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2006年9月30日 (土)

花のれん。

世間では女手一つで生活を支えておられる方がたくさんいます。
ご主人に先立たれた方、離婚された方、それぞれに事情は異なりますが、子供を抱えていたらつらつらと泣き言もぼやいてられないはずなのです。
もうがむしゃらに頑張るしかないのです。
それが子供を儲けた女に与えられた使命であり、義務なのです。

私は山崎豊子の「花のれん」を読みました。この作品を読了した後、そこに女の生き様を見ました。
女は計算高く、狡賢く、したたかでなければいけません。
男が自分以外の女にうつつをぬかした時、道楽に溺れて借金を作ってしまった時、ただめそめそと泣き崩れる女はそこまでなのです。
しょせん男(夫)の尻拭いは女(妻)に課された使命なのですから・・・

山崎豊子は大阪市出身の女流作家です。京都女子大学国文学科を卒業しています。「花のれん」では第39回直木賞を受賞しています。代表作の「白い巨塔」は、テレビドラマや映画であまりにも有名。他に「沈まぬ太陽」等多数ベストセラー作品を生み出しています。
山崎豊子の作風は、フィクションに実話を織り込むという手法を用いているのですが、文壇では賛否両論あるようです。
「花のれん」の主人公は吉本興業の創設者である吉本せいがモデルだと言われています。実在の登場人物も多く出て来るのですが、どこまでが事実でどこからが脚色なのかは、読者には分かりません。
しかしそれをあれこれ想像しながら読み進めていくのも小説の醍醐味と言えるかもしれません。
では、あらすじです。

主人公の多加は、大阪・船場の商家(河島屋呉服店)へ嫁いだものの、亭主吉三郎の道楽のために倒産してしまう。
多加は生活のため、どうにかして立て直さねばと思案したあげく、吉三郎の一番好きな寄席や芸事に関する商売ならばと、
「それやったら、いっそのこと、毎日、芸人さんと一緒に居て商売になる寄席しはったらどうだす」
と、提案する。
芸人狂いで身上を潰した吉三郎なので、いっそのこと亭主が一番好きなことを、一番本気になってやってみてそれで失敗しても後悔はないだろうと踏んだのだ。
最初に二人は天満宮の境内のすぐ側にある粗末な寄席(天満亭)を買い取った。多加は芸人衆の仕込みや祝儀の入用を借金するのに、一時しのぎから高利貸しに借りるということは絶対にしなかった。小金を持った年寄りから少しずつ細かく借り、細かく返して利子を安くあげるという考えがあったのだ。
また、客が食い散らかしたみかんの皮を掃き寄せると、丁寧に干し、よく乾燥させると、それを薬問屋へと卸した。お金に換わるものは、例えみかんの皮一つ無駄にすることはなかったのだ。
商売が軌道に乗って来ると、吉三郎にも女が出来た。
多加はそれに気がつき、最初のうちは嫉妬にもがき苦しんだ。しかしそのうち人が変わったように積極的に商いに身を入れ始めた。そうすることで、夫への失望感や悪あがきから逃れたかったのだ。
吉三郎の朝帰りも公然のことのようになったある時、衝撃的な一報が多加のもとに来る。
なんと、吉三郎が妾宅で同衾中の発作から心臓麻痺で亡くなってしまう。
しかし多加にめそめそ泣いているヒマなどなかった。一人息子や他の使用人たちを路頭に迷わすわけにはいかない。女を捨てて、身を粉にして働く日々が再び始まったのである。

この作品には甘いムードやロマンスはほとんど感じられません。
途中、多加が女として身を焦がす市会議員の伊藤とのやりとりがありますが、哀しいかな、やはり多加は「女」を選ばず、「商人」を選んでしまいます。
恋愛だけが人生ではない、女性の無限の可能性を示唆してくれる一作なのです。

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2006年9月26日 (火)

魂の叫び。

最近は好きな音楽からも遠ざかり、ましてやコンサートに出かけて熱気溢れる会場でライブに身を焦がすこともなくなりました。
今日は映画を観る気分ではなくて、歌を聴きたい気分でした。
私はU2の「魂の叫び」を、狂ったように繰り返し聴きました。

U2は1980年にデビューしたアイルランド・ダブリン出身の社会派ロック・バンドです。メンバーはリード・ボーカルのボノ、ギターのエッジ、ベースのアダム、ドラムのラリーという4人から編成されています。
アルバム「ヨシュア・トゥリー」でグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞したことで、本格的に世界のU2としてスーパーグループに押し上げられました。
U2というロック・バンドの根底に流れるのは、常にメッセージ性を有すということです。アイルランド出身の彼らが放つ魂の叫びは、切っても切れないその土地柄にあるかと思われます。
詳細は勉強不足ゆえとても説明出来ないので、私の分かる範囲で要約すると、16世紀にイギリスは独自の英国国教会を立ち上げ、それをアイルランドにも押し付けたのです。しかしアイルランドは正統なカトリック教徒。ここで宗教戦争が勃発します。それがいわゆるアイルランド紛争と呼ばれるものなのですが、これは非常に根が深く、単なる宗教問題ではなく、アングロサクソン人VSケルト人という民族戦争でもあったわけです。
この戦争のせいでアイルランド北部では人口の大半が死に、土地は全てイギリスに没収されるという忌わしい惨劇があったのです。
このような過去の歴史を引き摺ったアイルランド人の血を引くU2が、時代の過酷さに耐えて、愛と平和を訴え続ける姿に人々は魅了されるのです。

「ヨシュア・トゥリー」を初めて聴いた時、そこに天使が舞い降りて来るのを見たような気がしました。
力強く、救出を助けるエッジのギターと、それに呼応してエモーショナルなボノのボーカルが、天空を駆け巡るのです。私は全身に鳥肌が立ちました。忘れもしない、中学2年生の時です。
その後、ツアーの模様が収録されたライブの曲とスタジオ録音された曲とのコラボレーションが「魂の叫び」として発売されました。
その4年後、衝撃の「アクトン・ベイビー」が発表されました。
あの驚愕と動揺は今も忘れることが出来ません。それまでのシンプルな演奏スタイルは覆され、90年代を意識した金属音、デジタルを導入したテクノ・ハウス系に。エッジのギターもすっかり様変わりして内へ内へと入っていくし、ボノは重く憂鬱なボーカルへと一転。まるで作風が異なってしまったのです。
そしてU2のストイックな純粋主義のイメージは「ZOOROPA」の発表により、音を立てて崩れ落ちてしまいました。不透明で、歪んだ、無責任の極致に飛び込んで行ってしまったのです。
私は結局、この「ZOOROPA」のアルバムを買ったのが最後となり、それ以降は買っていません。
U2が嫌いになったとか、イデオロギーの違いであるとか、そういう問題ではないのです。
昔、東京ドームでU2が最後に演奏した「プライド」を、ドームの天井が突き抜けるほどに聴衆と一体となって大合唱したあの夜を、忘れることが出来ないのかもしれません。

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2006年9月25日 (月)

摩訶耶寺。

天竜浜名湖鉄道開業20周年記念ということで、職場で一日乗り放題乗車券が発売されています。大人¥1000でフリー切符とのことなので、とりあえず買ってみました。
今日は天気も良く仕事も休みだったので、早速その切符を手に天浜線の旅を楽しんで来ました。
天浜線は掛川から新所原までを約2時間ほどかけて結ぶ、1輌編成のローカル線です。ほとんどの駅舎が木造で小さなそれですが、レトロで情緒溢れる外観になっています。
ユニークなのは駅に設置されているトイレで、三ケ日駅にある「美の館」は和風で、枯山水があったらまるで日本家屋のような趣さえあります。また、尾奈駅に設置されているトイレは浜名湖特産のうなぎが籠から顔をのぞかせている、ちょっとしたオブジェになっています。

特に目的のない私は、とりあえず三ケ日駅で下車。
摩訶耶寺へ赴くことにしました。摩訶耶寺へは歩いて行ける距離ではなかったので、タクシーを使って移動しました。
このお寺は高野山真言宗の古刹で、行基によって開創されました。
ご利益にあやかれそうだと思ったのは、国宝に指定されている不動明王像と千手観音像を拝観した時です。その古い伝統と高い芸術性を前に、手を合わせずにはいられなかったほどです。
本堂を出て庭園をぐるりと一周したのですが、これもまた素晴らしく、東日本には珍しい平安様式なのだそうです。
造形力の高い池に無数の睡蓮が広がり、朝陽を浴びてキラキラと輝くのでした。
拝観料大人¥300でこれだけの贅沢をさせてもらえるのは、本当にありがたいことです。
それもこれも天浜線のおかげで、もしそれがなかったら私のように自動車を持たない者には簡単に来られるような場所ではないのです。
よくぞこの場所にこの駅を作ってくれたと、天浜線の前身である国鉄二俣線に最敬礼したい気持ちでいっぱいでした(笑)
難点なのは、どこかで道草食って列車に乗り遅れると、次の列車までさらに1時間待たねばならないことです。
しかし、のんびりとローカル線の旅を楽しむにはそれもまた一興なのです。

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2006年9月24日 (日)

海がきこえる。

今朝は打ち上げ花火の音で目が覚めました。近くの小学校で運動会があるようです。
夏の間じゅう、どうしようもない深い疲労に襲われていた私ですが、朝夕の乾いた涼しさと秋風に震える虫の声を聞いた時、疲労から孤独へと一転しました。
こんな日は気を紛らわせるために、何か適当なDVDでも観るのが一番なのです。
私は「海がきこえる」を観ました。ジブリファンの職場の同僚から借りたものです。本命は「魔女の宅急便」だったのですが、他の人に貸したきりまだ返却されていないとのことだったので、結局「海がきこえる」を借りることになりました。
この作品は1990年の12月から2年間に渡り、月刊誌「アニメージュ」(徳間書店)に連載された小説で、その後テレビアニメ化されました。
スタジオジブリによる制作ですが、若手を育成する目的で制作されたため、宮崎駿や高畑勲は全く関わっていません。
「海がきこえる」の注目点は、何と言っても原作者が氷室冴子であると言うことでしょう。少女小説家と言えば氷室冴子。私と同世代の女性は氷室冴子の名前を知らない人はいないのではとさえ思います。
氷室冴子は北海道出身で、藤女子大学文学部国文科を卒業しています。
中学生のころ、コバルト文庫にあった氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」や「ざ・ちぇんじ!」等を読んで、友人たちと感想を言い合ったものです。
では、あらすじです。

物語は、東京の大学へと進学した高知市出身の杜崎拓が、吉祥寺駅の反対側ホームに武藤里伽子の姿を目撃したところから回想が始まる。

高校2年の夏、東京から里伽子が転校して来た。両親の離婚による都合で里伽子は母親の実家のある高知へと引っ越して来たのだ。
杜崎の親友である松野は、美人でスレンダーでどこかクールな里伽子にひとめぼれ。杜崎はそれに気付いて、自分の里伽子への想いを直隠しにする。
ある時、里伽子は東京の父親に会いたいばかりに杜崎から6万円(飛行機代他)を借りる。杜崎がアルバイトで稼いでいることを知っていたのだ。
ひょんなことから杜崎は里伽子に付き合って東京まで行くはめになってしまう。父親に会えると、喜び勇んで元いたマンションを訪ねると、そこには見知らぬ女性がいた。それは父親の再婚相手だったのだ。
里伽子は失意のうちに杜崎の待つビジネスホテルに押しかける。
不安定で傍若無人な里伽子に翻弄されながらも、放っておけずにいる杜崎。

この物語は舞台が高知市ということもあり、土佐弁でのやりとりが続きます。何となく古めかしいような、それでいてあたたかみのある言葉遣いにいつの間にか穏やかな気持ちにさせられます。
主人公の二人、杜崎と里伽子は手も握ることなく、ぎこちない高校生の初心な姿を披露してくれます。
さらには、同じ女性を好きになってしまう杜崎とその親友松野の、暗くなり過ぎない苦悩と、精神的な絆の深さを垣間見せる友情も非常に好感が持てます。
ジブリらしいジブリ作品なのです。

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2006年9月23日 (土)

異人たちとの夏。

本当の孤独を味わった時、人は幻影を見ます。
実在するはずのない人物が優しく語りかけ、時にはその者の息遣いや体臭すら感じることも出来ます。
孤独は絶望などではなく、異次元の世界への入り口なのかもしれません。

私が「異人たちとの夏」を読んだのは、平成11年の春、母を亡くして間もない時でした。古本屋で見つけたその文庫本には、¥50の値札が貼ってありました。
当時不眠に悩まされていた私は、毎晩本を片っ端から読み漁りました。目や頭を酷使することで眠気を催そうというささやかな知恵だったのです。さらには孤独から逃れるための必死の抵抗でもあったのです。

著者の山田太一は脚本家であり小説家でもあります。
東京都台東区浅草出身で、早稲田大学教育学部を卒業しています。寺山修司とは同窓生の関係にあり、寺山の無類の個性に衝撃を受けます。映画監督である木下恵介に師事します。
代表作(脚本)に「ふぞろいの林檎たち」等があります。
では「異人たちとの夏」のあらすじです。

妻子と別れた脚本家の原田は、マンションに一人暮らし。
都会のど真ん中に位置するマンションだと言うのに昼間の喧騒から一変、夜はあまりに静か過ぎて暗闇の中空に取り残されてしまった感覚に襲われるほどであった。
ある晩、同じマンションに住む女が突然原田の部屋を訪ねて来る。
あまりの孤独と静寂に押しひしがれてのことなのか、お酒をいっしょに飲もうと言う唐突な申し出だった。しかし原田はそんな気分ではなかった。都合かまわずそんなことを言ってくる無神経に強い嫌悪があり、警戒したのだ。原田はそれを断り、日を改めてその女に付き合うことにした。
ある日原田は浅草の寄席で、亡き父親にそっくりの男と出会う。男は気さくに原田を自分のアパートまで連れて行く。するとそこには、やはり母親そっくりの女が待っていた。
原田は12歳の時に両親を事故で亡くしていた。目の前にいる両親そっくりの夫婦は、原田の覚えている三十六年前の両親そのものであった。二人の側にいるだけで癒され、何とも言えぬ安らぎを全身で体感するのだった。
一方で、原田はいつかの晩訪ねて来た同じマンションに住む女の酒の相手になっているうちに深い関係になってしまう。しかし女は胸に酷い火傷の痕があるので絶対に見ないでほしいと言う。原田はどんなケロイドがあろうとそれを見て嫌悪することはないと言ってみたが、女は断じて拒み続けたので、性交はいつも後背位のまま済ましていた。
ある時、ふだんからよく顔を合わせているはずの仕事仲間から「急にやつれたな」と言われる。原田は自分がひどく頬がこけ、目の下が黒く、顔色も死人のように青ざめた形相をしていることに全く気付いていなかった。
原田は彼岸の人である父母との交渉があったことで、生気が奪われていたのだ。
どうしようもない孤独の日々の中、無意識下に幻覚を立ち上げ、満たされなかった明るさと愛情を求めていたのだ。

この作品は1988年に映画化されました。監督は大林宣彦、脚本は市川森一、出演は風間杜夫、秋吉久美子などの演技派が顔を揃えました。
「異人たちとの夏」は、単なるホラー小説ではありません。どうしようもない孤独に襲われ、内面の弱さによる人格崩落の兆しがあった時、この本は本当に怖いものを教えてくれます。
孤独など怖れるべきものではなく、実は「自分」と言う個が一番怖いものなのである、と。

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2006年9月18日 (月)

泣いて馬謖を斬る。

学生時代、中国古典に詳しい教授がいました。
その先生は法家の韓非子に心酔し、自分もかくありたいと大学の法学部に進んだのだそうです。
私の専攻は英文学でしたが、選択科目として週に2回だけの法学の講義が待ち遠しくて仕方がありませんでした。
社会に法のある理由、法のない社会はどうなってしまうのか、果ては人間の本質とは実のところどんなものなのか。
先生の講義は、私の興味を惹きつけて止みませんでした。
講義が終ると早速先生のところへ行き、他の女子学生に交じって楽しく歓談したのです。
その際、今でも印象に残っている話題なのですが、「三国志」の<泣いて馬謖を斬る>の件についてです。これは、三国志を通読したことのある人ではないと分からない場面かもしれません。

蜀の軍師諸葛孔明は北伐に挑んでいたが、孔明の助言を軽んじた部下達の失策により情勢は思わしくなかった。
漢中の急所である街亭を敵に奪われたら蜀軍は総崩れになってしまうことは明らかだった。
孔明は何としても街亭を死守する必要があった。
「それがしが参りましょう。」
と、申し出たのは名将馬謖だった。
この時、孔明の配下には豪傑と謳われた関羽も張飛もすでにいない。
若き馬謖に不安は覚えるものの、採用するしかなかったのだ。
「仲達は尋常の男ではない。おぬしで守れるか?」
「何を恐れましょう。もし失敗があれば一家ことごとく打ち首でも構いません。」
孔明はその言葉に胸騒ぎを覚えたものの、馬謖のたっての願いを聞き入れてしまう。
「ならば、行け。」
結局、孔明は二万五千の精兵と、万事に慎重な王平を副将として馬謖に与え、街亭を当たらせることにした。
馬謖は街亭に到着するやいなやその地勢を眺めてからからと笑った。
「わしは幼少のころから兵書を熟読し、兵法はいささか心得ている。丞相(孔明)がおおせの道の口は陣を張る場所ではない。あの山の上に陣を敷こう。」
策士、策に溺れるとは言ったものだ。馬謖は副将の王平が止めるのも聞かず、また孔明から授けられた策をも無視し、独断に任せて山上に陣を取ってしまったのだ。
敵の仲達はその様子を見て手を打って喜び、
「天が我が成功を助けたもうたのだ!」
と言うや、自ら大軍を率いて進撃して来た。
馬謖のいる山は敵軍に包囲され、水、食糧を絶たれ、陣中は混乱を極めた。馬謖の大敗であった。
死に物狂いで馬謖は山を駆け下り、九死に一生を得たものの、漢中に戻って自ら縄にかかって孔明の前に跪いた。
「軍律通り、処刑に致す。」
孔明は首を打てと厳しく言い渡した。その孔明の横顔には、一筋の涙が垂れていた。

学生時代、この場面についてはさすがの孔明びいきの私でさえ納得がいきませんでした。名将馬謖を一度の失敗にむざむざ死刑にしたのは余りに冷酷な判断ではなかったかと。けれど法学の先生は、
「孔明の判断で間違いないよ。」
と言いました。
法をおろそかにすることの危険性、私情を差し挟むことの愚かさを説明してもらいました。法によって社会の秩序が保たれていることを、改めて実感した私なのでした。

勝ちを天下に制する者は法を用うること明らかなるに依る
(孫子より)

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2006年9月17日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日。

今日は町内会の行事で敬老会がありました。
町内に住む70歳以上のお年寄りが公民館に集い、楽しく歓談しながら会食します。
その間、ボランティアによる人形劇を鑑賞したり子供会の歌や手遊びなどで場内を盛り上げるのです。
私は役員ということもあって朝から借り出され会場の準備などを手伝い、その後は袖の方で催し物を楽しませてもらいました。

そこに集った30数名のお年寄りの皺の数に、戦後を担って来た努力と苦労の跡を見たような気がしました。
私はたまたま借りていた「ALWAYS三丁目の夕日」を観ることにしました。
敬老会の後片付けが済んだ後は、もう真っすぐに帰宅して好きな映画でも観ながらのんびりくつろぐのが一番の休息になるからです。

「ALWAYS三丁目の夕日」は2005年に公開された映画です。
山崎貴という新鋭の監督がメガホンを取ったのですが、脚本そしてVFXも担当しています。
山崎貴は長野県松本市出身で、阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業しています。伊丹十三作品では「大病人」や「静かな生活」においてデジタル合成技術に参加し、高い映像技術を学んでいます。
一方、原作の西岸良平は東京都世田谷区出身で、立教大学経済学部を卒業しています。ビッグコミックオリジナル(漫画)にて「三丁目の夕日(夕焼けの詩)」を連載し、2005年に実写化されました。
他の代表作に「鎌倉ものがたり」等があります。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」の見どころは、何と言っても昭和30年代の街並みをほぼ忠実に再現した特撮技術の高さと言えるかもしれません。建設中の東京タワーなど一体どうやって再現したのだろうと、その技術力は目を見張るものがあります。
物語は昭和33年の東京下町が舞台になっています。個性豊かな住民たちの日常の一コマ一コマがストーリーになっているのですが、特に私の好きなチャプターのあらすじを紹介します。

町医者である宅間(三浦友和)は、行きつけの飲み屋でほろ酔い加減。
そろそろ帰ろうかと、土産に焼き鳥を5,6本包んでほしいと女将に注文する。「娘の好物でね・・・」
原付バイクを転がしながら夜道をとぼとぼと歩いていると、やがて灯りの点いた我が家へ到着。
「ただいまー」と言って玄関を入ると6,7歳の娘が「おかえりなさーい」と宅間に飛びついて大喜び。土産の焼き鳥を楽しみに待っていたのだ。
居間のちゃぶ台に焼き鳥の包みを広げると、妻子とも嬉しそうにほお張る。
けれどそれは現実ではなかった。
宅間は道端に酔っ払って眠りこけていたのだ。側を通りかかった警官に声をかけられ、ふと我に返る。
宅間は肩を落として原付バイクを転がし、帰宅する。
実際は灯りのない、寒々とした我が家。そこに妻子の姿はなく、あるのは静寂だけ。宅間は空襲で妻子をなくしており、たった一人きりの侘しい生活をしていたのだ。

この場面は長いセリフもなく、BGMもありません。
けれど戦争の爪痕とも言うべき、悲哀、孤独、寂寥といった暗い影を感じることが出来ます。
映画とは、セリフやBGMに頼らない役者の質感と映像美も含めて評価されるべきものだと思うのです。
そういう意味でこの作品は満点とまではいきませんが、大衆に思わず涙を誘う完成度の高いものに仕上がっています。

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2006年9月15日 (金)

細君譲渡事件。

大正期にもこのような道ならぬ恋があったのです。
不倫とか情事というものは、なにもテレビドラマで始まったものではないのです。80年代を席巻した「金曜日の妻たちへ」より、遥か昔に現実として存在した人間の文化だったのです。

佐藤春夫は谷崎潤一郎夫人である千代に対し、憐れみを感じていました。
谷崎潤一郎は「男嫌いの女好き」で、よりによって妻である千代の妹、せい子にまで手を出したのです。もちろん千代はそのことを知っています。
開き直った谷崎は妻子を家に残し、むしろ堂々とせい子と外出していく始末。
その姿を傍らで見ていた佐藤は千代に同情、その後、恋心へと変わってゆくのです。

佐藤春夫は小説家であり詩人でもあります。
慶応義塾大学文学部予科を中退。代表作に「殉情詩集」「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」等があります。
芥川賞の初代選考委員の一人でもあります。
一方、谷崎潤一郎は言わずと知れた耽美派の作家として有名です。
東京大学文学部国文科を中退しています。
代表作に「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「細雪」等があります。

谷崎は一度は佐藤に千代を譲ると言いながら、それを撤回。その後二人は絶交します。
<千代が惜しくなった谷崎が話をなしにした、と言えば簡単だが、それだけではない。佐藤が千代を口説き始めると、性は知っても恋を知らず谷崎に連れ添ってきた千代は、初めて恋の味を知り、見違えるような美しさを湛えるようになった。それを見て、惜しくなったのだ。>
佐藤は千代に対する恋慕がますますつのります。
身を焦がすほどの激しい熱情に仕事も手につかず、つらつらとその想いを手紙にしています。

私はこの上にも、何でもします。世間の名誉、何も僕はほしくないのです。えらくなりたくも何ともないのです。ああ、ただあなたの愛がほしい。思ふ存分あなたを愛して見たい。しかしその望も何もないのか。(略)
『定本佐藤春夫全集』より

この後、佐藤は神経症を患い、その心の傷を癒すために郷里にひきこもります。その時書き綴ったのがかの有名な「秋刀魚の歌」なのです。
しかし、最終的には昭和に入ると谷崎と佐藤は和解し、それをマスコミに公表。めでたく佐藤は千代と結ばれることになります。
この当時の記事は朝日文庫から出ている「朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚」で詳細を知ることが出来ます。
この本には他にも<英エドワード八世「王冠を賭けた恋」>や<太宰治氏情死、玉川上水に投身>等の興味深い記事が盛りだくさん掲載されています。

今年は谷崎潤一郎生誕百二十周年でもあるので、こういう粋な恋愛を古人から学ぶのもオツなものではないでしょうか。

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2006年9月11日 (月)

耳をすませば。

35歳のいい大人が観る作品なのだろうかと、半信半疑で職場の同僚から借りて来ました。
スタジオジブリの制作ということもあるので、とりあえず観ても損はないだろうと、その程度にしか思っていませんでした。
原作は柊あおいという少女漫画家で、「耳をすませば」はりぼん(少女漫画雑誌)で1989年8~11月まで連載されたものです。
他の代表作に「星の瞳のシルエット」等があります。
「耳をすませば」は、1995年に公開されました。
まず驚いたのは背景の描き込みの細かさ、リアルさ。さすがはジブリ作品。単なるアニメで終わっていないのです。

では、あらすじです。
月島雫は明るく活発で、三度の食事より読書好きの女子中学生。
自分の借りて来た本の貸し出しカードを見ると、いつも<天沢聖司>という人物が借りている。自分と同好の本を借りてゆく<天沢聖司>が気になって仕方がない。
ある時、ふとしたことから雫は天沢聖司と出会う。彼は中学を卒業したらイタリアに渡ってバイオリン職人の修行をしようと心に決めていた。
雫は同い年の聖司が、自分の夢に向かって体当たりで頑張っている姿に心惹かれる一方で、自分にはこれと言った夢も才能もなく焦りを感じる。
聖司の生き方に少しでも追いつこうと、雫は寝る間も惜しんで物語を書くことにする。それが今、自分の最もやりたいことだと思ったからだ。
しかし、「書く」という作業はそれほど容易いものではなかった。
雫は改めて、勉強して知識と教養を養うことの大切さを実感する。
ラストは聖司が早朝の寒空の下、自転車で雫のアパートの前まで迎えに来て、二人で街を一望できる見晴らしの良い丘へと出掛ける。

偶然の出会いと純粋な恋、思春期の迷い、焦りがもたらす成長を瑞々しく描き上げた作品です。
挿入歌に「カントリー・ロード」が使われていますが、これもまたノスタルジックで効果的です。
さらに、糸井重里のつけた『好きなひとが、できました。』というキャッチコピーも、中学生らしい初々しさと素朴さでジャケットを飾っています。
この作品を手掛けた近藤喜文監督は、解離性大動脈瘤のため47歳という若さで他界しています。「耳をすませば」は、最初で最後の監督作品でした。
全体を通して言えるのは、「感動する」と言うより、「安らぎ」「和み」「郷愁」、今風に言えば癒し効果のある作品なのです。

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2006年9月10日 (日)

てのひらのほくろ村。

毎日毎日、人は生きるために自分には合わないと分かっている仕事に身を投じ、毎晩少しずつ自分の身体の一部をそぎ落としていくのでしょうか?
少しでも自分を知るための参考になればと思い、占い本や自己啓発の本も読みました。けれど、それさえ疲れてしまったのです。
かえって、今の自分とはかけ離れたところにある児童書や絵本のページを何気なくめくってみると、心癒されたりします。
私は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を読んでみました。
すでにこの作品の内容は小学生の頃教科書に載っていたこともあり、承知しています。
でも何かが新鮮で、何かが違っているのです。
そう、それは挿絵でした。
スズキコージの描く、サイケデリックでしかも大胆な架空の世界でした。
スズキコージは静岡県浜松市(旧浜北市)出身で、県立浜松西高校を卒業しています。
幼少の頃から絵を描くことが好きで、ゴッホの画集を食い入るように見つめ、あるいは母親につれられ山下清展に出掛けるなどして様々な芸術に触れる機会に恵まれたようです。
自身、「絵描きになったのも他にふさわしい職業がなかったから」とのこと。
代表作に「エンソくんきしゃにのる」「やまのディスコ」等があります。
スズキコージの初エッセイ集でもある「てのひらのほくろ村」では、まだ合併前の浜北市が、その昔、浜名郡浜名町小野口村と呼ばれていたころの、古き良き故郷のあふれんばかりの思い出を綴っています。

「幼い時の思い出が、ひとつでもあると、その前後左右がイモづる式に出てくるもので、まるで石を池に投げた時の波紋のごとくにわき出たのです。」

この自叙伝に触れると、なるほど、画家スズキコージはこうして誕生したのかとうなずけます。
奇抜な発想、枠にとらわれない大胆な構図、キラキラと輝くサイケデリックな宇宙。人が毎晩すり減らした身体のひとかけらひとかけらが全て揃っているのです。そのパーツを組み合わせると、みるみるうちに人はファンタジーな世界にトリップします。そういう世界がスズキコージの中には存在するのです。

「てのひらのほくろ村」にあるエピソードを一つ。
ある日、薬売りの白いヒゲのおじいさんがスズキコージの家の人に言いました。
「この子どもの右のてのひらの中央に、何万人に一人の黒ぐろとしたほくろがあるので、この子は大事に育てなさい。」と。
でもそのほくろも、現在ではウスくなってほとんど消えてしまったそうな。
それもまた、静かな時の流れを感じさせる逸話なのです。

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2006年9月 8日 (金)

三顧の礼。

私が小学校6年生の時、毎週(土)の夕方6時からNHK人形劇三国志が放送されていました。
何がきっかけで観るようになったのかは覚えていませんが、気付いた時は三国志の世界観にどっぷりと浸かっていました。
学校の図書室で借りた岩波少年文庫の「三国志・上・中・下」の3巻を読むために、親には「風邪をひいた」と嘘をつき、ズル休みまでした覚えがあるほどです。(笑)
それぐらい夢中になって読んだ本というのは、後にも先にも「三国志」だけかもしれません。
その後、吉川英治の「三国志」も読みましたが、小、中学生用に簡潔に分かり易く書かれた岩波少年文庫のそれとは違い、夢とロマンを感じさせる壮大なスケールの物語に形を変えていました。
「三国志」とはそのタイトル通り、中国が三つの国に分かれて争う物語です。
まず物語前半の山場となるのは、100年に一人の大天才と謳われた諸葛孔明を幕下に加えようと、劉備玄徳が三度孔明の草廬を訪れる件です。これが有名な「三顧の礼」です。
この時孔明は弱冠二十七歳。二十歳も年長の玄徳が、この若き戦術家に頭を下げ続けるのです。と言うのも、玄徳には天下無敵の豪傑と謳われた関羽、張飛という義弟に恵まれていましたが、その一方でそれら名将を上手に操り、戦いの指揮を執る軍師が欠けていたのです。天文、地理に通じ、超人的な智謀を持つ孔明は、天下統一を計る玄徳にとっては何が何でも必要な人材だったのです。
しかし、孔明という逸材をそう易々とは幕下に加えることは出来なかったのです。
一度目も二度目も対面することが出来ず空しく帰路につき、それでもあきらめず三度も草深い隆中の臥龍岡へ赴くことでやっと孔明と対面することが出来たのです。この時の玄徳のこみ上げる嬉しさ、湧き上がる感動を想像すると、こちらまで胸が熱くなってしまうのです。
私などいつもあきらめの胸中から脱却出来ず、「根気」とか「努力」という言葉には無縁の生活を送っています。
何か一つのことにこだわるというのは、ある意味疲れることでもあるからです。
倒れても倒れても起き上がる強靭な精神力。心を揺さぶる崇高な情熱。礼を尽くした真摯な態度。今の私に微塵も感じられないものばかりです。
あきらめの人生では手中に得るものも得られずじまいになってしまいます。
努力を惜しまず、雨にも風にも負けない強さを獲得したいものです。そうすれば、もしかしたら玄徳が孔明を得たのと同じように、私にも特別な何かを得られるチャンスが廻って来るかもしれません。

「我の孔明あるはあたかも魚の水あるが如し」
(水魚の交わり)

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2006年9月 4日 (月)

恋文。

私が思春期の苦悩に苛まれている時、この作品が巷で静かな話題をよんでいました。
実際に手に取って読んでみたのは、二十歳になってからです。
その時のこの「恋文」に対する感想と言えば、登場する男性がどこか儚げで、脆く、反して女性は芯が強く、大人だなぁと感じたことです。
全体を通してロマンティックで耽美な空気が漂い、流れるように読み易いのです。でも当時の私としては、スリリングで危険さをはらんだミステリアスとラブを求めている年頃だったせいか、あまり印象に残る小説ではありませんでした。この小説に登場する異性(私にとって)は、必ずしも納得できる、いわゆる理想像とはかけ離れていたため、どこか否定的な見方をしていたのです。
ところが三十代も半ばになった今、改めてこの小説を読み終えてみると、二十歳の頃に抱いていたわだかまりがみるみるうちに溶けていくような気がしました。

作者の連城三紀彦は名古屋市出身で、早稲田大学政経学部を卒業しています。1984年にこの作品「恋文」で第91回直木賞を受賞しました。
他の代表作に「戻り川心中」「変調二人羽織」等があります。
氏は浄土真宗の僧侶でもありますが、作品そのものに宗教色は感じられません。ストイックな精神を貫いてなのか、いまだ独身。自身が高齢のお母様の介護をされているそうです。

年を経てこの「恋文」を読んだ今言えること。
それは「優しさは罪」であるということ。
もしあなたのご主人、あるいは彼氏のところに、白血病で余命幾ばくもない女性が十年ぶりに訪ねて来たらどうしますか?
その女性の最期を看取りたいと家出し、別れて欲しいとご主人(彼氏)が言い出したらどうしますか?
この作中の妻のように、病気の女性を見舞い、夫とその女性の結婚式のために「ラブレターよ」と言って離婚届を渡すことができるでしょうか?
「恋文」には他4編の短篇小説が収められていますが、どれも秀逸です。
大人の純愛を堪能することができるはずです。

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2006年9月 3日 (日)

深い河。

実に十数年ぶりに短大時代の友人から電話がありました。
彼女は同じ英文学科の同期生の中でも抜きんでて語学力があり、努力家で、何事にも前向きに取り組む人でした。
短大卒業後、彼女は敬虔なクリスチャンとなり、宣教活動などで海外での滞在が長く、日本にはほとんど帰国できない多忙な生活を送るようになってしまいました。
先年やっとパプアニューギニアでの活動を終えて帰国したばかりだと言うのに、またすぐに次の赴任先を希望しているとのこと。
「日本ウィクリフ聖書翻訳協会のメンバーとして働きたいんだけど、ノンクリスチャンの人に調査書を書いてもらいたいの。」
要するに、彼女が海外で働くに当たって何ら問題ない人物であるかをクリスチャンではない友人などに客観的に診断してもらう必要があるとのことでした。私はそんなことで彼女の役に立てるならと思い、快く承諾しました。

そんな中、私は以前読んだことのある遠藤周作の「深い河」を思い出しました。
遠藤周作は東京都豊島区出身で、慶應義塾大学仏文科を卒業しています。母親が熱心なカトリック信徒であり、周作自身もその影響で11歳の時カトリックの洗礼を受けています。そのせいか彼の発表した作品の多くは、「受難」や「道徳意識」「良心の呵責」等にテーマを置いています。
1955年に「白い人」で第33回芥川賞を受賞しており、代表作として「海と毒薬」「キリストの誕生」「王妃マリーアントワネット」等があります。
「深い河」は、遠藤周作の晩年の作品ではありますが、不思議にも舞台となるのはヒンドゥー教の聖地インド・ベナレスなのです。
キリスト者である彼があえてインドを描いたのは何故?
作中、大津という生真面目すぎて、終始まことに無骨で不器用な神学生が登場します。その大津は、フランスの神学校における口頭試問の際、
「神は色々な顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者にも神はおられると思います。」
と答えてしまい、ついに神父になれずじまいになってしまいます。
この大津の発言に、私はキリスト者遠藤周作の「迷い」を見てしまったような気がしました。唯一絶対の神を敬わねばならぬ立場のクリスチャンが、他宗教の神も認めてしまったのですから。
この「深い河」は、様々な世代が背負う愛と苦悩、生と死を描いた作品です。

「ガンジス河は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰をのみこんで流れていきます。」

人生の意味とか意義を考える時、この小説は混沌とした心の闇に一筋の光を射し込んでくれることでしょう。

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2006年9月 2日 (土)

水辺のゆりかご。

人間とは、とてつもなく臆病で偽善的な生き物です。
とりわけ私など、外では何食わぬ顔して強気な姿勢で生活していますが、実は張り詰めた糸のように余裕がなく、いつ切れてしまうともしれない緊張感と闘っているのです。
そして、自分よりも過酷で大変な環境に身を置いている人を探しては「この人よりはマシだ」と、自分を勇気付け、慰めている偽善者なのです。
その延長線とも捉えられかねませんが、私は柳美里の「水辺のゆりかご」を読みました。
柳美里は横浜市出身の在日韓国人の作家です。横浜共立学園高校中退後、劇団東京キッドブラザースに入団、舞台女優としてデビューします。その後、18歳で自ら劇団青春五月党を旗揚げし、意欲的に活動を展開していきます。
1997年には「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞し、いよいよその名が世間に知れ渡ります。代表作に「フルハウス」や「ゴールドラッシュ」等多数あります。
柳美里作品の特徴と言えば、「家族」をテーマにしたもの、また「赤裸々」という表現が相応しいかどうか、妙に生々しくプライベートな内容の私小説が多いことです。
今回読了した「水辺のゆりかご」で言えば、彼女が出生した時点から既に物語が始まっているような錯覚に陥ります。
在日韓国人夫婦の間に生まれたということ、複雑な家庭環境、学校でのいじめ、万引き行為、友人の裏切り、見ず知らずの男に体を汚し、自殺未遂。
まるで救いのない憂鬱で孤独な毎日なのです。そこに希望が見出されるのは、過去がどうあれ、結果、そこに作家として大成した柳美里がいるからこそ救われるのです。そうでなければ余りに過酷で、想像を絶するほどの絶望的な世界なのです。
柳美里があとがきに寄せているのですが、

これは<自伝>でもなく<小説>でもない。私はいおう、これは言葉の堆積である。言葉の土砂であるとーー。

彼女はそれを自分のことであると認めていながら、まるで他人事のような冷静さを保ち、作中の人物(自分)と距離を取っています。それはつまり、自分というヒロインの演じる人生の創作劇なのかもしれません。
そう考えると、柳美里という人は、無頼派の孤高な劇作家とも言えるでしょう。

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