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2006年9月15日 (金)

細君譲渡事件。

大正期にもこのような道ならぬ恋があったのです。
不倫とか情事というものは、なにもテレビドラマで始まったものではないのです。80年代を席巻した「金曜日の妻たちへ」より、遥か昔に現実として存在した人間の文化だったのです。

佐藤春夫は谷崎潤一郎夫人である千代に対し、憐れみを感じていました。
谷崎潤一郎は「男嫌いの女好き」で、よりによって妻である千代の妹、せい子にまで手を出したのです。もちろん千代はそのことを知っています。
開き直った谷崎は妻子を家に残し、むしろ堂々とせい子と外出していく始末。
その姿を傍らで見ていた佐藤は千代に同情、その後、恋心へと変わってゆくのです。

佐藤春夫は小説家であり詩人でもあります。
慶応義塾大学文学部予科を中退。代表作に「殉情詩集」「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」等があります。
芥川賞の初代選考委員の一人でもあります。
一方、谷崎潤一郎は言わずと知れた耽美派の作家として有名です。
東京大学文学部国文科を中退しています。
代表作に「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「細雪」等があります。

谷崎は一度は佐藤に千代を譲ると言いながら、それを撤回。その後二人は絶交します。
<千代が惜しくなった谷崎が話をなしにした、と言えば簡単だが、それだけではない。佐藤が千代を口説き始めると、性は知っても恋を知らず谷崎に連れ添ってきた千代は、初めて恋の味を知り、見違えるような美しさを湛えるようになった。それを見て、惜しくなったのだ。>
佐藤は千代に対する恋慕がますますつのります。
身を焦がすほどの激しい熱情に仕事も手につかず、つらつらとその想いを手紙にしています。

私はこの上にも、何でもします。世間の名誉、何も僕はほしくないのです。えらくなりたくも何ともないのです。ああ、ただあなたの愛がほしい。思ふ存分あなたを愛して見たい。しかしその望も何もないのか。(略)
『定本佐藤春夫全集』より

この後、佐藤は神経症を患い、その心の傷を癒すために郷里にひきこもります。その時書き綴ったのがかの有名な「秋刀魚の歌」なのです。
しかし、最終的には昭和に入ると谷崎と佐藤は和解し、それをマスコミに公表。めでたく佐藤は千代と結ばれることになります。
この当時の記事は朝日文庫から出ている「朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚」で詳細を知ることが出来ます。
この本には他にも<英エドワード八世「王冠を賭けた恋」>や<太宰治氏情死、玉川上水に投身>等の興味深い記事が盛りだくさん掲載されています。

今年は谷崎潤一郎生誕百二十周年でもあるので、こういう粋な恋愛を古人から学ぶのもオツなものではないでしょうか。

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コメント

愛にはいろいろな形があるやうですね。
若輩の僕には知る由もございません。かくなる上は修行をつむしかございませんなぁ(笑)

そもそも「婦人譲渡事件」なる名称ですが、ものすぎく違和感を覚えます。
譲渡って・・・
まあ、それ(発端、経過、そして結末)をして「大谷崎」と言われる所以でもあるのでしょうか。
いずれにしろ僕には未知の世界なので、その辺はお詳しいさんとう花さんにお任せ、ご指南願いたいと思います(^^)

投稿: ぱち | 2006年9月16日 (土) 08:14

ぱちにくさん、コメントどうもありがとうございます(^o^)
ぱちにくさんのブログにこの事件のことがちらっと書かれていたので、その関連ということで私も書かせてもらいました(*^^)v
そうですね、「譲渡」という言葉はまるで人をモノ扱いしていて何となく抵抗のある響きですよね。当時の新聞の見出しなのですが、男尊女卑的なニュアンスがムンムンしています☆
谷崎潤一郎ほどの人物なので、その行為が許されてしまうのでしょうか??(^_^;)

投稿: さんとう花 | 2006年9月16日 (土) 09:35

なかなかいい話ですね、細君讓渡事件。金妻も懐かしい。年が分かってしまいますが。

何時の時代も人間の考えることはそう変わらないのだということなのかもしれませんね。

人は時に迷うものですね。やっぱりでも、身近な人や物の有難味に気づかない。それに気づかせてくれただけでも、冒険は時に必要なのでしょうか?

投稿: zen9you | 2006年9月17日 (日) 20:07

全雄さん、こんばんは(^o^)
コメントどうもありがとうございます☆
そうですね、高い代償を払う勇気があれば冒険も悪くはなさそうですね。
一部の勇気ある文化人を除けば、たいていは倫理観に縛られて道を外すことは出来ないのでしょうが。
全雄さんはいかがでしょうか??(笑)

投稿: さんとう花 | 2006年9月17日 (日) 21:21

おはようございます。

そうですね。人間どこまでいっても、馬鹿だなって思います。どうしても自分には甘くなる。予想が自分に有利に傾くと思ってしまう。そう思いたいという甘えがあるものですね。

先の先の先まできちんと予測できたら、大きな火事にならないうちに火遊びを止められるのに。

作家とか、芸能人というのは、そんなことまで一つの自分の才能として生かしてしまう。世に認めさせてしまうというのが、すごいところなのでしょうか。明治には坊さんでもそんな人がいました。真宗の方で、暁烏敏(あけがらすはや)と言う人です。探してみてください。

投稿: zen9you | 2006年9月18日 (月) 06:49

全雄さん、おはようございます(^o^)
重ねてコメントありがとうございます☆
そうですか、全雄さんのような聖職にある方の中にも華やかな色恋に生きておられたお坊さんがいらっしゃったのですね。
今のところそう言ったことに縁のない私には羨ましいような気もします(笑)
ところで暁烏敏というお坊さんの末路は、一体どんなものだったのでしょうね・・・?

投稿: さんとう花 | 2006年9月18日 (月) 09:29

暁烏敏という人は、明治10年に石川県のお寺に生まれ、真宗大学で、精神界という雑誌を発刊した清沢満之と出会い、25才で結婚してます。ですが10年後には死別。

再婚し、様々な女性遍歴を繰り返しますが、それを説法であからさまに述べて問題になり、様々な著作もしますが、色魔、信界の強盗とも言われ批判されます。

しかし、後に宗務総長として真宗教団のためにきっちり仕事をして、しかしその頃には盲目になって、昭和29年にこの世から去っていきます。

あまりにもあけすけに自分の心中を語りそれを説法に利用して人気が出たということですが、常人の域を超越した、どちらかと言えば芸能人タイプの人だったのでしょう。

投稿: zen9you | 2006年9月18日 (月) 10:53

全雄さん、またまたコメントどうもありがとうございます(^o^)
暁烏敏についての略歴と解説も重ねてありがとうございます。全雄さんの知識量の多さに脱帽です☆
暁烏敏という方の晩年は複雑なものがありますね。本人としてみたらその人生も本望だったかもしれません。
その人間臭い生き方も、万人の反面教師となって却って良かったのでしょうか。
でも恋愛は人間にのみ許された快楽なので、せめて優しくあたためていきたいものです(*^_^*)

投稿: さんとう花 | 2006年9月18日 (月) 16:05

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