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2006年9月 8日 (金)

三顧の礼。

私が小学校6年生の時、毎週(土)の夕方6時からNHK人形劇三国志が放送されていました。
何がきっかけで観るようになったのかは覚えていませんが、気付いた時は三国志の世界観にどっぷりと浸かっていました。
学校の図書室で借りた岩波少年文庫の「三国志・上・中・下」の3巻を読むために、親には「風邪をひいた」と嘘をつき、ズル休みまでした覚えがあるほどです。(笑)
それぐらい夢中になって読んだ本というのは、後にも先にも「三国志」だけかもしれません。
その後、吉川英治の「三国志」も読みましたが、小、中学生用に簡潔に分かり易く書かれた岩波少年文庫のそれとは違い、夢とロマンを感じさせる壮大なスケールの物語に形を変えていました。
「三国志」とはそのタイトル通り、中国が三つの国に分かれて争う物語です。
まず物語前半の山場となるのは、100年に一人の大天才と謳われた諸葛孔明を幕下に加えようと、劉備玄徳が三度孔明の草廬を訪れる件です。これが有名な「三顧の礼」です。
この時孔明は弱冠二十七歳。二十歳も年長の玄徳が、この若き戦術家に頭を下げ続けるのです。と言うのも、玄徳には天下無敵の豪傑と謳われた関羽、張飛という義弟に恵まれていましたが、その一方でそれら名将を上手に操り、戦いの指揮を執る軍師が欠けていたのです。天文、地理に通じ、超人的な智謀を持つ孔明は、天下統一を計る玄徳にとっては何が何でも必要な人材だったのです。
しかし、孔明という逸材をそう易々とは幕下に加えることは出来なかったのです。
一度目も二度目も対面することが出来ず空しく帰路につき、それでもあきらめず三度も草深い隆中の臥龍岡へ赴くことでやっと孔明と対面することが出来たのです。この時の玄徳のこみ上げる嬉しさ、湧き上がる感動を想像すると、こちらまで胸が熱くなってしまうのです。
私などいつもあきらめの胸中から脱却出来ず、「根気」とか「努力」という言葉には無縁の生活を送っています。
何か一つのことにこだわるというのは、ある意味疲れることでもあるからです。
倒れても倒れても起き上がる強靭な精神力。心を揺さぶる崇高な情熱。礼を尽くした真摯な態度。今の私に微塵も感じられないものばかりです。
あきらめの人生では手中に得るものも得られずじまいになってしまいます。
努力を惜しまず、雨にも風にも負けない強さを獲得したいものです。そうすれば、もしかしたら玄徳が孔明を得たのと同じように、私にも特別な何かを得られるチャンスが廻って来るかもしれません。

「我の孔明あるはあたかも魚の水あるが如し」
(水魚の交わり)

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コメント

こんにちは。
相変わらずさんとう花さんの文章はさえていますね!
いつもながら感服交じりで拝読いたしました。

三国志にはずいぶん教わりました。
三者鼎立、これは僕のビジネスの方針にもなっています。
お客さま、取引先、小売、この三者がみなそれぞれに納得がいくときに、最高のビジネスが生まれます。
どれか一つよくても、長続きはしません。

それではさんとう花さんに敬意を表して、今晩は三顧の礼を紐解くとしますか!

投稿: ぱち | 2006年9月 8日 (金) 17:03

パチニクさんこんばんは(^o^)
いつもコメントどうもありがとうございますm(__)m
そうですか、やはりパチニクさんも三国志にはずい分と影響を受けたようですね。
ビジネスの世界でもこの三国志の兵法が参考になるなんて、どこまで奥の深い物語なんでしょうね!!
三国志については、ブログに追い追い取り上げていきたいことがたくさんあります☆
パチニクさんもどうぞ三国志の何たるかを思う存分ブログで語っちゃって下さいね(^_-)-☆

投稿: さんとう花 | 2006年9月 8日 (金) 20:22

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