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2007年1月27日 (土)

片腕。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。
そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。

この冒頭部を読んだ時、私の身体に戦慄が走りました。
この作品はいみじくも世界に誇る日本の作家、川端康成の「片腕」なのですが、私も含めてシュールレアリズムをどれだけの人々が理解することでしょう!?
「伊豆の踊り子」や「雪国」など叙情的で卓越した風景描写を探求して来た同作家が、同じ表情のまま官能的なエロチシズムにどっぷりと浸かっているのですから・・・。
川端康成は大阪市出身で東京大学英文学科に入学するものの転科し、国文学科を卒業しています。文壇では新感覚派の代表格でもあります。
1968年に、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞しています。
非常に短い小説なのですが、ここにあらすじを紹介しておきます。

主人公の私は娘から「右腕」を貸してもらった。
大切に右腕をアパートの一室まで持ち帰ると、愛おしい右腕と他愛もない会話を楽しむ。
私はついつい右腕にいたずらしてみたくなり、指先をくすぐってみた。
右腕は私に触れられた瞬間、その感性の豊かさゆえ、肩までも震えが来てしまうようだった。
それから私はいたずらっ子のように右腕を膝に乗せ、愛でて、手を握ってみたり、ゆっくりとその腕の肘を曲げてみたり、伸ばしてみたり、繰り返した。
それから私はさらに面白いいたずらを思いつく。
娘の右腕と私の右腕を付け替えてみようと思ったのだ。
そしてその行為を堪能した後、私は娘の右腕を抱えてベッドに入った。
右腕は毛布の中で私のぬくもりにしだいにあたたまっていくのだった。

この作品については三島由紀夫が大絶賛しているのですが、残念ながら、私にはどこがどう優れていて素晴らしいのかよくわかりません。
ただ、かろうじて私に感じられるのは、一筋縄ではいかない人間の業と欲。常人と言えども持ち合わせる、あけすけに出来ない変態嗜好。形を変えた愛の極致。
私は自分がわからなくなった時、この会話を思い出すかもしれません。

「自分・・・?自分てなんだ。自分はどこにあるの?」
「自分は遠くにあるの。」と娘の片腕は慰めの歌のように、
「遠くの自分をもとめて、人間は歩いてゆくのよ。」
「行き着けるの?」
「自分は遠くにあるのよ。」娘の腕はくりかえした。

自分が遠い存在のものなら、自分がわからなくて当然なのです。
その自分に近付こうとして必死で人間は艱難辛苦を乗り越え、いつか自分と対峙できる日を夢見ているのですから。

「いたいっ。」と娘は頭のうしろに手をやった。
「いたいわ。」
白いまくらに血が小さくついていた。
私は娘の髪をかきわけてさぐった。
血のしずくがふくらみ出しているのに、私は口をつけた。

みなさんは愛する人の流した血を、口で拭ってあげられますか?
失心するほどの狂喜に酔いしれたことはありますか?(笑)

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2007年1月19日 (金)

You're Beautiful.

私は生まれたままの姿で、草原に身をゆだねていました。
一面に広がる金色の草原は、根元の部分まで光をたたえ、そよ風にゆらゆらと揺れているのでした。
時折、誰かが私の芯に触れ、凛然とその存在を明確なものにし、子宮の内側で反響していました。
私の感情を喚起させるかのように、草原に突如として現れる一本の桜の木。そこに満開のピンク色の空間が生み出され、なんてきれいなんだろうと、思わず恍惚として見惚れてしまいました。
その美しさに私はえも言われぬエクスタシーを感じるのです。
私の脳裏で絶えず繰り返し流れていたのは、ジェイムス・ブラントの“You're Beautiful.” です。

君はきれいだ きれいだよ
君はきれいだ ほんとうだよ

私は目の前の美しい対象に向かって、「きれいだ」を連発し、透明度の高い湖の深いところまで堕ちてゆくのです。

ジェイムス・ブラントは、イングランド出身のシンガー・ソングライターです。
ブリストル大学卒業後、イギリス陸軍に入隊。
陸軍将校として3万人のNATO平和維持部隊を率いるなど、紛争地帯のコソボにも赴任経験があります。
異色の背景に隠された音楽センスをあれこれ批評するのは好ましくないので、私はあえて彼の大ヒットナンバーである“You're Beautiful.”についてだけ語りたいと思います。
なぜこの曲なのかと問われれば、やはり、ストーリー性があるからなのです。
例えば、そこはJR名古屋駅近辺(特に名古屋に限定する必要はないのですが)。バスと地下鉄とJRとそして雑多の人ごみ、乱立するビル。ドカドカと反響する工事の騒音。
そこに一組の男女がにこやかに歩いています。
二人は心を交わし、揺るぎない精神の砦を備えた、崇高な連帯意識。
周囲の混濁とした空間に迎合することなく、ひときわ輝いて見えるのです。
その二人とすれ違う一人の男性。
彼は純粋で清らかな精神の持ち主なので、狂暴な群衆の中に天使を見つけます。
でもその女性(天使)の隣りには、全身で愛を発している男が片時も側を離れずにいます。
その一組の男女とすれ違う時、どうするのか?
柔和な笑顔を浮かべ、天使をじっと見つめ、

君はきれいだ きれいだよ
君はきれいだ ほんとうだよ

と、囁くのです。
天使はその甘い囁きに気がついて、ほんの一瞬だけ視線をその男の方へと向けます。
ただそれだけの行為。
ただそれだけの純愛に平安を感じるのです。
届かぬ想いに焦燥感を募らせるのではなく、愛を感じた自分と、愛を感じさせた女性を賛美し、「愛することを懼れるな」と訴えているのです。
ジェイムス・ブラントは、そういう愛の根源的精神を歌っているような気がするのですが。

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2007年1月14日 (日)

山頭火。

明け方5時。
日曜日の朝、世間ではまだ安らかな休息のとりこになっているころ。
夢の向こう側で、電話のベルが鳴りました。
布団の中の私は、その音が夢なのか現実なのか分からず、しばし耳を傾けていました。
その音は、決して緊急を要する不安なものではなく、気だるく、甘美で、静かに語りかけてくるのでした。
私は布団から這い出ると、おもむろに受話器を取り上げました。
「もしもし?」
「もしもし、おはようございます。」
電話の主は、天使と見まがうほどに優しく、神々しく、そこに「存在」していました。
どんなに私がぐちっぽい時でも、孤独の渦中でも、天使はいつも静かで透明な空間を提供してくれるのです。
一体、何を話したのか、はっきりと覚えていません。
気がつくと私は布団の中で、再び夢の続きを見ていたのです。

年々、受け取る年賀状の枚数が減っています。
これだけパソコンや携帯電話が普及してしまうと、わざわざ年賀状を書くという手間のかかる作業は、とてつもなく面倒で不合理なことかもしれません。
実際私も、疎遠になってしまった友人たちには年賀状を書くことを控え、メールで簡単に「あけましておめでとう!」を送信して年頭の挨拶に代えてしまったほどです。
そんな中、今年も私は年賀状に山頭火の句を添えました。

空へ若竹のなやみなし

この句を詠んだ各人それぞれに感想はあるでしょう。
私はこの句を「再出発」ととらえました。
そこにしっかりと新しい根を張り、腰をすえ、大地と天空が離れ難い絆で結ばれているのを感じるのです。
今年、私は年女。
私の同級生たちもまた然り。
再び12年のサイクルが廻り始めます。

私は長い間さまようてゐた。
からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。
在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。
そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。
そこに私自身を見出したのである。

山頭火が辛酸と苦杯を嘗め、想像を絶するような旅から旅へと流転した人生の中で行き着いた「存在の世界」など、私にはとうてい理解できようはずもありません。
それでもあえて、「私はここにいるよ」と、いつも発信できる自分でありたいものです。

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2007年1月 4日 (木)

パイロットフィッシュ。

長い列車の旅のお供として、あるいは暇つぶしに入ったカフェで読み耽るのに持って来いの作品かもしれません。
この小説を今の私のように、一気に読み終えて、何をどう感じるのか?
ある人は、無垢であけすけな涙をこぼしてしまうかもしれない。
またある人は、ため息まじりに過去の自分と照らし合わせるかもしれない。
あるいは、陳腐で稚拙な小説であると、全く受け入れられないかもしれない。
私の場合は、やはり、一気に読み耽る場所を獲得し、その後の感想はとてもシンプルに、「うん、まぁ、おもしろいかも。」というものです(笑)
この作品のテーマは、冒頭にある二行の文章に集約されていると言っても過言ではありません。

人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。
なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。

作者は大崎善生(おおさきよしお)で、北海道札幌市出身です。
早稲田大学卒業。
代表作に、二十九歳という若さで亡くなった村山聖の生涯を綴ったノンフィクション「聖の青春」や「将棋の子」等があります。
では、簡単にあらすじを紹介します。

主人公の山崎は、大学をあと一年足らずで卒業という自分に、漠然とした焦りを感じていた。無根拠で頼りない進路に、目的や意味を見出せないでいたのだ。
何かの中から何かを選択するという作業が苦手である山崎を、上手にサポートしてくれたのが由希子だった。
彼女は選択することに何がしかの根拠と自信を持っていて、それは結果的に正しく、そして明快だった。
そんな由希子が探し出して来た出版社に、山崎は吸い寄せられるように就職した。
そこは、アダルト雑誌の編集部だった。
その後、山崎は由希子の親友と過ちを犯してしまったことで、由希子と別れてしまう。
どんなに悔いても、由希子とはやり直すことは出来なかった。
別れて十九年ぶりに由希子から山崎のもとに電話がかかって来た。
彼女はすでに結婚していて、子供もいた。
山崎は独身だったが、年の離れた若い彼女もいて、二匹の仔犬、それに熱帯魚も飼っていた。
二人は確実に違う人生を歩んでいて、その空間を埋めるべきものは何もなかった。
ただ、二人が共に過した時間の記憶が沈んでいるに過ぎない。

この作品が表現している、出会いと別れ、過去と現在、青春の幻影、記憶の沈殿等のキーワードは、決して目新しい視点のものではなく、どうしても村上春樹の影響が否めません。
そういう意味では「二番煎じ」と評されてもいたしかたありませんが、大事なのは読後感で、最初から最後まで一気に読ませてしまうテクニックと、「あ、おもしろい」の一言がこぼれたら、概ね成功でしょう。
文章の流れが情感に溢れているとか、透明感のある繊細な文体であるとか、そういう一般的な好評をあえて避けて通ることにして、私が個人的に気に入ったセリフの一部を抜粋させていただきます。

「濡れているの?」
「ああ、いつも濡れている」
「指を入れてみたい?」
「ああ」
(中略)
「舐めてみたい?」
「ああ」
「底に何が見えるの?」
「何も見えない」
「なぜ?」
「透明だから」
「どうして?」
「バイカル湖はとてつもなく深いんだ。確かそれも世界一かな。世界一深くてそして世界一透明なんだ。だから何も見えない」

みなさんは何を想像したでしょうか?(笑)

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2007年1月 2日 (火)

善光寺詣で。

遠くとも一度はまいれ善光寺
救いたまうは弥陀の誓願

12月30日の晩、私はH駅で友人のK美さんと待ち合わせをしていました。
改札口前で立っている彼女は、信州行きに備えて、黒の厚手のコートに身を包み、重量のありそうな旅行バッグを肩から提げて、雑踏の中ひときわ神々しく(?)目立っているのでした。
「おまたせ。」
静岡県の東のはずれ、伊豆は伊東からやって来たK美さんを我が家へ招待しました。
とにかく私たちは大晦日の朝、H駅発7時49分の新幹線に乗り、名古屋に8時40分には着いていたかったのです。
我が家に一泊したK美さんと私は、大晦日の早朝5時に起床し、身支度を整え出発。
しかし予定通りにことは進まず、新幹線は一本乗り遅れ、従って名古屋発長野行きの特急しなのも乗り遅れるはめになってしまったのです。
ただ、私たちの前向きなところは、深く「気にしない」ことかもしれません。
当初の予定を狂わせてしまう結果になろうとも、それはそれでまた運命なのだと受け入れてしまう寛容さ(?)。
列車内では、私のおごりでアイスクリームを買い、「スプーンが折れそう。」とぼやきながら、カチンコチンのそれをほじくって食べるなどしてのん気に過しました。
名古屋から北上するに従って車窓の景色はみるみるうちに変わっていきました。
山が近いのです。手を伸ばせば届きそうなほどに。
薄く延ばした青い冬空の下、枯れて枝だけを伸ばす木々が、裸の山を寒そうに包んでいました。
山間に細く延びる川は、冷気の中にもやを立てていました。
この透明感のある静かな車窓の光景は、あらゆる意味を持って、あえて、押し黙っているようでした。
名古屋から約3時間をかけて長野に到着。
駅構内は帰省客やら観光客でごった返していました。
私は用意していた地図をK美さんに預け、善光寺までの道のりを託しました。
整然とした上品な街並みに触れていると、ここでは、山には山の働きがあり、町には町の暮らしがあると、風土の中に生きている人々の声を聞いたような気になりました。

明けて元旦。
私たちは善光寺境内にある小さな古びた宿を飛び出すと、初詣の参拝客の中に身を投じました。
「四門四宗もただ一つ」と、特定宗派に属さない、珍しいお寺。
ご本尊は秘仏、一光三尊阿弥陀如来像がお祀りされています。
私たちは、ごった返す人ごみの中どうにかこうにかお参りを済ませると、境内を隈なく散策してみることにしました。
三門の前にある放生池の奥に立つ大勧進では、宝物館を見学することに。
元旦の朝は開館休業状態で、私たちの他にお客は誰一人としておらず、静まりかえった大勧進をゆっくりと堪能することが出来ました。
護摩堂と呼ばれる場所だったか、私たちは端座としてそこに畏まり、私は傍らの仏前勤行集を手に取りました。
それから「般若心経」をお腹の底から唱えることにしました。
読経は私にとって毎朝の習慣でもあるので、既に「般若心経」は諳んじていましたが、あえて一字一句を大事に大切に読み上げていきたかったのです。
私たちは恭しく合掌し、正面に安置されるお位牌に頭を垂れると、そこを後にしました。

すがすがしく、清らかな風が二人の内なる精神に吹き込まれました。
あれほど愚痴の多かった2006年も千秋楽を迎え、いつのまにか、時間というステージが光に照らされて、2007年のどん帳を上げたのです。
目に映る何もかもが新しい世界の幕開け。
私もK美さんも踊らされた一年間を省みながら、目の前に広がる人生という大海原を、強烈な躍動感を伴って泳いでいこうとしていました。
私はその鮮やかな感情を信じて、善光寺を去ることにしたのです。

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