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2008年2月29日 (金)

アンジェラの灰。

精神的にも経済的にも貧しい時期がありました。
あまり思い出したくはないのですが・・・。
そう、私が中学に入学して間もない6月3日(日)の朝。
突然、父が病に倒れたのです。
父はそれまで自営業を営んでいたので、固定給などはなく、退職金もありませんでした。
お店をたたんだことで、日銭は一銭も入らなくなりました。
つい3ヶ月前までは小学生だった私に知恵など浮かばず、とにかく母の悲壮な表情をうかがい、ピアノのレッスン、クラッシック・ギターのレッスン、ガールスカウト、華道、茶道などあらゆる習い事をきっぱりと辞め、先の見えない不安に怯えていました。

大人になった今なら、あの時の母の心情を理解できます。
父の高額療養費に充てるため、所有していた土地を売り払い、預貯金を解約し、果たしてどこまで食いつなぐことができるのか?
あるいは我が家とその敷地を抵当に入れ、どれほどの融資を受けられるのか?
父の介護と12歳の私の面倒は、母の背に重くのしかかったに違いないのです。

私は「アンジェラの灰」を観ました。
この作品は、フランク・マコートの自叙伝「アンジェラの灰」を映画化したもので、名誉あるピューリッツァー賞を受賞しています。
1999年にアメリカで公開され、翌年には日本でも封切られました。

1930年代の世界的大恐慌のさなか、アイルランド出身のマラキとアンジェラ、そしてその子供たちを取り巻く極貧生活を赤裸々に描く。
ニューヨークで暮らすマラキとアンジェラには、5人の子供たちがいたが、生活が貧しく、生まれたばかりの赤子を死なせてしまったのをきっかけに、アイルランドへと戻る。
だが、目下失業中のマラキはプライドだけは高く、失業手当がおりると友人らに酒をおごり、自分も飲んだくれて、一向に生活は改善されなかった。
雨の度に水浸しになってしまうほど傾いた部屋を借り、子供たちは着たきりすずめの格好で学校へ通うのだった。

アラン・パーカー監督の、憂鬱でけだるく退廃的なムードを押し立ててのこの作品は、実際には救いようのない絶望的な内容であるにもかかわらず、作中のそこかしこにコミカルでささやかなユーモアが散りばめられているのです。
極貧生活の中から見出した一筋の光、それは渡米への夢。
ラストでは主人公のフランクが、やっとの思いで渡航費用を貯め、家族と貧しい近所の隣人に見送られて乗船。
甲板から自由の女神を仰いだ時、一体どんな気持ちだったのでしょうか?

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2008年2月23日 (土)

ブリジット・ジョーンズの日記。

この作品が公開された時から、ずっと興味は持っていたのです。
でもなんとなく我が身を省みるようで、直視できませんでした。
ヒマな休日を持て余して、ようやく観ることができました。

ヒロインはロンドンの出版社に勤務する32歳の独身女性。
周囲から「なぜ結婚しないの?」とか「タイムリミットが近付いている」などと心無い言葉を浴びせられるのです。
その度に彼女は、泣き笑いのような表情を作ってムリヤリ明るく受け答えをします。
幸いにも(?)、私はたった一度の挫折(離婚)により、自分に対してとてもネガティヴになっているせいか、この作品のヒロインのように恋愛にはハングリーになれません。

一人、アパートに暮らし、夜はつまらないテレビ番組を見るともなしに見て、浴びるようにお酒を飲んで、いつのまにか爆睡しているような生活。
週末になると気心の知れたキャラの濃い仲間とつるんでバーに出かけ、上司の悪口を言ったり、グチをこぼしたり、さんざん飲んで騒いでやっと帰宅。
目下、興味があるのは良識のある男性とどうやってお近付きになれるか、あるいはゴールまでたどり着けるか。
三十路を過ぎて焦り始めた女性の内面を、この映画ではコメディタッチで表現して観客を楽しませてくれるのです。
さしあたり私などは酒もタバコも男もやらないので、何にはけ口を求めたら良いのでしょうか?(笑)

「ブリジット・ジョーンズの日記」が2001年に公開された当時か、それ前後に、確か「負け犬の遠吠え」という小説がベストセラーになっていたような・・・。
30代独身女性の苦悩は、いわば社会現象にもなっているのですね・・・。

ブリジット・ジョーンズ役のレニー・ゼルウィガーは、なりふりかまわないスタイルで、等身大のヒロインとして見事に好演を果たしています。
ありのままの自分を愛してくれる人がいたら、どれほど幸せなことか。
でも、ただ待っているだけではどんなチャンスも逃してしまう、行動あるのみ、と私たちの背中をポンと押してくれるような力強いものを感じました。
同時代を生きる女性に、いろんな意味で勇気とか希望を与えてくれる、明るく快活な作品に仕上がっています。

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2008年2月17日 (日)

ニュー・シネマ・パラダイス。

やっとバレンタインデーという厄介なものが終わってくれました。
特別な誰かに愛を告白する勇気も、職場の上司に義理チョコなど渡す予定もなかったので、私はデパ地下で自分のためにマイ・チョコを買いました。
ふだんがんばっている「自分へのごほうび」という意識で購入する女性が近年増えているとか。
その気持ち、痛いほどよくわかってしまう私なのです・・・。

私はゴディバの「アムール ミステリユ コレクション」というリッチなチョコを購入しました。
ハートムース(1個)、カレ ミルクラズベリー(2個)、クールプラン(1個)、トルピヨン プラリネ(1個)、カレ ダークスパークル(1個)、ムースノワゼット(1個)、計7粒のささやかなチョコなのですが、お値段はなかなかどうして、ふだん質素な暮らしに努めている私には贅沢な代物でした。
私はそれら一粒一粒をゆっくりと口の中でとかし、舌先ではじけるチョコの食感を楽しみながら、「ニュー・シネマ・パラダイス」を観ました。
1989年公開のイタリア映画で、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品です。
なぜイタリア映画を観ようと思ったのかは自分でもわからないのです。
ただ漠然と、「泣きたい気持ち」だったのかもしれません。

舞台は、戦後間もないシチリアの小さな村。
映画館はジャンカルド村唯一の娯楽の場であった。
村の人々は、パラダイス座で上映される映画を心から愛していた。
母親の目を盗んでは映画館に通い詰めていたトト(サルヴァトーレ)は、映写機を操る映写技師のアルフレードが大好きで、アルフレードもまたトトのことが大好き。
幼かったトトもやがて成長し、同級生のエレナに恋をする。
エレナの愛を得たサルヴァトーレだったが、エレナは引越し、彼はローマで兵役に就くことになった。
その後エレナとは2度と会うこともなく、サルヴァトーレは傷心を抱えたままエレナを忘れるためにシチリアを去る。
30年が過ぎた後、サルヴァトーレは才能を開花させ、有名な映画監督となって帰郷する。

この作品の根底に流れる「ノスタルジー」は、ある程度の年齢に達しないとなかなか理解できない感情かもしれません。
忘れられない誰かをひたすら想い続け、胸に秘めて生きていくことの苦しさ。
「若さ」という加速度に押し流されて、現実を見誤り、状況判断できなくなることへの警鐘。
胸を焦がすほどの情熱的な恋愛も、いつかは終わる。
人は皆、その幻想から必ず覚醒する。
映画のラスト、全盛を誇ったパラダイス座はテレビの普及で廃館。
映写技師のアルフレードは亡くなり、サルヴァトーレは形見のフィルム缶を手にローマへ戻るのです。
ローマに戻ってアルフレードの残したフィルムを観た時のサルヴァトーレの表情と、スクリーンに映し出された数々のキスシーンが流れて来ると、もうどうしようもなく、たまらずに涙が込み上げて来るのです。

恋とは、色褪せない遠い記憶の残像なのかもしれません。

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2008年2月11日 (月)

ロートレック展。

2月2日の父の命日は、いつもと変わらない朝を迎え、一本のお線香をあげてお位牌に手を合わせました。
父方の親戚とはすでに付き合いもなく、私のことなど覚えている人は、まずいない。
菩提寺は伊豆にあるけれど、年に一度だけお盆にお参りするのみ。
きっとお墓は草ぼうぼうで、墓石のてっぺんは心無いカラスの糞で汚れていることだろう。
本来なら、外出する余裕のある時こそ優先してお墓参りに行くべきなのに。
私は趣味を優先して、東京は六本木、ミッドタウン内にあるサントリー美術館に出かけてしまいました。
それは10日(日)のこと。
どこまでも親不孝の私です。
時折思うのは、人間たちなど全て無視して毎日部屋にとじこもりきりになって、落葉を終えた木々の間を小雪が舞うのを見てすごしたい、と。
でもそんな勝手な生活など許されるはずもなく、毎日毎日、時間と生活と目に見えない他人の辛辣な言葉に苦悩し、追われて生きていくのが現実なのです。
そんな私がなぜ東京まで出かけたのか?
もしかしたら、そこに「癒し」を求めたのかもしれません。
人工の光を浴びながら、人知れず寂しさを抱え、猥雑な環境の中で肩を震わせながら生きている孤独な姿を思い浮かべてしまったのです。

私はサントリー美術館で、ロートレック展を観ました。
静岡の片田舎では、まずお目にかかれない素晴らしい設備と、優雅で格調高い館内を存分に楽しませてもらいました。
休日ということもあってか、館内は満員。
一つの作品をじっくりと堪能するインテリジェンスが多くて、まるで前に進めないのです。
南仏の画家ロートレックは、風景画や静物画をたしなまず、その作品のほとんどが人物、あるいは動物なのです。
私が特に気に入ったのは、娼婦が疲労のためベッドに無造作に横たわる姿。
このデッサンは、ほんの短時間で描き上げたとはとても思えない表現力なのです。
客を取る合い間を縫って、少しでも体を休めたいと仰向けに無抵抗な姿で横たわる娼婦は、隠微で、だけど人間の抜け殻なのです。
ロートレックの描いた都市風俗は、決してエロティックではありませんが、彼が目指していたのはそういうものではなく、もっと大衆文化を自然な形で表現することにあったのではないでしょうか。

「僕はデッサンで自由を買った」
と、自身の仕事に誇りを持っていたロートレックの創作活動は、晩年の10年間に集中しています。
彼は37歳という若さで、天寿を全うしたのです。

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