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2007年7月 7日 (土)

南風北春。

仕事帰りにイタリアン・トマトに立ち寄りました。
疲れた身体が甘い物欲しさにこの店の前を素通りするのを許さなかったのです(笑)
私はマンゴーショートケーキとアイスコーヒーを注文しました。
笑顔に愛嬌のある店員が、「季節限定冷製パスタはいかがでしょうか?」と私を欲望の渦に巻き込みそうでしたが、私は冷静な判断力(?)を持って「いいえ、また今度にします。」と丁重にお断りしました。
やはり何でもそうですが、相手の挑発に軽々しく乗ってはいけないのです(笑)
ほど良い頃合いを見計らって(この場合、財布の中身と相談して)引き際を知るのです。

誰にでも一冊や二冊は、特にお気に入りの愛読書というものがあるかと思います。
「気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである。」
と村上春樹は述べています。
私も全くの同意見で、そういう素直な気持ちをかみしめるようになってからと言うもの、「三国志」について私の胸が歓喜に震えるいくつかの名場面を紹介せずにはいられないのです。

名軍師諸葛孔明が天下分け目の赤壁の戦いを仕掛け、東南風が吹き荒れるとともに江東を去るのです。その引き際たるや、見事なまでの用意周到ぶり。
「必ずや江東の水軍大都督周瑜は我が身をねらって来るに違いない」
生きては帰さぬであろう周瑜の気質を見抜いていたのです。孔明は長江の岸まで迎えの舟を申しつけており、それに乗って霞のごとく夏口へと戻って行きます。
怒りをあらわにした周瑜は、孔明を生かしてはおかじと刺客を差し向けるのです。
周瑜の命を受けた徐盛、丁奉は逃がしてはなるものかと必死に上流へと追って行きます。

すると果たして、孔明の白衣のすがたが、先にゆく帆の船尾に立った。そして呵々と笑いながら此方へ答えた。
「よう参られたり、お使い、ご苦労である。周都督のお旨は承らずとも分っておる。それよりもすぐ立ち帰って、東南の風もかく吹けり、はや敵へ攻めかからずやと、お伝えあれ。」

それでも「追いつけ、追いこせ」とばかりに刺客は迫って来る。

孔明は、笑っていたが、彼と船中に対坐していた一人の大将が、やおら起って、徐盛の舟へ向って呼ばわった。
「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の趙雲子龍である。わが軍の軍師をお迎えして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あって阻むか。」
趙雲は手にたずさえている強弓に矢をつがえて、弓をぎりぎりとひきしぼり徐盛の方へとびゅっと放った。「あっ」と、徐盛も首をすくめたが、もともとその首を狙って放った矢ではない。矢は、彼のうえを通り越して、うしろに張ってある帆の親綱をぷつんと射きった。そのせいで船は危うく転覆しそうに見えた。
趙雲は、からからと笑って、弓を捨て、何事もなかったような顔して、ふたたび孔明と向かい合って話していた。

逃げてゆく身だというのにこの余裕たるやいかに!
私はここで迎えに来た将が趙雲であったことも孔明の人選に狂いはなかったと思うのです。関羽でもなければ張飛でもない、趙雲子龍その人に御身を預けたのです。
孔明と趙雲の見事なまでの引き際、冷静な判断力と余裕すら感じられる互いの信頼関係。向うところ敵なしなのです。

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コメント

中国5千年の歴史は、なんと言っても世界に誇れる物だと思います。文字の発明が無ければ、その歴史も記録として残らないわけですから。特に、日本人にとっては、同じ象形文字の流れを汲んでおり、やはり中国は古代においては、先生であったのです。
しかしながら、その後も権力抗争の歴史に明け暮れ、安定期には、悦楽をむさぼるようになり、最後は、誰かが出来てきて、従来の文化・文明をメチャクチャにしてしまったのです。

投稿: 晴兵衛 | 2007年7月 8日 (日) 11:49

晴兵衛さんいつもコメントありがとうございますm(__)m
毎日蒸し暑い日が続いていますが、どうですか?
今年も猛暑の気配。熱中症などにはくれぐれもご用心(^^)

投稿: さんとう花 | 2007年7月 8日 (日) 18:29

台風に気をつけてくださいね。上流の天竜川では、氾濫しているみたいですから。

投稿: 晴兵衛 | 2007年7月15日 (日) 08:07

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