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2007年2月 3日 (土)

命日。

すでに日付変更線を通り越して節分。
暦の上では春。
昨晩私は一日早く恵方巻きをいただきました。
カニかま、サラダ菜、ツナ、カイワレ大根、玉子等ふんだんの具がぎっしりと詰まった巻き寿司を、包丁を入れることなくかぶりつきました。
インスタントのお味噌汁は湯気を立てて私の食卓をあたたかな空間に演出してくれました。
つまらないテレビ番組は、ただ視界を孤独から遠避けるための自己防衛ですが、それすらなんとなく幸せの小道具なのです。

二月二日、昨日は父の命日でした。

お父さん、私はこうしてどうにか生きています。
これまで幾度となく挫け、へこたれそうになったこともあります。
人に裏切られ、もてあそばれ、自分の生きている意味や必要性を見失ってしまったこともあります。その度に私はお父さんが、
「まじめに生きるんだよ。いいかい、衣、食、住だよ。着るものと食べること、それから住むところがありさえすればどうにかなる。ぜいたくはいけないよ。」
と言い遺してくれた言葉を思い出しました。
「おまえのいいところは柔和なところなんだ。わかるかい?」
私はコンプレックスの塊で、何一つ誇れるものはなかったけれど、お父さんがいつかそう言ってくれた言葉を心の支えにして、人に頼りないやつだ、意気地のないやつだと蔑まれても、どうにか乗り越えて来られました。

お父さんが病院の小さな個室で、今まさに朽ち果てようとしたその瞬間、窓辺からこぼれる冬の弱々しい陽射しがお父さんの表情をパッと明るくしました。そしてくすぐるような優しい風が私たち親子の間を吹き抜けたのです。

「永遠なんか、ないんだよ。」
お父さんは身を持って教えてくれました。
形あるものはすべて滅びるのだと。
私もいつかは必ず灰になります。
それまで与えられたこの「生」を全うしていきたいです。
どんなに辛く、哀しい現実を突きつけられても、私は無条件に息をしていこうと思います。

お父さん、今年もお父さんの紅梅につぼみがポチポチと生命の息吹を湛えています。
冷気の中にほのかに香る一輪の梅と、お線香から立ち昇るけむりは、この部屋を、私を、優しく包み込むようにしてゆらゆらと漂っています。(合掌)

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コメント

さんとう花さんこんにちは(^^)
節分ですね。
恵方巻き昨日召し上がったんですか。早い(笑)
僕はこれから商店街に豆と恵方巻きを買いに行きます。
一人暮らしだけど一応豆まきするんですよ。
2、3粒ですが(笑)

お父様はいつもさんとう花さんのことを見ていてくれていると思います。
僕は祖父の形見の腕時計を(もう止まっていますが)ここ一番って時には胸ポケットに入れて事に臨みます。
たぶん、というか絶対に、どこかで見ていてくれると信じてるんですよ。
何の信仰も持っていないんですがね。
普段は一人で強がって生きてますが、あの世に逝ってしまった人とは仲良くしたいみたいです、僕は(笑)

投稿: moo00 | 2007年2月 3日 (土) 13:51

mooOOさんコメントどうもありがとう☆
その気持ち、よく分かります。
生きている他人に理解されなくても、あの世の人ならきっとこんな自分のことでも理解してくれるに違いないというひそやかな願望があるんですよ。
もしかしたら限りない逃避かもしれませんが、それが今の自分を支える原動力になっているのです。
人間なんてそれほど強い生き物ではないので、せめて亡くなった人の面影と優しさによりどころを求めても罰は当たらないと思うのですヨ(^_-)-☆

投稿: さんとう花 | 2007年2月 3日 (土) 19:05

さんとう花 様

さんとう花さんも恵方巻食べるんですか?私は、結婚した時(家内は、典型的な関西人です)この習慣にビックリしました。なんて品の無い食べ方をするのだろうかと!!巻き寿司を丸ごと、しかも手づかみで、ひたすら黙って食べるなどと信じられないことで、家内と言い争いをしたものでした。関西の風習だそうですが、今では全国に波及したようです。もともとは、海苔屋さんの陰謀だとか?いずれにしても、今では私も何の抵抗も無くやってます。今日もしました。

実は、私の父も昨年他界しました。太平洋戦争で生死の境を何とか生き抜き(ビルマのインパールから帰りました)、生前に「おんぼろ車奮戦記」なる書物を自費出版しました。我々ではとても想像もつかない体験をしている訳で、文字通り「修羅場」をくぐりぬけてきたその精神力には足元にも及びません。孫がその本を読んで感動し、大学の図書館に置いてもらうようにしたそうです。葬儀の時に、見知らぬ高校生が参列してました。後で判ったのですが、親戚の従姉の子供でした。やはりその本を読んで感動し、その方が亡くなったのならば、花を手向けたいとのことでした。

最後は、家族全員で看取ることが出来ました。病院の方も、家族全員で看取れるのは非常に稀だと話しておりました。兄弟もあちこち散らばっていました。最初で最後の親孝行でした。

投稿: 晴兵衛 | 2007年2月 3日 (土) 21:21

おはようございます(^o^)
晴兵衛さんコメントありがとうございます☆
晴兵衛さんのお父様はご家族の皆様に看取られてお亡くなりになったのですね。大往生でしたね。
私の父も軍人で、ずっとシンガポールやマレーシアで戦時下を潜り抜けて来たようです。
私は、大正13年生まれの父が46歳にして誕生した一粒種なのです(笑)
寡黙な人で多くは語らなかったのですが、左耳が不自由で私は話しがあるといつも右の方から話かけていた記憶があります。戦時中に上官から殴られてそれ以来左耳の聴覚を失ったらしいのです。
そんな父でしたが、私は親不孝を重ねてずい分と辛い想いをさせてしまい、いくら後悔したところで生き返ることはないのです・・・。

投稿: さんとう花 | 2007年2月 4日 (日) 10:18

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