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2007年4月20日 (金)

武田信玄。

鞭声粛々夜河を過る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨く
流星光底長蛇を逸つす
(頼山陽)

人生とは闘いなのかな、と脳裏を過ることがあります。
平穏無事に生活していくことが望ましいけれど、それほど甘い道程ではないのです。
両親の存命中は、人生の何たるかなんて考えもしなかったけれど、自分が自分の足だけでふんばらねばならなくなった時、その意味とか意義を否が応でも考えずにはいられなくなりました。
世の中というのは自分だけの都合では回らない。
また、自分だけの意思ではどうしようもできないことが多々あります。
「これで完璧だ」と思って計画し期待していたこともことごとく打ち砕かれ、他者の非情な拒否を目の当たりにすることもあります。
ではそんな時、一体どうしたら良いのでしょうか?
これも一筋縄ではいかず、a+b=cという具合にスマートな解答はありません。
ただ私は、北信濃の支配権を巡る武田信玄率いる甲軍と上杉謙信率いる越軍の「川中島の戦い」を思い出すのです。

私の愛読書の中に新田次郎の「武田信玄」があります。
「人生とは闘いだ」と自己陶酔していつの間にか本当の辛さも忘れてしまうほどになるのは、この著書にある川中島合戦シーンを幾度となく読むことで、そこから熱く漲る命がけの精神、躍動感を分け与えてもらっているからかもしれません。

著者の新田次郎は長野県諏訪市出身で、電気通信大学を卒業しています。妻は作家の藤原ていです。気象庁に入庁し、公務員勤めをしながらの文筆活動を続けます。
「強力伝」で第三十四回直木賞を受賞しています。
主な著書に「八甲田山死の彷徨」等の山岳小説があります。
「川中島の合戦」は数回に渡ってくり広げられますが、特に激戦だったのが4回目の戦いです。
川中島一帯を包む深い霧。
夜陰に乗じて越軍はひたひたと甲軍の本隊に近付いて来るのです。
一寸先も見えぬ霧がやがて晴れた時、いるはずのない越軍が眼前に布陣。武田軍は愕然とするのです。
上杉謙信は、猛将、柿崎景家を先鋒に「車懸りの陣」、対する武田信玄は「鶴翼の陣」にて応戦。
この息を呑む戦いに胸を躍らせて読み耽ってしまうのです。
後年の史実には、川中島の合戦は武田軍の勝利とする見方が多いのですが、この戦いで信玄は頭脳明晰にして信玄の右腕とも称された弟、典厩信繁、それに軍師山本勘助らが討死するという大きな代償を払うことになってしまいました。

今でこそ日本は国内紛争もなく安穏とした生活を送ることが出来ますが、私たちはいつだって社会的なストレスに晒されて生きているのです。
命を脅かされることはなくとも、日々心を脅かされ、幾度となく闘いを挑まねばならないのです。
それは、川中島の合戦にて対決した武田と上杉にも匹敵する、激しく厳しい長期的な闘いなのです。

「人生とは自分との闘い」なのかもしれません。

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コメント

すごく考えさせられる一文でした。人生とは戦い。闘争。葛藤。スッキリと割り切れるものでもない。解答など無いもの。正にその通りなのだと思います。

実は、高校生のときなぜか芸術科目として音楽を専攻しておりまして、その最後の授業で、全員が何か発表するというとき、私は友人とともにこの「川中島」を詩吟で朗じたことがあります。

発表を前に外で二人して練習しておりますと、不思議と雪が舞い始めたのは、何かのお告げだったのでしょうか。

さしたる深い感慨を持って選んだわけでもないのですが、二人でまさに生きるとは何かなどと語り合い、その後卒業を前に、早朝数人で校舎の清掃奉仕を始めたことに繋がる「川中島」の詩吟でした。

川中島の詩には人々に何事かを考えはじめさせる力があるのかも知れませんね。

投稿: けい | 2007年4月20日 (金) 16:50

けいさんいつも一番の書き込みをありがとうございます(^o^)
そうですね、高校のときは私もなんとなく漠然と将来のこととか、文学少女を気取って人生についてあれこれ話したことがありましたね☆
あの時は夢とか希望とかそれなりに前向きな姿勢だったような気もしますが、時の流れとともに考え方も変化して、人生とはもっと過酷で厳しいもの、だけどその意味の追求よりは無条件で生き抜くことの必要性とか闘う精神力の強化などを感じるようになりました。
みんなそうやって同じ道を通過していくのでしょうか?

投稿: さんとう花 | 2007年4月20日 (金) 21:05

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