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2006年9月17日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日。

今日は町内会の行事で敬老会がありました。
町内に住む70歳以上のお年寄りが公民館に集い、楽しく歓談しながら会食します。
その間、ボランティアによる人形劇を鑑賞したり子供会の歌や手遊びなどで場内を盛り上げるのです。
私は役員ということもあって朝から借り出され会場の準備などを手伝い、その後は袖の方で催し物を楽しませてもらいました。

そこに集った30数名のお年寄りの皺の数に、戦後を担って来た努力と苦労の跡を見たような気がしました。
私はたまたま借りていた「ALWAYS三丁目の夕日」を観ることにしました。
敬老会の後片付けが済んだ後は、もう真っすぐに帰宅して好きな映画でも観ながらのんびりくつろぐのが一番の休息になるからです。

「ALWAYS三丁目の夕日」は2005年に公開された映画です。
山崎貴という新鋭の監督がメガホンを取ったのですが、脚本そしてVFXも担当しています。
山崎貴は長野県松本市出身で、阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業しています。伊丹十三作品では「大病人」や「静かな生活」においてデジタル合成技術に参加し、高い映像技術を学んでいます。
一方、原作の西岸良平は東京都世田谷区出身で、立教大学経済学部を卒業しています。ビッグコミックオリジナル(漫画)にて「三丁目の夕日(夕焼けの詩)」を連載し、2005年に実写化されました。
他の代表作に「鎌倉ものがたり」等があります。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」の見どころは、何と言っても昭和30年代の街並みをほぼ忠実に再現した特撮技術の高さと言えるかもしれません。建設中の東京タワーなど一体どうやって再現したのだろうと、その技術力は目を見張るものがあります。
物語は昭和33年の東京下町が舞台になっています。個性豊かな住民たちの日常の一コマ一コマがストーリーになっているのですが、特に私の好きなチャプターのあらすじを紹介します。

町医者である宅間(三浦友和)は、行きつけの飲み屋でほろ酔い加減。
そろそろ帰ろうかと、土産に焼き鳥を5,6本包んでほしいと女将に注文する。「娘の好物でね・・・」
原付バイクを転がしながら夜道をとぼとぼと歩いていると、やがて灯りの点いた我が家へ到着。
「ただいまー」と言って玄関を入ると6,7歳の娘が「おかえりなさーい」と宅間に飛びついて大喜び。土産の焼き鳥を楽しみに待っていたのだ。
居間のちゃぶ台に焼き鳥の包みを広げると、妻子とも嬉しそうにほお張る。
けれどそれは現実ではなかった。
宅間は道端に酔っ払って眠りこけていたのだ。側を通りかかった警官に声をかけられ、ふと我に返る。
宅間は肩を落として原付バイクを転がし、帰宅する。
実際は灯りのない、寒々とした我が家。そこに妻子の姿はなく、あるのは静寂だけ。宅間は空襲で妻子をなくしており、たった一人きりの侘しい生活をしていたのだ。

この場面は長いセリフもなく、BGMもありません。
けれど戦争の爪痕とも言うべき、悲哀、孤独、寂寥といった暗い影を感じることが出来ます。
映画とは、セリフやBGMに頼らない役者の質感と映像美も含めて評価されるべきものだと思うのです。
そういう意味でこの作品は満点とまではいきませんが、大衆に思わず涙を誘う完成度の高いものに仕上がっています。

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コメント

こんにちは
実はボクも昨秋この映画を見ました。というよりも、西岸良平がビックコミックに連載を始めた頃からの、ファンなのです。
映画でもそうですが、あの頃のトウキョウの真っ只中で、ボクも青春していました。西岸さんのようにおっとりした情緒的なものは持ち合わせてはいませんでしたが、社会の流れはあのままです。
すごい描写力で、いつもビックコミックが出るのを楽しみにしていました。
ちなみに、ボクも映画を見たときの感想を書いてみました。その頃の少年が、若干のときめきを感じながら書きました。
雲出川荒大のカテゴリー【映画】に出てきます。

投稿: 雲出川荒大 | 2006年9月18日 (月) 06:52

雲出川さん、おはようございます(^o^)
コメントどうもありがとうございます☆
雲出川さんのブログにもさっそく訪問させていただきました。
昭和30年代の東京をリアルに体験されておられるので、「三丁目の夕日」には様々な感想があろうかと思います。
当時のことを懐かしみながら、あるいは比較しながらこの作品を楽しまれたのではないでしょうか。
雲出川さんは、差し当たり鈴木オートの社長さんのようなタイプだったのでしょうか!?
(笑)

投稿: さんとう花 | 2006年9月18日 (月) 10:03

さんとう花さん
当時は敗戦直後の、戦前を引きずった世相と、新しい社会が入り混じった混沌の社会でした。
まだ正義が正義として、力いっぱい主張を出来る時代でもありました。
戦後民主主義をおっかなびっくり歩んでいた時代かな~。
ただし、ボクは鈴木オートの社長さんのように独断的ではありませんし、弱い立場の人のには、結構意地で手を差し伸べていたように思います。
今はボクが、弱い立場を楽しんでいます。

投稿: 雲出川荒大 | 2006年9月18日 (月) 13:00

雲出川さん、重ねてコメントありがとうございます(^o^)
そうですか、それは失礼しました(笑)
雲出川さんにも鈴木オートの社長さんのようなバイタリティーや義理人情に厚い雰囲気を感じ取ったので(^.^)
昭和30年代というのは、貧しいながらもみんなが支えあって生活していた古き良き時代なのでしょうね・・・
隣人が誰なのかも知らないでいるような現代とは天と地ほどの差がありますね(^_^;)

投稿: さんとう花 | 2006年9月18日 (月) 16:14

こんばんは(^^)

アクマ先生のやきとりのシーンもたまらなかったですが、僕はまさにラストシーン、鈴木オート一家より、ヒロミより、茶川さんと淳之介より、アクマ先生とキンおばあさんが夕日を見つめている顔に泣かされました。
戦争の悲劇も経て来た彼らの目には、ただの「明日への希望」だけでなく、様々なものが見えていたのだと思います。

当時は前向きな時代だったと思いますが、残念ながらああいう時代はもう二度と来ないのではないかと僕は思っています。
そこがまた泣けるのかもしれません。

でも最近の日本映画では最高傑作に近かったと思います。

投稿: moo00 | 2006年9月24日 (日) 19:19

mooOOさんこんばんは(^o^)
コメントどうもありがとうございます☆
そうですね、私もあの古き良き時代は二度とは戻って来ないと思います。
昭和三十年代を知らない私のような世代でも、「三丁目の夕日」を観たことで忘れかけていた故郷のこととか、幼い日々のことを懐かしく思い出してしまいました。
今さらながら、家族っていいなぁとか、友だちっていいなぁとか、いろいろな思いが湧き出て来ました(^o^)

投稿: さんとう花 | 2006年9月24日 (日) 21:25

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