« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月30日 (水)

あおげば尊し。

南木佳士の地味だけどしっかりとした文体とはまるで両極な重松清の作品に触れました。
これは皮肉でもなんでもなく、広く大衆に受け入れられる売れっ子作家たる所以を知ったような気になりました。
文字を追うことに苦痛を感じさせないのです。
わかり易く明瞭な表現もさることながら、時代の流れを意識した背景、設定、会話、どれを取っても申し分のない完成度の高い作品なのです。

今回読んだのは「卒業」ですが、これは『まゆみのマーチ』『あおげば尊し』『卒業』『追伸』の四編が収められています。
作者の重松清は岡山県津山市出身で、早稲田大学教育学部を卒業しています。代表作に「ナイフ」「エイジ」「ビタミンF」等があります。「ビタミンF」では直木賞を受賞しています。
『あおげば尊し』は、2004年に映画化されています。
さてそのあらすじですが・・・。

教師生活を38年間続けて来た光一の父は、末期ガンで命旦夕に迫っていた。本人の希望で在宅医療を選択したものの、在宅で最期を看取るというのは決して楽なことではなかった。
父は厳しくて冷たい教師だった。「生徒を枠に押し込み、管理して、自由を認めず、成績の良くない生徒や素行に問題のある生徒は容赦なく切り捨てる」姿勢を貫いた教師人生だった。
一方、光一も父と同じ教師(小学校)という道に進んだ。光一が担任する児童で田上康弘という問題児がいた。死体に興味があるとかで、インターネットの死体サイトをのぞいたり、動物虐待のサイトを見ては楽しんでいた。
光一は命の重さを教えるためにもどうにかしなければと、思い切って自分の父と康弘を対面させてみることにする。死をどこまで実感できるかどうかはわからない、が、人はこんなふうに死の瞬間に向かって一歩ずつ進んでいくんだ、ということぐらいは感じ取ってくれるのではなかろうかと思ったのだ。しかし・・・。

作品は驚くほどドラマチックで涙を誘うものでした。
けれどそこに重厚感はありませんでした。
「ああ、もう一度読んでみたい」
そういう気持ちは皆無でした。
引用したい言葉もなく、心に残る鮮明な感情もないのです。
あるのはドラマチックな演出と、疲労すら感じてしまう透明度の高い人間関係でした。
今さら気づいたことなのですが、実は小説の醍醐味というのは、誰もが安心して読める爽快感と娯楽性にあるのかもしれません。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年5月22日 (火)

美少年。

「これはねー熟読玩味したんだよー読んでみて(ハート)」
そう言ってごそごそと紙袋から5冊あるうちの1冊を、わざわざ私の目の留まるところへ差し出した友人。(←「ダイヤモンドダスト」を貸してくれた友人と同一人物)
それは、団鬼六の「美少年」でした。
「こういうのも読まないと深みが出ないんだよねー(ハート)」
私は「一体どういう深みが出るというの?」と聞いてみたくなりました。でもそれは音声にならず、心の叫びとなって消えました。
「とにかくいいんだよねー(ハート)」
ポーカーフェイスに決め込む私は、友人を刺激したら大変なことになってしまうだろうことが予測できたので、最後までシリアスに取り繕うのでした。

せっかくお借りした本だからと思って、律儀な私は「美少年」を読んでみました。
友人はこの作品をいたく気に入り、穴が開くほど読み耽ったのでしょう。ページをめくり易いのなんの。一ページ一ページが独立していてすんなりと次ページに移行し易いのです。(「ダイヤモンドダスト」はこうではなく、空気に触れていないせいかページをめくるのに苦労した)
本来なら「美少年」のあらすじをご紹介するところですが、今回は諸事情により割愛させて頂きます(笑)
とにもかくにも究極のエロスを追究されたい方にお勧めです。官能の波に襲われて、もう這い上がれなくても構わないと思われる方、堕ちるところまで堕ちて下さい。倦怠期を迎えておられる妻帯者の方、必読です(笑)
ところでここでお断りしておきますが、この「美少年」を貸してくれた友人はK美さんとは別人です。そのK美さんはK美さんで私に一冊の本を貸してくれました。電話がかかって来る度に聞くのです。
「ねー、読んでくれたー? 『ルンペン学入門』」
そう、彼女の貸してくれたのは「ルンペン学入門」。
私にそれほど切実な生活感が漂っているのでしょうか?
「いついかなる時もこの一冊があれば大丈夫」・・・そう言ってニッコリ笑い、私の手を取るK美さんの菩薩のような顔が目に浮かびます。
私には一方で「美少年」を貸してくれる友人がいたり、他方で「ルンペン学入門」を貸してくれる友人もいます。
性に枯渇しても、生活に困窮しても、なんだか乗り越えていけそうな勢いです。
ゆかいな友人たちにめぐまれて、私は本当に幸せなのです。

注)ルンペン・・・最近ではホームレスとも言います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年5月20日 (日)

冬への順応。

死を目前にした千絵子との、思いがけない再会を果した直後であること・・・ぼくはこの事実を、短い間にくどいほど何度も自分に言って聞かせた。驚き。喜び。悲しみ。とにかくなんでもいいから、腹の底から突き上げてくる単純なものが欲しかった。しかし、いくらこぶしを握りしめたところで、涙も、汗も、湧き出るものはなにひとつなかった。

先日我が家を訪れた友人が、トータルで5冊の本を貸してくれました。
どれも書店の店頭に山のように積まれて世間を騒がせたものばかりだったので、追い追い読ませてもらおうと本棚の脇に並べておきました。
気ままな私なので、「読むぞ」と思って読んだためしはなく、今回も何気なくそのうちの一冊を手に取り、帯に記述された吉行淳之介の選評を読んでいるうちに興味が湧いて来たのでした。
それは南木佳士の「ダイヤモンドダスト」です。
この作品で第100回芥川賞受賞したのですが、吉行の選評に次のような一文があります。
「地味だが文学の本筋をゆく作品で、このところ『文学の王道』とか『志』とかいうと顔をしかめてみせる風潮がある。しかし、それは大きな間違いである。」と。
私の中でむくむくと湧き上がる好奇心が、時間の過ぎ行くのも忘れて、南木文学の世界に身を投じさせるのでした。

作者の南木佳士は群馬県吾妻郡嬬恋村出身で、秋田大学医学部を卒業しています。肺癌を専門分野とする医師でもあります。2003年には生と死をテーマにした「阿弥陀堂だより」が映画化されました。
代表作である「ダイヤモンドダスト」は、『冬への順応』『長い影』『ワカサギを釣る』『ダイヤモンドダスト』の四篇が収められています。
ではそのうちの『冬への順応』のあらすじです。

「ぼく」はタイ・カンボジア国境で難民医療活動に参加して三ヵ月後、信州の田舎に帰って来た。
それまで勤務して来た総合病院に再び医師として従事することになったある日、青春の記憶をよみがえらせる女性が現れる。安川千絵子は肺癌で、東京の大学病院から転院して来たのだ。彼女は「ぼく」にとって小学生の頃より「いくえにも屈折したやっかいな感情」を抱く存在であり、それはいわば、「初恋の人」とも言えた。
千絵子の余命はわずか六ヶ月。「ぼく」にできることなんて何一つなかった。神でもない限り延命などできようはずもなく、現代の医学では末期癌患者にモルヒネとコカインを投与してせいぜい痛みをやわらげてあげることぐらいだったのだ。
死にゆく人を前に、「ぼく」はあまりにも無力で、そして冷静だった。

生と死を題材にした作品は数多くありますが、この淡々とした文章の運び方は異質なものを感じました。それは何と言うのか、著者が作中の主人公を遠巻きに眺めていて、一定の距離間をきちんと取っているとでも表現しましょうか。そこに溢れる感情はなく、躍動感はひっそりと息を殺したまま固まっているのです。
ドラマチックな展開はなく、奈落の底へ突き落とされるような現実の砂漠が荒涼と広がるのみでした。けれどそこにリアリティの生み出す人間の真実を垣間見たような気がしました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

ハンドルを握る女。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
(宮沢賢治・手記より)

私の所持する運転免許証はゴールドです。無事故・無違反、模範的なドライバーなのです。それもそのはず私には車がありません。車がないので運転する機会もなく、したがって事故も違反もないというわけです(笑)
移動手段は専ら自転車。職場にも買い物にもどこへ行くにも自転車があれば事が足ります。
風を切って前進した時、なんだか今の自分をもっと好きになれそうな気がするのです。
誰かの言葉にもありましたが、「この世の中には定まった価値など存在しない」のです。
ある人にとっては単なるママチャリにすぎないものが、ある人にとっては便利この上ない道具だったりします。
また、ある人にとっては冴えない見てくれの悪い人でも、ある人にとっては最愛の人だったりします。
そういう、ウソ偽りのない素直な感情こそがこの世の中の価値を決定しているのでしょうか。
それは人によって「愛」と呼ぶものかもしれません。
「愛」はお金では買えません。
本当に欲しいものに出すお金は、お金ではないのです。

いつもK美さんの笑い話ばかりなので、もっとその良さを引き出してあげるような内容でもたまには披露せねばと思いました。
我が友K美さんは車の運転が非常に上手く、助手席に座る人を心地よい気分にさせてくれます。
彼女には二十代の頃から様々なところへとドライブに連れ出してもらいました。
行った場所を羅列したらきりがなく、それほど二人であちらこちらへ出掛けました。
まだ母が健在の時、いつものようにK美さんと出掛けて来ると言って玄関を出ようとした私に、「K美さんが男の人だったら良かったのにねぇ。」と、ぼやいたものです。

箱根峠、十国峠、熱海峠、玄峠、韮山峠、亀石峠、冷川と、伊豆の山並みをつないで走る伊豆スカイライン。天城の山々を中心にして、カーブの多い山中の林道を滑るように走った天城街道。
私は助手席で地図を開いて張り切ってナビゲートするのに、全くあてにならず、要領を得ない指示でK美さんを困惑させ、最終的には彼女のドライバーとしての勘働きに任せ、私は車窓に広がる風景を愛でながらお菓子をつまんでいたりするのです(笑)

両親が自営業者だったこともあり、幼い頃どこかに連れて行ってもらった記憶のない私は、社会人になってK美さんと出掛けるドライブがたまらなく嬉しかったし楽しかったのです。
沼津の千本浜海岸で夕日に向かって「バカヤロー!」と叫んだことや、国道1号線でちんたら走るベンツをスイスイ追い越したことや、ねっとりした霧の中なにか詩的なことを呟きながら疾走したことなど、様々な思い出が私の胸の内をゆったりと廻るのです。

駿河平から望んだ夜景を覚えていますか?
あの時、二人の間に会話などなく、ただ静かに時間だけが流れていました。
この先、あと何回K美さんの隣りに便乗することが出来るかわかりません。K美さんに愛する人が出来たら、私はその席をそっと空けなくてはならないからです。
私たちが見て来た美しい景色を、感動の瞬間を、こぼれるような笑顔を、あなたは次に人生のパートナーと分かち合わねばなりません。
頼りなくただそこにいた私に代わって、今度はおそらくきっと全てを任せられる人が、圧倒的な存在感で守ってくれるに違いありません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月12日 (土)

レンタルする女。

私はいつも「清貧」を心がけているのです。
着るものがあって、食べることができて、住む所さえあれば良しとしよう、と。
「この世界では目に見えるものがそのまま正しいわけじゃない」のです。
ブランドの衣類に身を包み、高級車を乗り回し、三ツ星レストランのディナーを食することが全てではないはずです。
私は自分に与えられた環境を楽しみ、その中で感じられるささやかな喜びをかみしめていけたらと思うのです。
孤高の精神を持って物事に立ち向かいたい。
「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに」、他人の意見を無条件に受け入れてしまう人間にはなりたくない。「集団で行動する連中」になんかなりたくない。常に「生きるという姿勢」に向かって己を律していきたいです。

我が友人K美さんといつものように長電話。
彼女とは時折、私たちの生きるスタンスみたいなものを確認し合います。
私は真摯に彼女の心に訴えかけるのです。
「K美さん、清貧に生きていこうよ、清貧に。」
するとK美さんは力強く同調して言うのです。
「そうだよ!性貧の思想でいこうよ、性貧で。」
電話での会話ゆえ、「清貧」と「性貧」の区別がつかず、思わず私も、
「清貧で孤高に生きていこうよ!」と、ますます共鳴を重ねるのです。
するとK美さんは、
「やっぱり性欲にギラギラしていたらみっともないからねー。そういうことはたまにあれば御の字なんだってば。性貧にいこう、うん性貧で。」
「そうだね~って、そっちの『性貧』じゃないってば!」
「あのさーこの前レンタルビデオ店に行ったのー。そしたら『OLの性』っていう悩ましいビデオが置いてあって思わずレンタルしちゃった(ハート)」
K美さんは何を思ってか暴露話を始めました。
「『OLの性』?それってもしかして・・・?」
「そうだよAVだよー。なんかおもしろそうだからレンタルしてみたんだよねー。それとさ、『チョップリン』(←松竹芸能所属の芸人)のライブビデオも借りたんだけどさー、店員がえらく張り切ってる28歳ぐらいのおにいさんで、『お客様、こちらOLの性は旧作となっておりまして一週間までレンタルできますが、チョップリンは新作ですので二泊三日までとなっていますがどうされますか?』とかって大声で言うからさー恥ずかしくなっちゃってーもう周囲を見回しちゃってさー『三泊四日と二泊三日でお願いします』って蚊の鳴くような声で言ったんだからーあー恥ずかしい。」
K美さん、私の方が恥ずかしいよ。
仮にも私は生涯の友と信じてふだんから「清貧」というスタンスでいこうと誓い合って来たのに、何を取り違えてかあなたは「性貧」の思想を論じていたとは!!
私はそんなK美さんの飽くなき欲望の前に己の無力さを感じました。
そう、あなたはやはり「性貧の思想」で全うしなさい(笑)

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年5月 4日 (金)

石田徹也遺作集。

私は映画を観に行くために浜松の街中、スクランブル交差点を横切っていました。
むせかえるほどの人の波と熱を帯びた風の吹き返しに、思わず酔ってしまいそうでした。
天候に恵まれ、明るい陽射しがアスファルトに反射して革靴に熱が伝わって来るほどでした。
3日から浜松祭りが開催されるせいもあって、車道のそこかしこに御殿屋台がシートを被って止められていて、通行人の多くはハッピを着ていました。
何やら楽しげにわいわいと騒ぐ女子高生たち、歩道の脇にしゃがんでメールを打つ数多の大人、ベビーカーを押しながら赤ん坊に語りかける新米ママ、ガイドブックとにらめっこしながら立ち往生する観光客。
全てが全て初夏の躍動感に萌えていました。
でも私はGWがあまり好きではないのです。
GWに限らず、お盆休みとかお正月とか。
仕事が休みなのは大変嬉しいことなのですが、長期の連休に私は人並みの楽しみを満喫できないような気がするからです。
私には故郷もなく、帰省する実家もなく、あるいは我が家に親戚が集まるということもありません。
兄弟姉妹もいないので、私を気遣う電話がかかってくるわけでもありません。
個人的な旅行の予定も特になく、孤独そのものです。
世の中には、そんな立場の人間はいくらでもいると自分に言い聞かせ、気にしないでいるつもりなのですが、雑踏の中の己を省みた時、急に込み上げて来る郷愁に思わず戸惑いを隠せません。

私は、本屋で以前から探していた画集をやっと見つけることができました。
それは「石田徹也遺作集」です。
この孤独で絶望的な絵を前にした時、私の心の傷は半減されるのです。
深い深い海の底に沈んでいる悲哀を、静かに弔うことができます。
石田徹也は静岡県焼津市出身で、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業しています。
グラフィックアート「ひとつぼ展」にてグランプリ受賞。
毎日広告デザイン賞優秀賞受賞。
JACA日本ビジュアル・アート展グランプリ受賞、等々。

石田作品は、ダリやマグリットなどのシュールレアリズムに傾倒しており、写実を基本にしています。
私が衝撃を受けたのは、携帯電話が男の顔面を押し潰し、鮮血に染まって絶命している作品、部屋の一角に建てられた墓石の前でヘッドフォンをして座る男の作品です。
そこに意味があるのかないのか、あるいはイメージ先行なのか、そんなことはどうでもよいような気がします。
モチーフになっている男は紛れもなく石田徹也本人。
彼はキャンバスに自分の何を見たのでしょうか?
その魂の叫びは私の心にこだまし、意識の空間を反響し続けるのです。

「私、寂しいんです。あなたも寂しいですか?」

私は彼に問いかけたい。
でも、石田徹也は31歳で急逝しており、すでにこの世の人ではありません。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »