅館を出発すると、自由行動の醍醐味で、かねてより計画していた通りに気の合う友人たちを連れ立って、くらまのお山を訪れたのです。
以来私は鞍馬寺のとりこなのです。
私は特に信仰心もないのですが、毎月1回15日に発行されている「くらま」をここ2,3年購読しています。一部100円で年間購読しても郵送料込みで1500円なので、ついつい読み続けてしまいます。
私が特に好きな記事は(もちろん信楽香仁管長様の法話も大変素晴らしい内容ですが)、リヨン在住の書家でいらっしゃる田中心外さんの「リヨン通信」というエッセイです。
ここでは「くらま」2月号からの抜粋を紹介します。

私は貯金というものは無いに等しい状態ながら、「お金の無いことはちっとも恥ずかしいことではない」と自分に言い聞かせていた。多少のストレスはあったが、私の関心と価値観は別のところにあったからだ。このようなことを述べてきたのは、実は、物を多く(大抵の方は、少なくとも私よりも多く物を所有していると思う)持つ人に、「持っていらっしゃるものは本当に必要なものですか?」「あなたの所有物は真の意味で生きていますか?」そして、「あなたの所有物は本当に生かされていますか?」という三つの問いを発したかったためなのである。

この記事を読んだ時、私は自分の持ち物に対して、所有することの意味を考えずにはいられませんでした。感謝の気持ちを常に持って、物質的な豊かさを求めるのではなく、心の豊かさを求めることを心がけていくようにしていきたいです。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年5月12日 (金)

水花姫。

私がこの本を読んでみようと思ったきっかけは、この「水花姫」の書評が「rockin'on」という音楽雑誌に掲載されたのを読んだからです。
と言ってもずい分前の話で、「水花姫」が出版されたのが1992年のことなので(ちょうどその頃購読していた「rockin'on」で紹介されたので)、もう10年以上も昔のことです。
「水花姫」は尾花ゆきみさんのデビュー作で、太田出版から刊行されました。(現在は入手しにくいかもしれません。)
内容は、主人公の少女(小学4年生)が両親の離婚を経験し、その後母親が自殺。自らの意思で弟とともに児童相談所に身を寄せるというストーリーです。
全体に流れる憂鬱で孤独な空気は、夢見る頃を過ぎて思春期に突入した誰もが抱く人生の巨大な混沌を感じさせるのです。
主人公の少女がこっそりと聞いてしまった大人の会話や、縁日で出会ったたこ焼き屋のおじさんがついた他愛もないウソや、同級生が初潮を迎えてプールを見学したことなどは、「子ども」が「子ども」でい続けることが許されない切なさが伝わって来ます。

本当はどこかにもう一人自分がいて、彼女こそがお姫様なのかもしれないと思った。そうでなければ、ずっと前いつかどこかでお姫様だったけれど、私は贅沢のしすぎ、わがままの言いたい放題で、今はその罰を受けているのかもしれない。

大人になることは苦しい。素直に甘えることのできる相手がいないことは寂しい。自分の過去の一部を忘れることを覚えねばならないのは辛い。
少女はそれが一時の試練に過ぎないのではないかと考えます。けれどすぐにそれが間違いであったことを思い知るのです。

この本は、世の女性の誰もが通り過ぎて来た、少女から女性への変革期を描いたものなのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月10日 (水)

酒とつまみ。

この雑誌は、「酒飲みの、酒飲みによる、酒飲みのための」というコンセプトで不定期に発行されている季刊誌です。
地方の書店ではまず見かけることはありません。
友人の紹介で興味を持った私はさっそくインターネットで検索し、編集部宛にメールでこの雑誌を注文しました。
私が注文したのは第4号で、ゲストのみうらじゅんさんの記事が読みたかったからなのです。
内容は、「酒とエロとみうらじゅん」というタイトル通り、みうらじゅん的エロに対するポリシーさえ感じられるものでした(笑)
普通なら単なる「下ネタ」として聞き流されてしまいそうなことなのに、みうらさんにかかるとなぜか哲学的で、これが男性学というものなのかと勘違いしてしまいそうになります。
さらにこの号で面白かったのは、「ボラレ自慢座談会」という特集です。
これは、5人のボラレ男たちがそれぞれのボラレ経験を自慢するというものです。
ボラ男さんが行ったアメリカをイメージしたお店は、店員がみんなアメリカ系の制服を着ていて、女の子の名前はアンナ、マリア、ナンシーという具合なのに、みんなベタベタの日本人とのこと。
メニューを見たら、「板わさ300円、さきいか350円」と書いてあるので安いと思ってどんどん注文してしまったと。
心行くまで楽しんだ後、会計しようと思って明細を見るとびっくり、2万円!
これはいくらなんでも高すぎるんじゃないかと抗議をすると、店員からメニューを渡されたので、もう一度マジマジと料金を確認したところ、「300」の0と0の間に小さな点が入っていると。つまり「30.0」。よくよく考えると、もともと「円」が付いていなくて、聞いたら通貨がドルだったというわけです。
こういうエピソードは、まず女性同士の話題では出て来ないものなので、とても新鮮でおかしくて笑えるのです。

私はまるでお酒とは縁がありませんが、この雑誌を読むだけでほろ酔い気分を味わえるのです。

酒とつまみHP
http://www.saketsuma.com

興味のある方はアクセスしてみて下さい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月 9日 (火)

種田山頭火(2)

「私が自叙伝を書くならば、その冒頭の語句として、私一家の不幸は母の自殺から初まる、と書かなければならない」

これは、漂泊の俳人、種田山頭火の日記からの引用です。
山頭火の生家は、代々続く大地主でした。山頭火の祖父が早くに亡くなったせいもあり、15歳で山頭火の父が家督相続を受けました。父は、早くからお金を自由に使うことのできる地位に就いてしまったため、妾を何人も作り、家庭をないがしろにして遊び呆けてしまったのです。
さすがの種田家の繁栄も傾き始め、息子の放蕩や家運の衰退に苛立ちを感じた姑は、山頭火の母に全ての責任があると言っていじめ抜いたのです。山頭火の母は絶望と憤りを感じ、また周囲への抗議のために屋敷内にある古井戸に身を投げました。まだ33歳という若さでした。
この時の山頭火の心情はいかばかりか、当時まだ10歳だった山頭火の嘆きを思うと、想像を絶します。
それ以来、山頭火は生涯拭い去ることのできないPTSDに悩まされ続けることになったのです。
自分を残して逝ってしまった母への哀しみ、あるいは裏切り行為であるとも感じたかもしれません。さらに、そんな母を半ば死に追いやった元凶でもある祖母への憎しみ、それらは全て女性を否定すること、嫌悪感へとつながっていくのです。

「私は恋といふものを知らない男である、かつて女を愛したこともなければ、女から愛されたこともない、・・・女の肉体はよいと思ふことはあるが、女そのものはどうしても好きになれない」

山頭火の女性に対する不信感が、ひしひしと感じられる日記の一部です。
そんな山頭火は女性だけでなく、自分をも否定するかのような俳句を残しています。

どうしようもないわたしが歩いてゐる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 6日 (土)

イエローサブマリン。

70年代生まれの私は、全盛期のビートルズを知りません。けれど彼らの残した多くの作品は「懐メロ」としてではなく、ちゃんと今も生きた音楽として愛され続けているのです。
商業的成功を狙ったアイドル主演の映画が、往々にして質の低いものであるか、あるいは興業成績も不振に終わりがちなのに対し、ビートルズ主演のアニメーション映画は他と少し違っています。それは「イエローサブマリン」という作品で、ビートルズが潜水艦(イエローサブマリン)に乗って繰り広げる冒険アニメであり、ミュージカル映画でもあります。
製作当時、ちまたではベトナム反戦のシュプレヒコールが飛び交う時代背景もあり、ビートルズが音楽を持って愛と平和を訴えかける作品なのです。
けれど、今でこそ「サイケデリックな色彩が、音楽と映像を融合させた芸術性の高いものに仕上げている」という好評も得ていますが、主に60年代に出回った幻覚剤、LSDの影響も強く見受けられます。
LSDというのは、強烈な幻覚作用が現れる薬物なのですが、特に幻視作用が働いて、鮮やかな色彩が長期に渡って見えたりするのです。
そんなわけで、「Lucy in the Sky with Diamonds」がバックで流れている際の映像と言ったらかなり衝撃的な色彩で、驚きを隠せないのです。
後年、ポール・マッカートニーはインタビューにこのように答えています。

「ボクらはそんなに乗り気じゃなかったんだよね、イエローサブマリンやるの。でもこれが当たってさ。(中略)成功の美酒に酔い、これといって何もしないでいることに平気。これがその頃のボクらだった。みんなリッチで、ウェイブリッジとかエッシャーの洒落た邸宅に住んで、結婚して。ボクは言ったんだ。『ヘイ、ガイズ、カモン!ぶらぶらしてられないぜ、何かやらなきゃならない、オレたちはビートルズなんだ!』」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失恋・・・

このブログにも度々登場しているK美さん。今回ばかりは本人の承諾を得てからこの記事を書くことにしました。
K美さんが想いを寄せている彼は奥さんを病気で亡くされ、男手一つで二人の男の子を育てています。K美さんは保育士をしているので、毎日欠かさず子供の送り迎えをしている彼の姿に半分同情、半分恋心を抱いてしまったのです。
彼はそれまで地元の新聞社に勤務して記者をしていたのですが、諸事情により退職。現在はしがない木工職人さんなのです。
友人の私としては、そんな不安定な職業でしかも二人の子持ちというのが引っ掛かってしまい、あまり無責任に「がんばって」とは言えなかったのです。けれど彼女は本気で恋をしていたので、彼のために材料となりそうな新鮮な樹皮や流木などをせっせと調達してあげていました。また、参考になりそうな美術書などを差し入れすることもありました。どこかへ旅行などに出かけることがあれば、必ず二人の子供たちのためにお土産を購入するのも当たり前のようにしていました。さらに、彼の個展が開催されると必ずメンバーを集めて会場を賑やかにするという心配りも忘れませんでした。
そういう、目に見えないK美さんの優しさ、思いやり、彼に対する言葉にはできないほどの深い愛情も、人間という得体の知れない生き物の前には無力でした。
彼は、若くて小奇麗でただそこにいるだけで花のある女性を選んでしまったのです。
K美さんは私と同じ34歳。結婚を意識しないと言ったらウソになります。それを見抜いてしまった彼が、重荷に感じたのかどうかは分かりません。
けれど現実として彼が選んだのは、子供の母ではなく、彼の妻でもなく、一人の若い女性だったのです。
こういう時30代の女は、泣き喚いて、しがみついてまで自分のプライドを捨てようとはしません。どんなに屈辱的な気分を味わっても、相手にはそれを悟られまいと平気な顔をして笑ってしまうのです。
でも、心の中では号泣しています。

きっとK美さんも顔で笑って、心で泣いて、何食わぬ顔して日々をやり過ごしていくことでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)

お見舞い。

伯母が足の骨を折って入院してしまいました。庭の草取りをしている際に、転倒して骨折したとのこと。家には誰もおらず、自分の力だけではどうにもこうにも動きが取れずに「さて、困った」と途方に暮れていたそうです。
その時、犬の散歩に通りかかった青年が何気なく塀の中を見て、うずくまる伯母の姿に気がついてすぐに救急車を呼んでくれたのです。
その青年は、救急車が駆けつけてくれるまで伯母に向かって一生懸命声掛けをしてくれて、伯母はずい分と励まされたそうです。
伯母はその時、痛みやら恥ずかしさやらでその青年の名前も連絡先も聞かずじまいだったことをとても残念に思っているとのこと。
その後、伯母は搬送先の病院で複雑骨折の手術を受け、順調な回復を見せていますが、今はリハビリでかなり苦労しているようでした。
小さいころからのクセで「おばさん」と呼んではいるものの、そんな伯母も今年で86歳。病院にお世話になることがだいぶ増えたように思えます。他人様にご迷惑をかけることも多々あるようです。
けれど伯母のように、旦那さんに先立たれ、一人息子は仕事の都合で離れて暮らしているため一人暮らしをせざるを得ない老人というのも珍しくはありません。
せめて同じ市内に暮らしている私が伯母の所へ折を見て出かけてあげたいです。
だからと言って、私に何が出来るというわけでもありませんが・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

松本かつぢ。

松本かつぢさんの作品展が、東京の弥生美術館で開催されたので出かけて来ました。(弥生美術館は東大の弥生門の側にあって、竹久夢二美術館と併設されています。)
松本かつぢは神戸生まれの東京育ちです。昭和初期から「少女世界」や「少女の友」などの少女雑誌で挿絵画家として活躍しました。その抒情的な画風は、中原淳一と人気を二分しました。
私が特に気に入っている大好きな作品は、アンデルセン童話集の「絵のない絵本」を題材にした「月の見た話」の口絵です。その異国情緒あふれるロマンチックでモダンな作風は、見る人の心を打ち、とりこにしてしまいます。
この他にも「マッチ売りの少女」や「人魚のなげき」「おやゆび姫」などがあり、中でも「人魚のなげき」はエキゾチックで官能的でさえあります。
松本かつぢのスゴイところは、ライバル中原淳一がユーモア小説の挿絵を描くことなどまずなかったのに対し、そのようなコミカルな挿絵はもちろん、「くるくるクルミちゃん」という少女漫画もヒットさせたことです。

そんな彼が晩年、こんなことを言っています。

「わたしは造形面の仕事も大好きなんです。材料が何であれ、物を作るということは、これはまた楽しい楽しい仕事です。」

仕事は楽しんでやることが必要なのだとつくづく感じ入りました。
正に、「好きこそものの上手なれ。」なのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »