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2007年6月28日 (木)

みんなの秘密。

実に十日間、読書から遠ざかっていました。
暇つぶしの読書は、得てして贅肉にはなっても骨にはならないかもしれないなぁと思いました。
BGMにジェイムズ・ブラントを流しながらうたた寝してみたり、シャガールの画集をめくってみたり、昔買い揃えたレコードのジャケットを眺めてみたり、読書に代わることはいくらでもあるということです。
読書から離れてわかったことはそのぐらい。
もともと私にとって読書なんて趣味の一つでしかなく、数あるデザートの中で最も食べ慣れたモノという感覚かもしれません。

職場の同僚たちの間で林真理子が話題を呼んでいるのです。
読書家のYさんがとにかく林真理子に傾倒していて、「みんなの秘密」という文庫本の感想を聞きたいと言い出したところから回し読みが始まりました。
女性7人中、5人は四十代、私は三十代、残り一人は二十代。驚いたのは四十代の5人全員が林真理子大絶賛!
理由は思いのほか簡単明瞭、「読み易い」「同じ目線」「エロい」というものでした。
二十代の子は皆に気を遣ってなのか、はっきりとは読後感を語らなかったのですが、印象としては「嫌悪感」を持ったような感じでした。
ちなみに私はごくごく普通におもしろかったです。

林真理子は山梨市出身で日本大学芸術学部文芸学科を卒業しています。コピーライターとして活躍ののち、作家としてデビュー。
「最終便に間に合えば」「京都まで」の二作の短篇小説で直木賞を受賞しています。
「みんなの秘密」は吉川英治文学賞を受賞しています。
この作品は連作の短篇小説という構成になっています。なので一編一編は独立した作品ではありますが、登場人物が作品ごとに交代していくような形を取っているのです。

田舎の母親が危篤との報せを受け、また、兄嫁が介護の日々を送り疲労困憊している旨を聞き、渋々実家に帰る。実の娘でありながら母親の延命ではなく、死を祈っていることに愕然とする。早くけりがついて欲しいと願う主人公は、尿瓶の中に茶色の液体がゆっくりと底の方に貯まっていくのを眺めながら、「親の死を看取ることは、自覚しながら幾つかの罪をつくることだと」知る。

主人公は拒食症を患っている。比較的軽症とは言え、心の病であることには変わりない。何人かの男性とも関係を持ち、仲間とテニスやスキーに興じ、流行の店に食事に出掛けるなど、一見楽しげで明るさに満ちた女子大生のイメージだった。
しかし、彼女には世間に知られてはならない秘密があった。
自分の恋焦がれている相手と唇を重ね、お互いの服を脱がし、相手の皮膚を感じ、それが重なった時、彼女は嬉しさのあまり泣いた。
それは、同性との禁断の恋だったからだ。

このような人間の密やかな関係を淡々と、しかも鮮明に描いた小説は、確かに女性の好奇心をくすぐります。
巧みな比喩力と言葉の使い回しは、息の長い人気作家たる秘訣であり、同性の絶大なる支持を受ける所以かもしれません。

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2007年6月17日 (日)

変身。

ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた。
(「変身」フランツ=カフカ著/池内紀・訳より)

この小説の冒頭はあまりにも有名で、例えるならそれは川端作品の「雪国」・・・『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。』・・・に通ずるものを感じます。
ここしばらくは日本の小説を狂ったように読んで何かを感じて、それから記憶の向こう側へと押しやっていたような有り様でした。
最近の売れセンを読んで、何とか周囲と打ち解けたい、あるいは話題のネタにしたいと、やみくもにページをめくっていたのですがとりあえずピタリとそういう「あがき」はやめることに。するとフツフツと湧き上がるのは「文学に触れたい」、ただその一念のみが胸の内を行ったり来たりしていました。
何度か読んでいるはずの「変身」を無性に読みたくなってしまいました。
フランツ・カフカの作品である「変身」は短篇で読み易く、でも内容には奥行きを感じるのです。カフカはドイツ語教育によるギムナージウムを卒業後、プラハ大学(法学専攻)へ進学します。
カフカに親近感を覚えるのは、彼は決して作家志望というスタイルに囚われず、サラリーマン勤めのかたわら、趣味で小説を書いていたということです。
全くの無名なのにそれなりに活字化されたのは、カフカに文学者の友人がいたことと、出版社を経営する友人にめぐまれたからなのだそうです。そういうきっかけがなければ当然発表の予定もなく、たとえ書き上げたとしても世に知られることはなかったと。

さて、あらすじです。

ある朝、目が覚めるとグレーゴルは一匹の醜い虫になっていた。
前日まで普通にセールスマンとして働いていたというのに、翌朝になると突然変身してしまったのである。
家族は両親と妹。一家を支えているのはグレーゴル。
一体この先どうしたらいいのだろう・・・?
醜い虫となってしまったグレーゴルに対し、家族はそれまで懸命に働き続けて来た彼の労など微塵も忘れ去り、邪険に扱う。
グレーゴルは怯えながら触角を伸ばして辺りをうかがい、「追いまわされ、逃げまどい、ほうほうのていで片隅に這いこみ、息を殺している」のだ。
そして最終的に家族からは見放され、ひからびて息を引き取ってしまう。
家族はそのことで、一同、安堵する。

せつないのは最後の件です。
それまで長男のあくせく働いて来てくれた金銭で両親も妹も生活できたというのにもかかわらず、いざ姿形を変え、役立たずとなってしまったグレーゴルにその存在価値を認めないのですから。亡くなったことでホッとするのですから。
このことは、現代社会を痛烈に皮肉っているとも受け取れます。あるいは「仕方のないこと」としてあきらめの境地にも似たものがあります。
これほど格調高い文学はなかなかお目にかかれるものではありません。
中島敦の「山月記」にも似ていますが、カフカのそれは、東洋的な陰気で狂信的な暗さというものがなく、それでいて内面的にはきわめて高貴なのです。

私はこの「変身」を読む度に、文学の真髄に触れることができるのです。

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2007年6月13日 (水)

家族狩り。

長編で、しかもミステリー小説というのはずい分と久しぶりのことでした。
読了できるかどうか心配だったのですが、難解な表現もなく、込み入った構成でもなかったためわりとスムーズにラストを迎えることができました。

天童荒太の「家族狩り」を読みました。
久しぶりに読んだサスペンスモノということで、読了後は多少の肩こりを覚えました(笑)
この作品を数ページ読み進んだところで思い出したのは栗本薫の「シンデレラ症候群」や「ハード・ラック・ウーマン」です。
心理サスペンスの走りとも言うべきか、当時『ボーダーライン』(境界性人格障害)という病名が栗本薫の作品などによって漸く市民権を得たのです。
そういう意味で「家族狩り」は、社会に潜む心の闇をクローズアップして、決して他人事ではないのだと警鐘を鳴らしている現代心理サスペンスとも言えます。
栗本薫が登場人物の会話に頼ってやや感傷的なのに対し、天童荒太はどこまでもリアルにこだわろうとしてか、凄惨な描写に力を入れているキライがあります。

さてその天童荒太ですが、愛媛県出身で明治大学文学部演劇学科を卒業しています。
代表作に「孤独の歌声」「永遠の仔」等があります。
「家族狩り」では山本周五郎賞を受賞しています。

ではあらすじです。

高校のしがない美術教師を務める浚介の住むアパートの隣りで凄惨な事件が起きる。
あまりの悪臭に耐えかね、隣りのようすをうかがってみたところ、血まみれのベッドの上には背中合わせで縛られた全裸の中年男女、窓際の椅子には老人が縛りつけられており、左の白濁した眼球は蠢く蛆虫の群れによってこぼれ落ちた。さらには全裸の少年の自殺と思われる腐乱死体が発見された。
杉並警察署の馬見原警部補らがそのヤマを追うことになる。
やり手の馬見原にも家庭では様々な問題を抱えていた。
妻の佐和子は自傷癖があり、精神病院の入退院を繰り返していた。
長女とは折り合いが悪く、絶縁状態。
長男はすでに亡くなっていた。
癒しを求めてというわけではないが、幼児虐待を繰り返していた男の女房で、健気に子供を育て上げる綾女に心惹かれ、馬見原は二人を心の支えにする。
一方、浚介は生徒の一人である亜衣の抽象的でしかも強烈な色彩を放つ絵画に目と留めた。しかしその亜衣は、両親の無関心な態度と愛の感じられない家庭環境に半ば疲弊し、心を病んでいた。亜衣は浚介に救いを求めてその狂気の沙汰をシュールな絵の中に込めた。
様々な人間模様が絡み合い、「崩壊した家族の再生」と「愛の病理」を描く。

この手の作品は好き嫌いがあると思うので、万人にお勧めできるものではありません。
あくまでもホラー小説ではありませんので、「身の毛もよだつ」という表現は相応しくなく、どちらかと言うと家族のあり方をどん底からなめ回すように見つめた心理サスペンスとして捉えるのが妥当かと思われます。

ちなみに著者の天童荒太は、文庫化の際に大幅に改稿をする方らしく、「家族狩り」についてもだいぶ変更されているようですので文庫本を買われる方には上記のあらすじは参考になりませんのであしからず。

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2007年6月10日 (日)

男たちの大和。

海行かば水漬く屍
山行かば草生す屍
大君の辺にこそ死なめ
かへりみはせじ

大正13年生まれの父は軍人でした。
お風呂に浸かると必ず「海行かば」を口ずさみ、絶望的なため息をつくのでした。
帝国海軍を象徴するこの歌を、父やその同期の桜たちがどれほど万感の想いをこめて歌ったことか、想像を絶します。

昭和18年6月5日、この日は大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官であった山本五十六の国葬がしめやかに行われた日です。
「男たちの大和」・・・2005年に公開されたこの作品をどうしても観る気にはなれず、ここまで来てしまいました。
第二次世界大戦時下を潜り抜けて来た両親が、黙して語らなかった真実。
戦争映画に戦争特集、戦争記事については一切見ざる、聞かざる、言わざる。
両親の徹底した姿勢に、私は幼いころから「触れてはならぬこと」として心に留めて来ました。
しかし、事実として思い出されるのは、上官に殴られたのが下で父は左耳が不自由だったこと。
父が遺したかなり古い戸籍を読むと、父の長兄は「昭和19年7月18日午後参時マリヤナ諸島ニ於テ戦死」していること。
母の古い日記に寄れば、当時母の許婚だった青年士官学校の教師との永遠の別れ。
全てが残酷で悲哀に満ち、行き場のない絶望に溢れているのです。

ここに「男たちの大和」のあらすじをあえて書くことはいたしません。
昭和19年レイテ沖海戦に出撃した際、米軍の激しい爆撃に遭い、事実上連合艦隊が壊滅状態に陥った時、すでに戦争の勝敗は決まっていたのかもしれません。

「この作品はぜひ観るべきだ」と勧められてDVDをお借りしていたのですが、ようやく、やっとの想いで鑑賞することが出来ました。
出演者は錚々たる役者さんたちで揃えられ素晴らしい演技力と、特撮の圧倒的な完成度の高さで映画としては申し分のない作品でした。
ずい分昔、ベトナム戦争をモチーフにした「プラトーン」を観ていた私が何かの拍子に「カッコイイ」と無責任なことを呟くと、傍らの父がキッとした眼差しで私をにらみつけ、
「おまえは人間の肉片が散らばっているのを見たことがあるのか? ぐしゃりと潰れた脳ミソを見たことがあるのか? 蛆虫のわいた腐った屍を見たことがあるのか?」
と怒鳴られました。
おそらく、現実とはそういうことなのです。
しかし、真実を目の当たりにした戦艦大和は、北緯30度43分、東経128度04分に静かに眠るのみ。
リアルタイムを生きた両親もすでにこの世の人ではなく、軍服姿の父がセピア色に変色した写真の向こう側で立ち尽くすのみなのです。

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2007年6月 4日 (月)

長い旅の途上。

「さんとう花さんにはこの路線が合っているんじゃないかと思って。」
友人のK美さんから渡された星野道夫の著書が3冊。
星野道夫について知っていることなんて、せいぜい写真家で、いつだったか「どうぶつ奇想天外」の取材先においてヒグマの襲撃を受けて亡くなったということぐらい。
「さんとう花さんと星野道夫との共通性、それは叙情的であることとドキュメンタリータッチであることだよ。」
K美さんは恐らく、高校時代に発表した私の手記を思い出したのでしょう。私は17歳の秋に修学旅行の思い出として、京都は洛北にある鞍馬寺についての記事を投稿しました。学校側の規定で、四百字詰め原稿用紙2枚以内に書き上げて来るようにとの指示でしたが、私は鞍馬寺での鮮明な記憶と洗われるような魂の息吹を皆に伝えたくて、単に「勢い」だけで書き上げたのでした。
そんな昔の記事を覚えているK美さんて・・・。
K美さんはふだんはおどけて明るく陽気な人柄なのですが、なぜかシリアスな状況では私を高く評価し過ぎるキライがあるのです(笑)
「眠れる(いの)ししだね。」と言うのです。(私の干支はイノシシです。)

そんなK美さんが貸してくれた星野道夫の著書から「長い旅の途上」を読んでみました。
星野道夫は千葉県市川市出身で、慶応義塾大学経済学部を卒業しています。主にアラスカでの大自然を拠点に写真撮影と随筆を手掛けて来ました。1996年にテレビ番組の取材のためロシア、カムチャッカ半島南部クリル湖畔においてヒグマの襲撃を受け、44歳という若さで亡くなっています。
その彼から人知れず励まされたこと。
それは「好き」であることは美学なのだと。
星野道夫は子供のころ、学習塾を一日で辞めてしまいます。さらに社会人になってからは、写真の技術を学ぼうとして動物写真家の田中光常の下で働きますが、わずか2年で挫折。やっとの思いで入学したアラスカ大学でも中退という顛末で、どれも中途半端な経歴なのです。
ところが彼はアラスカが「好き」だったのです。
とにかく「好き」でたまらなかったのです。
大自然の中で訴えかける生命の神秘、礼賛、そこから窺える人生の本当の意味での豊かさ。
そこがアラスカであろうが東京であろうが浜松であろうが何も変わりはしない、感じる心が必要なのだと。

多くの選択があったはずなのに、どうして自分は今ここにいるのか。たった一度の一生を、なぜAではなく、Bの道を歩いているのか。
(中略)
きっと、私たちには、多くの選択などないのかもしれない。それぞれの人間が、行き着くべきところに、ただ行き着くだけである。

私たちはいつも人間の持つ「狭い善悪」にとらわれ、根拠のない理屈を求めがちです。
「なぜ」「どうして」という問いかけの最終的に行き着くところは、深く考えるまでもなく「行き着くべきところに、ただ行き着くだけ」なのかもしれません。

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