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2007年5月20日 (日)

冬への順応。

死を目前にした千絵子との、思いがけない再会を果した直後であること・・・ぼくはこの事実を、短い間にくどいほど何度も自分に言って聞かせた。驚き。喜び。悲しみ。とにかくなんでもいいから、腹の底から突き上げてくる単純なものが欲しかった。しかし、いくらこぶしを握りしめたところで、涙も、汗も、湧き出るものはなにひとつなかった。

先日我が家を訪れた友人が、トータルで5冊の本を貸してくれました。
どれも書店の店頭に山のように積まれて世間を騒がせたものばかりだったので、追い追い読ませてもらおうと本棚の脇に並べておきました。
気ままな私なので、「読むぞ」と思って読んだためしはなく、今回も何気なくそのうちの一冊を手に取り、帯に記述された吉行淳之介の選評を読んでいるうちに興味が湧いて来たのでした。
それは南木佳士の「ダイヤモンドダスト」です。
この作品で第100回芥川賞受賞したのですが、吉行の選評に次のような一文があります。
「地味だが文学の本筋をゆく作品で、このところ『文学の王道』とか『志』とかいうと顔をしかめてみせる風潮がある。しかし、それは大きな間違いである。」と。
私の中でむくむくと湧き上がる好奇心が、時間の過ぎ行くのも忘れて、南木文学の世界に身を投じさせるのでした。

作者の南木佳士は群馬県吾妻郡嬬恋村出身で、秋田大学医学部を卒業しています。肺癌を専門分野とする医師でもあります。2003年には生と死をテーマにした「阿弥陀堂だより」が映画化されました。
代表作である「ダイヤモンドダスト」は、『冬への順応』『長い影』『ワカサギを釣る』『ダイヤモンドダスト』の四篇が収められています。
ではそのうちの『冬への順応』のあらすじです。

「ぼく」はタイ・カンボジア国境で難民医療活動に参加して三ヵ月後、信州の田舎に帰って来た。
それまで勤務して来た総合病院に再び医師として従事することになったある日、青春の記憶をよみがえらせる女性が現れる。安川千絵子は肺癌で、東京の大学病院から転院して来たのだ。彼女は「ぼく」にとって小学生の頃より「いくえにも屈折したやっかいな感情」を抱く存在であり、それはいわば、「初恋の人」とも言えた。
千絵子の余命はわずか六ヶ月。「ぼく」にできることなんて何一つなかった。神でもない限り延命などできようはずもなく、現代の医学では末期癌患者にモルヒネとコカインを投与してせいぜい痛みをやわらげてあげることぐらいだったのだ。
死にゆく人を前に、「ぼく」はあまりにも無力で、そして冷静だった。

生と死を題材にした作品は数多くありますが、この淡々とした文章の運び方は異質なものを感じました。それは何と言うのか、著者が作中の主人公を遠巻きに眺めていて、一定の距離間をきちんと取っているとでも表現しましょうか。そこに溢れる感情はなく、躍動感はひっそりと息を殺したまま固まっているのです。
ドラマチックな展開はなく、奈落の底へ突き落とされるような現実の砂漠が荒涼と広がるのみでした。けれどそこにリアリティの生み出す人間の真実を垣間見たような気がしました。

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コメント

こんばんは~。
南木佳士、この人の小説は、
「医学生」という作品を2度ほど読みました。
30代前半、私、その頃に手術して復帰したばかり。
医者の先生に助けられ、本気で医学部に再受験しようかな?
なんて思ったんですよ。
無謀な考えでした。

投稿: カイ | 2007年5月20日 (日) 23:59

カイさんコメントありがとう(^o^)
そうですか、そんなご経験があったのですね~。
でも医学部再受験という意気込みはすごいですよ(^^)
それだけでも医師への並々ならぬ感謝の気持ちとか尊敬の気持ちが伝わって来ますね(^_-)-☆

投稿: さんとう花 | 2007年5月21日 (月) 18:52

実は、最近この類の本がやたらと目に入り、なぜか衝動的に買ってしまいます。末期がんの方を題材にした本です。暗いといわれるかも知れませんが、残りを計算し始めました。私の家系は、やはり癌の家系で、確率的には、高い方ですね。自分がなったらどうするだろうとか考えてしまうときがあります。本の主人公みたいに勇敢に戦う事が出来るだろうか?とか。結局は、そのときになって見ないと判らないだろうと、今は全て先送りするしかありません。

投稿: 晴兵衛 | 2007年5月21日 (月) 21:33

晴兵衛さんコメントありがとう(^o^)
私も母を癌で亡くしているので決して他人事ではないのですよ。
人間の臨終とか、その存在とか、否が応でも考えずにはいられないテーマですよね。
でも今はひたすら前を向いて前進するのみです。
この道は一度だけなので・・・。

投稿: さんとう花 | 2007年5月22日 (火) 00:21

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