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2006年8月19日 (土)

棟方志功。

最近はくじけそうな自分を律するためにとにかく必死です。
駅で電車待ちしている際に見かけた掲示板のポスターは、浜松市美術館で棟方志功展が開催されるという宣伝でした。8月19日からということなので(8月19日~9月28日までの期間)、今日になるのを指折り数えて待っていました。

棟方志功は青森県出身の板画家(1942年以降、版画から板画と称す)で、「わだは、ゴッホになる」と絵描き志望で上京しました。
しかし一方で版画に心惹かれ、昭和11年に国画会に「大和し美し」(やまとしうるわし)を出品したところ日本民藝館に認められ、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司氏らの知遇を受けるようになります。
それからは板画一筋に、生命力、躍動感に溢れた力強い傑作を次々と発表して行きます。
棟方志功の独特のスタイルと言えば、大変な近視のため、メガネが板に付きそうなほど顔を近付け板画を彫ったということです。

今回私が特に気に入った作品は、「雨ニモ負ケズの柵」と「看病シテヤリの柵」です。
これは童話作家である宮沢賢治氏の詩を題材にしたものなのですが、何と言うのか、煩悩に屈しまいとする強さと、内面から滲み出るような優しさ、慈悲深さに溢れているのです。
他にも、「女人われこそ観世音ぼさつ」と女人を礼賛して止まない「仰向の柵」や「振向の柵」など素晴らしい作品でした。

私が日々の生活のために望まない仕事を淡々とこなし、抱えきれないほどのストレスに苦しんでいる時、さらには近い将来に対する無意味な不安に怯えている時、この棟方志功の作品はあまりに神々しく、まばゆいばかりの光を放っていました。
異常な胸苦しさとか得体の知れない衝動に、どうしようもない涙がこぼれ落ちそうになった時、この棟方作品がそっと手を差し伸べてくれそうな気さえしました。

わたくし、していない、わたくしを支えているあらゆる力がわたくしの仕事をしてくれるのです。毛頭に自分が働いているのでもなくまして作っているのでもありません。させられているのです。事が運ばれて行く事に間違いないのです。

棟方志功の言葉によると、私も自分が仕事をしているのではなく、何か目に見えない力によって今の仕事に縁が生まれ、それに携わるようになっていたということなのでしょうか。
その見えない何かの導きに従って事が運ばれて行けば間違いないということなのですね。
だとしたら、私もその流れに身を任せてみましょうか。

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コメント

こんばんは。

棟方志功さんはまさに命に従っていきているわけですね。
それも人生。だとしたら山頭火の「どうしようもない」生き方は?
でも、それもまた人生。

人生に正解はないと思います。

人間、生き方は変えられない。僕は、これは核心だと思います。
ではどうする?

でも人間は生きるフィールドを変えることはできると思います。
フィールドを変えると生きる幅が出来てくる。
大方の人は、おそらく一次元のフィールドで生きている。もし努力してそれを二次元に高めたとしたらどうなるか。
今まで見てきたものの別の面が見えてくるというわけです。つまり幅が広がる。

生き方を変えるのではなく、生きるフィールドを変える、こんな考え方もあると思います。

偉そうに恐縮でした。

投稿: ぱち | 2006年8月23日 (水) 23:15

こんばんは(^o^)
パチニクさんコメントどうもありがとうございます。
「生きるフィールドを変えてみる」というアドバイス、重ねてありがとうございます。
35年間こういう生き方をして来たので、明日から生き方を変えるというのにはムリがあるのですが、生きるフィールドを広げてみるのは私にも出来るかもしれません。
発想の転換は必要不可欠ですね☆

投稿: さんとう花 | 2006年8月24日 (木) 19:41

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