« 大阪夏の陣。 | トップページ | ジキルとハイド。 »

2006年8月15日 (火)

夢のまた夢。

藍色に染まった夕空の下、私は道頓堀に来ていました。
昨日の続きになりますが、通天閣の展望台でビリケンさんの足の裏を撫でた後はもう最終の新幹線にさえ乗れれば良かったので、ゆっくりと時間をつぶすことが出来ました。
今の私に繁華街は却って孤独感が増すかもしれないと思いつつも、戎橋のたもとでグリコの看板を見上げた時、素直に感動してしまいました。テレビやガイドブックでは見たことがありましたが、実物を見たのはこれが初めて。
派手なネオンが街を染め、猥雑な空気が溢れんばかりの人ごみに混じっていよいよ活気を増していました。
街のネオンが道頓堀川の川面を染め、それはまるでおとぎ話か夢の世界のようにゆらゆらと揺れていました。
観光客に囲まれてまんざらでもなさそうな表情を浮かべているくいだおれ人形を見ても感動、巨大な動くカニが飲食店の立体看板になっているのも感動。何もかもが明るく陽気で、そこに理屈やキザな建て前など存在していなかったのです。
家で閉じこもったまま何もせず、日がな一日を過ごしていたら味わえなかったこの感動。大阪を選んで良かった、大阪へ来て良かったと、つくづく心からそう思うのでした。

大阪へ行って既に2日が過ぎてしまいました。
私はまた平常な生活に戻りました。
目に映る何もかもが大阪のまぶしさを湛えて勢いづいていたことも、何だか遠い昔の記憶のようでもあります。

農民から身をおこして天下人となった豊臣秀吉。
商人の町、大阪の人々はきっとそんな秀吉に親しみを持っていることでしょう。権力とか生まれよりも、その人の持つ才覚で世間の荒波を潜り抜けるという気質を持ち合わせた土地柄なのかもしれません。
どういうわけだか道頓堀を歩いていると、芸術性には乏しい街並みだというのに、大阪人の夢とかロマンなどがむせかえるように辺り一面を覆っているのです。

露と落ち露と消えにし
我が身かな
浪速のことは
夢のまた夢
(豊臣秀吉の辞世の句より)

|

« 大阪夏の陣。 | トップページ | ジキルとハイド。 »

コメント

しょせん夢のまた夢のために我々は日々もがき苦しんでいるわけですねぇ・・・
秀吉さんがいうと余計に実感がこもりますね。

このごろ、すべてを断ち切って開放されたいという止み難い衝動に駆られます。
結構ヤクザな人生を送っていますので、それもまたアリかな。

投稿: ぱち | 2006年8月18日 (金) 09:04

パチニクさんこんばんは(^o^)
そうですか、パチニクさんでも全てのしがらみから解放されたいと思うことがあるのですね。毎回ブログを拝見しているのですが、いつも前向きで社交的な方なんだなぁと思っていましたヨ☆
人間はみんな何かしら胸に秘めているものがあるのですね・・・

投稿: さんとう花 | 2006年8月18日 (金) 19:08

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夢のまた夢。:

« 大阪夏の陣。 | トップページ | ジキルとハイド。 »