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2006年11月 6日 (月)

白い部屋。

この手記を、天国の母にささげます。

その日も朝から三方原方面行きのバスに乗った。
車窓から見上げる空は、まるでパステルカラーでまんべんなく彩られたように明確な色に染まっていて、思わずため息が出てしまった。
入院中の母の病状報告を聞くことに抵抗があった。医師の口から一体どんな宣告を受けるのかと、不安や恐怖が私の胸の内を往ったり来たりしていた。
病院特有の淀んだ空気の臭いをかぎながら、カンファレンスルームに通された。
「さて、お母様の病状ですが、率直に申しますと、あまり芳しくありません。」
(やっぱり・・・。)
私の漠然とした不安は的中していた。
「手術をしたところで改善の余地はなく、おそらくこのまま見送ることになると思います。余命、あと一年・・・いや、半年というところでしょうか。」
医師の声は重く、苦渋に満ちていたが、しかし冷静だった。
全身緊張の波が襲い、地震でもないのに身体がゆらゆらと揺れた。
心のどこかで予想はしていたものの、にわかに信じ難い現実に身体のバランスが取れなくなった。
母は末期ガンで、既に手の施しようがなかったのだ。
「告知しますか?」
私は搾り出すような声で、
「いいえ、黙っていて下さい。お手数ですが、お願いします。」
と、答えるのが精一杯だった。
全身が鉛のように重く、すぐには立つことすら出来なかった。
(どうしたらいいんだろう・・・?)
病室に向かう途中、こみあげてきそうなものを必死に堪えながら、自分の不甲斐なさに嫌気がさした。
母は今年七十歳。晩婚のため、四十二で私を産んだ。もちろん、私に兄弟姉妹はいない。父は二年前、既に他界している。
そんな中、支えてやれるのは一人娘の私だけなのに、その術がわからなかった。
むしろ、自分の方が誰かにすがりつきたい気持ちだった。

病室に入ると、母をまともに見ることも出来ず、私の顔は不自然に歪んでいた。
悟られまいと懸命に装うが、母は私の表情など気にするわけでもなく、
「たいくつだやぁ・・・。早く帰りたいやぁ・・・。」
を連発した。
女優並みの芝居を演じ終え、仮面を脱ぎ、素に戻って家に帰ると、冷たくなった洗濯物を急いで取り込み、夕飯の支度に取り掛かった。
と言っても、何か手のこんだ物を作る気力もなく、簡単にヤキソバを作って食べた。
見たい番組などなかったが、テレビのスイッチを点け、ぼんやりと画面を眺めていた。
(そろそろコタツ出さなくちゃ・・・)
家のことは全て母任せだった。しかし、これからはどんな些細なことでも自分がこなさなくてはならない。
面倒な仕事が一つ、また一つと増えていく度に、母にどれほど頼って来たかを思い知らされることとなった。
(これで本当に良かったのかな・・・?)
果たして、告知しないことが正しかったのかどうか、まだ悩んでいた。
私は臆病者で、七十歳の母に真実を伝え、その明るさ、朗らかさを奪ってしまう勇気がなかった。筋道立てて事実を知らせ、死と向き合う強さを要求することが出来なかったのだ。

年末になって退院の許可が下りた。
母はナースセンターに立ち寄り、医師や看護士たちに「お世話になりました」と頭を下げた。
タクシーで帰る道すがら、母は、
「もう、帰れんかと思った・・・」
と呟いた。私は素知らぬふりをして通り過ぎる景色を目で追っていた。
胸が詰まって悲鳴を上げそうになった。

どうにかこうにか年を越すことが出来たとホッとする間もなく、明けてすぐに母の病状が急変した。再入院だった。
その表情に生気はなく、暗く濁った瞳が行き場を失くし、宙を泳いでいた。
(もうダメなのかな・・・?)
寝ている母の脇で、ただ呆然とその顔を見ていた。
私はこれまで、母が死ぬなどということは考えもしなかった。
生きていて当たり前。まるで永遠であるかのような錯覚をしていた。
しかし、父が亡くなったのと同様に、母にもやがて訪れる。
死は、確実に近付いていた。
肩で息をしながら、母は弱々しく視線をこちらに向けた。
その瞳はもの憂げで、慈悲深かった。何かを発したくとも音声にはならず、ただ私を凝視していた。
「お母さんがいなくても、ちゃんとやっていけるかね? 大丈夫かね?」
言葉はなくとも、それは瞳の動きだけで察知出来た。これはアイ・コンタクトと呼ぶものだろうか?
間違いなく、確かに、母の言葉が聞こえたのだ。
私はたまらなくなって、視線を逸らした。
その深い愛情の前に、私は無力な子供でしかなかった。
医師が、「ここ二、三日だと思います。」と告げた。
延命措置如何について問われたが、全て断った。自然に逝かせてくれるようお願いした。もうこれ以上苦しい抗がん剤の副作用や体中を切り裂くような激痛と闘う母の姿を見ていられなかったのだ。
往生際の悪い私は、この期に及んで神に祈りを捧げた。
(神様、お願いです。母を助けて下さい! お願いします・・・!)
この宇宙を創造し、多くの奇跡を起こし、絶大なる力を誇る神が本当に存在するならば、母一人の延命に手を貸すぐらい造作も無いことだと思ったからだ。
しかし、私の願いは脆くも打ち砕かれ、神が人間の描いた妄想に過ぎないことがすぐに明らかとなった。
病院から帰宅後、不意の電話。母が危篤との連絡だった。
(ついに来たか・・・)
私はすぐにタクシーを呼んだ。
玄関を出ようとして思い直し、叔母に連絡を入れた。念のためのつもりだったが、内心、
(今夜が最期なんです。いっしょに看取って下さい。)
と言う、潜在意識が働いたのかもしれない。
急く気持ちを抑えて、門先でタクシーを待っていると、その日に限って五分と待たずにやって来た。
「S病院まで。」
運転手に行き先を告げる私の声が、わずかに震えた。
平静さを装うとするものの、どこか落ち着かない私にただならぬ状況を察したのか、運転手は到着するまでのあいだ一言も発しなかった。

病院に駆けつけると、まだ叔母は来ていなかった。
私は寝ている母に向かって夢中で、
「お母さん! お母さん!」
と呼びかけた。同室の患者さんたちへの迷惑も省みず、何度も何度も繰り返した。その声を聞きつけたのか、背後から医師と看護士がぬっと近付いて来て、
「残念ですが、既に亡くなられました。」
と告げた。
「午後八時二十分でした。とても、とても安らかなご臨終でしたよ。しばらくお別れをなさって下さい。私どもはナースセンターにおりますから。」
医師の声がとても遠くに聞こえた。
病院の夜の静けさは特別で、同じ病棟のずっと離れたところで誰かが咳込む声がした。
少しだけ開いていた窓から入るわずかな風に、白いカーテンがゆらゆらと揺れており、あとは無機質な空間が広がるだけだった。
「お母さん、お母さん・・・!」
返答はないとわかっていたが、万が一、万が一のこともあるかもしれないと思ってもう一度だけ呼びかけてみた。
しかし、それは虚しい試みに過ぎず、私の声が高い天井にビーンと響いただけだった。
脱力感の中、白いベッドに横たわる母を見た。既にその顔に生気はなく、口は半ば開いたままだった。どことなく口元に笑みを湛え、全ての煩悩から解き放たれた優しさと美しさをかもし出していた。
母の最期は実に静かで、穏やかだった。
その直後、セキを切ったように涙が溢れ出て来た。我慢しよう、我慢しようとすればするほど、それは嗚咽となり、滂沱として頬を幾筋にも流れた。
もう母の声は聞けない。明るく陽気な笑顔も見られない。生きて会うことはないのだと、辛く哀しい現実が私の胸に突きつけられた。
(人は死ぬんだ・・・)
生きとし生けるもの全ての宿命を、今さらのように感じた。
生きていることと死んでいることは、両極ではなかった。
むしろ死は影のようにくっついていて、離れるものではない。

人は皆、「母」という砦を失くした時、漸く人生の儚さを感じるのかもしれない。
(今の私に何ができる?)
両手を広げて守ってくれた存在は跡形もなく、臆病な猫のように、他人の顔色を見る私。
(今の私に何ができる?)
これから先、幾度となく得体の知れない暗い衝動に駆られるかもしれない。
それでも私は、もう無条件に息をし続けなければならない。
「生きる」とはそういうことなのだ。

※某文芸誌において、平成十三年に掲載された作品に加筆・訂正をしています。

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コメント

5年前のあなたを、ただ黙って抱きしめてあげたい。いつまでも。

投稿: 太郎 | 2006年11月 6日 (月) 20:16

どうもありがとう・・・。
でも今は私のことを抱きしめてくれる人がいるの・・・。

投稿: さんとう花 | 2006年11月 6日 (月) 22:38

こんにちは。
何か気の利いたコメントでもと思ったのですが、どうにも思い浮かびません。
さぞかしお辛かったことでしょう。
でもそういう辛さを乗り越えて、今しっかりと生きていらっしゃるさんとう花さんは立派だと率直に感じます。
私は3歳の時に父が蒸発して既に居ないので、老いた母のことも色々と考えることがあります。
人はいつか死ぬ。
それをしっかりと頭に入れ、生きていこうと思っています。
さんとう花さんの天国のお父さん・お母さんはしっかり見ていてくれていると思います。
お互いに、気負わずのんびり頑張ってみましょう。

投稿: moo00 | 2006年11月 7日 (火) 08:47

こんばんは。プチご無沙汰です♪

「生きる」とはそういうことなのだ、このテーマが一貫していており、よって淡々と描かれていて感情の抑制が見られ、作者の力量をおおいに感じました。素晴らしい作品だと思います。

ところでさんとう花さんはまだ文芸誌に投稿はされているのですか?
おそらくお名前は「さんとう花」でもありますまい。掲載のときは、ここで大々的に告知してくださいね♪
ご活躍を祈念いたします。

投稿: ぱち | 2006年11月 7日 (火) 18:44

mooOOさん、こんばんは(^o^)
優しい優しいコメントをどうもありがとう。
そうでしたか、mooOOさんの幼いころもいろいろあったんですね。
幼児を抱えて、お母様も大変なご苦労をされたことと思います。本当に身につまされます・・・。
今回は、以前投稿した文芸誌から記事を引用してみました。
年末が近付くと、毎年思い出してしまうんですよ・・。
あの時の苦しかったことを誰かに伝えたかったのかもしれませんね。
でも、そういう想いをしているのは私だけではないんですよね。みんなきっとそれぞれにいろんな想いを胸に秘めていて、ただ言葉に出さないだけなのでしょうね・・・。
お互い、これからの人生を有意義なものにするためにも、前向きに、一歩一歩進んでいきましょう!

投稿: さんとう花 | 2006年11月 7日 (火) 19:35

ぱちにくさん、こんばんは(^o^)
コメントどうもありがとうございます。
お尋ねの件ですが、文芸誌にはもう投稿していませんヨ☆
あの時は、もう様々な想いが胸の内をかき乱して、いてもたってもいられなくなり、ペンを取ったという感じなのです。
自分の気持ちを整理するつもりで書いたようなものなのですが、「たまたま」掲載されてしまった、と言うだけのことなのです★
ぱちにくさんのブログの方が、私のつたない記事よりよっぽどまとまっていて、しかも毎日欠かさず更新されていて、素晴らしいものだと思いますが。(*^^)v

投稿: さんとう花 | 2006年11月 7日 (火) 19:47

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