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2006年12月14日 (木)

ミリー。

人は、それぞれ住むところがきまっていて、うつることはできません。空をとぶこともできません。けれども、心は、なにものにもへだてられることなく、ほかの人の心にまでとどきます。ですから、わたしの心も、あなたの心にとどきます。わたしはまだ、あなたに会ってはいませんけれど、わたしの心はあなたのそばにいて、わたしの愛をつたえてくれるのです。

絵本は決して子供のためだけに存在しているわけではありません。
時に大人の心を揺さぶり、激しい感情の嵐を巻き起こす引き金にも成り得るのです。
私は時折、天使が舞い降りて来ることを夢見ています。
そうして、そっと私を抱きしめてくれるのを待っているのです。
その天使の放つ光のオーラは、私を心地よい眠りに導き、私の全てをあたたかく、やわらかく、包み込んでくれるのです。
孤独や絶望の嘆きを一掃し、余計な思考と無駄な労力を伴わない、光の草原へ私の魂を誘うのです。

私はグリム童話の「ミリー」を読みました。
モーリス・センダックの描いた挿絵で、この物語を二倍に堪能することができました。
センダックは、1970年に権威ある国際アンデルセン賞を受賞した世界的に人気の高い絵本画家です。
肌理細やかで鮮やかな色彩の中に、読者のイマジネーションがすっぽりと融合し、ストーリーにリアリティが生まれるのです。
「ミリー」は、日本のおとぎ話で言うところの「うらしま太郎」のような作品かもしれません。
でも、それらが訴えかけているテーマは、それぞれ全く違うものでしょう。
では、あらすじです。

村はずれの小さな家に住む、母親と幼い女の子。
ささやかな幸せに包まれて暮らしていた二人に、暗雲がたちこめます。
戦争が始まったのです。
母親は、自分の身はどうなってもかまわないけれど、幼い我が子だけは無慈悲な男たちから守ってやりたいと思いました。
母親は、娘を助けたい一心で、どんな敵でも決して追いつけない森の奥へと連れて行きます。
「いいかい、・・・もうだいじょうぶというところまで、どんどんすすんでいくのだよ。そこで三日のあいだじっとまってから、もどっておいで。」
母親は、娘に甘くせつないキスをして、そこからは一人で行かせました。
娘は心細さを必死に耐え忍び、やがて、親切なおじいさん(聖ヨセフ)の家に辿り着きます。
娘は聖ヨセフに守られ、三日の間そこで暮らしました。
「もう、おかあさんのところへおかえり」
聖ヨセフは娘につぼみのバラを一本渡しました。
「だいじょうぶ。このつぼみがひらくとき、また、わたしにあえる」
娘は守護天使の導きにより、森のはずれまで来ると、そこから村へと続く道をひたすら歩きました。
もうすぐお母さんと会える、そう思う娘の足取りは、実に軽やかだったことでしょう。
娘は見覚えのある我が家に、一目散で駆け寄りました。
そこの戸口の脇に腰掛ける老婆を見た時、娘はすぐにそれが母であることがわかったのです。
そして老婆もその娘を見るやいなや「かえってきた!」と言って歓喜に打ち震えるのです。
娘が森にいた三日間は、実は三十年という長い年月だったのです。
その夜、母子は楽しく語り合ってすごしました。
そして、やすらかな永遠の眠りに就くのです。
二人の枕元には、一輪のバラが見事に咲いているのでした。

私はこの絵本を読み終えた瞬間、滂沱として涙がこぼれました。
私が待っていた天使は、正に、このことだったのです。
私は樹海の深くに分け入って、人知れず、天使の腕に抱かれるのです。
そして、特別な光を放つ、明るくて清潔な世界へと同化してゆくのです。

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コメント

こんばんは。はじめまして。けいと言います。これまで読むばっかりだったんですけど、少しコメントさせてもらいます。
天使って言葉がたくさん出てくるけど、天使なんて言われても、ちょっと住む世界が違うかなみたいに思ってしまいます。でも、どこにいてもこころが届くっていうのはいいですね。僕もそんな人がいるといいな。さんとう花さんはよごれを知らない純潔の清らかさを秘めているようですね。僕はそんなきれいな世界とは縁がなさそうだけど。でも今の時代に、あなたのような人がいてくれるのはとっても救われる思いがします。ありがとう。

投稿: けい | 2006年12月14日 (木) 20:13

けいさんはじめまして(^o^)
コメントどうもありがとうございます☆
けいさんは自分のことを謙遜されて「きれいな世界とは縁がない」と言うのかもしれませんが、そんなことありませんよ~。
それぞれが辿って来た道に、きれいも汚いもないと思いますが。
けいさんが今あるのはこれまでの積み重ねとそれに伴うプロセスがあってこそですよ!
自分を大切にね!(*^_^*)

投稿: さんとう花 | 2006年12月14日 (木) 23:48

こんにちは。

山頭火は、昭和5年の12月旅の空にありましたが、
「明るくて一間きり」
と天使を見つめています。
時を前後して中原中也も「幸福は厩の中にいる」と天使を見つめています。
僕はニコラス・ケイジの天使が好きだな(笑)

さてさんとう花さん。
文体も対象も変わってはいないけれど、このごろさんとう花さんの文章に変化を感じます。
力みがとれ、眺めるだけだった対象を、ご自身の中に受入れているように思います。だから作品に無限な広がりを感じるのです。
そして・・
きっと眼差しは慈悲に溢れていることでしょう。

そのうちに「さんとう花」改め「今寂聴」なんていわれたりして(笑)
その時は真っ先にサインのひとつもくださいね♪

投稿: ぱち | 2006年12月15日 (金) 16:11

ぱちにくさん、こんばんは(^o^)
コメントどうもありがとうございます☆
実は、私もぱちにくさんのブログを読んでいて同じことを考えていましたヨ☆
記事に厚みが出てきましたよね?
もちろん、これまでの記事も素敵な内容でしたが、最近の記事は、なんというか、知識に頼っておられない独自の視点を重視しておられるようにうかがえるのです。
お互い、自分らしい世界観の広がるブログにしたいものですね(*^_^*)

投稿: さんとう花 | 2006年12月15日 (金) 21:41

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