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2006年9月23日 (土)

異人たちとの夏。

本当の孤独を味わった時、人は幻影を見ます。
実在するはずのない人物が優しく語りかけ、時にはその者の息遣いや体臭すら感じることも出来ます。
孤独は絶望などではなく、異次元の世界への入り口なのかもしれません。

私が「異人たちとの夏」を読んだのは、平成11年の春、母を亡くして間もない時でした。古本屋で見つけたその文庫本には、¥50の値札が貼ってありました。
当時不眠に悩まされていた私は、毎晩本を片っ端から読み漁りました。目や頭を酷使することで眠気を催そうというささやかな知恵だったのです。さらには孤独から逃れるための必死の抵抗でもあったのです。

著者の山田太一は脚本家であり小説家でもあります。
東京都台東区浅草出身で、早稲田大学教育学部を卒業しています。寺山修司とは同窓生の関係にあり、寺山の無類の個性に衝撃を受けます。映画監督である木下恵介に師事します。
代表作(脚本)に「ふぞろいの林檎たち」等があります。
では「異人たちとの夏」のあらすじです。

妻子と別れた脚本家の原田は、マンションに一人暮らし。
都会のど真ん中に位置するマンションだと言うのに昼間の喧騒から一変、夜はあまりに静か過ぎて暗闇の中空に取り残されてしまった感覚に襲われるほどであった。
ある晩、同じマンションに住む女が突然原田の部屋を訪ねて来る。
あまりの孤独と静寂に押しひしがれてのことなのか、お酒をいっしょに飲もうと言う唐突な申し出だった。しかし原田はそんな気分ではなかった。都合かまわずそんなことを言ってくる無神経に強い嫌悪があり、警戒したのだ。原田はそれを断り、日を改めてその女に付き合うことにした。
ある日原田は浅草の寄席で、亡き父親にそっくりの男と出会う。男は気さくに原田を自分のアパートまで連れて行く。するとそこには、やはり母親そっくりの女が待っていた。
原田は12歳の時に両親を事故で亡くしていた。目の前にいる両親そっくりの夫婦は、原田の覚えている三十六年前の両親そのものであった。二人の側にいるだけで癒され、何とも言えぬ安らぎを全身で体感するのだった。
一方で、原田はいつかの晩訪ねて来た同じマンションに住む女の酒の相手になっているうちに深い関係になってしまう。しかし女は胸に酷い火傷の痕があるので絶対に見ないでほしいと言う。原田はどんなケロイドがあろうとそれを見て嫌悪することはないと言ってみたが、女は断じて拒み続けたので、性交はいつも後背位のまま済ましていた。
ある時、ふだんからよく顔を合わせているはずの仕事仲間から「急にやつれたな」と言われる。原田は自分がひどく頬がこけ、目の下が黒く、顔色も死人のように青ざめた形相をしていることに全く気付いていなかった。
原田は彼岸の人である父母との交渉があったことで、生気が奪われていたのだ。
どうしようもない孤独の日々の中、無意識下に幻覚を立ち上げ、満たされなかった明るさと愛情を求めていたのだ。

この作品は1988年に映画化されました。監督は大林宣彦、脚本は市川森一、出演は風間杜夫、秋吉久美子などの演技派が顔を揃えました。
「異人たちとの夏」は、単なるホラー小説ではありません。どうしようもない孤独に襲われ、内面の弱さによる人格崩落の兆しがあった時、この本は本当に怖いものを教えてくれます。
孤独など怖れるべきものではなく、実は「自分」と言う個が一番怖いものなのである、と。

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