花のれん。
世間では女手一つで生活を支えておられる方がたくさんいます。
ご主人に先立たれた方、離婚された方、それぞれに事情は異なりますが、子供を抱えていたらつらつらと泣き言もぼやいてられないはずなのです。
もうがむしゃらに頑張るしかないのです。
それが子供を儲けた女に与えられた使命であり、義務なのです。
私は山崎豊子の「花のれん」を読みました。この作品を読了した後、そこに女の生き様を見ました。
女は計算高く、狡賢く、したたかでなければいけません。
男が自分以外の女にうつつをぬかした時、道楽に溺れて借金を作ってしまった時、ただめそめそと泣き崩れる女はそこまでなのです。
しょせん男(夫)の尻拭いは女(妻)に課された使命なのですから・・・
山崎豊子は大阪市出身の女流作家です。京都女子大学国文学科を卒業しています。「花のれん」では第39回直木賞を受賞しています。代表作の「白い巨塔」は、テレビドラマや映画であまりにも有名。他に「沈まぬ太陽」等多数ベストセラー作品を生み出しています。
山崎豊子の作風は、フィクションに実話を織り込むという手法を用いているのですが、文壇では賛否両論あるようです。
「花のれん」の主人公は吉本興業の創設者である吉本せいがモデルだと言われています。実在の登場人物も多く出て来るのですが、どこまでが事実でどこからが脚色なのかは、読者には分かりません。
しかしそれをあれこれ想像しながら読み進めていくのも小説の醍醐味と言えるかもしれません。
では、あらすじです。
主人公の多加は、大阪・船場の商家(河島屋呉服店)へ嫁いだものの、亭主吉三郎の道楽のために倒産してしまう。
多加は生活のため、どうにかして立て直さねばと思案したあげく、吉三郎の一番好きな寄席や芸事に関する商売ならばと、
「それやったら、いっそのこと、毎日、芸人さんと一緒に居て商売になる寄席しはったらどうだす」
と、提案する。
芸人狂いで身上を潰した吉三郎なので、いっそのこと亭主が一番好きなことを、一番本気になってやってみてそれで失敗しても後悔はないだろうと踏んだのだ。
最初に二人は天満宮の境内のすぐ側にある粗末な寄席(天満亭)を買い取った。多加は芸人衆の仕込みや祝儀の入用を借金するのに、一時しのぎから高利貸しに借りるということは絶対にしなかった。小金を持った年寄りから少しずつ細かく借り、細かく返して利子を安くあげるという考えがあったのだ。
また、客が食い散らかしたみかんの皮を掃き寄せると、丁寧に干し、よく乾燥させると、それを薬問屋へと卸した。お金に換わるものは、例えみかんの皮一つ無駄にすることはなかったのだ。
商売が軌道に乗って来ると、吉三郎にも女が出来た。
多加はそれに気がつき、最初のうちは嫉妬にもがき苦しんだ。しかしそのうち人が変わったように積極的に商いに身を入れ始めた。そうすることで、夫への失望感や悪あがきから逃れたかったのだ。
吉三郎の朝帰りも公然のことのようになったある時、衝撃的な一報が多加のもとに来る。
なんと、吉三郎が妾宅で同衾中の発作から心臓麻痺で亡くなってしまう。
しかし多加にめそめそ泣いているヒマなどなかった。一人息子や他の使用人たちを路頭に迷わすわけにはいかない。女を捨てて、身を粉にして働く日々が再び始まったのである。
この作品には甘いムードやロマンスはほとんど感じられません。
途中、多加が女として身を焦がす市会議員の伊藤とのやりとりがありますが、哀しいかな、やはり多加は「女」を選ばず、「商人」を選んでしまいます。
恋愛だけが人生ではない、女性の無限の可能性を示唆してくれる一作なのです。
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