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2008年3月28日 (金)

顔色さえ変える女優。

私がこの女優さんを知ったのは高校生の時なので、かれこれ20年も前のことです。
当時まだ健在の母といっしょにNHKテレビで放映されていた“世界名画劇場”という番組で「ガス燈」を観たのです。
この作品は、1944年(米)に公開されたモノクロ映画で、内容的には心理サスペンスを扱ったものです。
私は隣りでお煎餅か何かをボリボリ食べながら観ていた母に、思わず聞いてしまいました。
「お母さん、このヒロイン役は何て言う女優さんなの?」
「イングリッド・バーグマンだよ。」
そう、彼女こそ私のハートを捉えて離さなかった女優さんなのです。
このイングリッド・バーグマンが登場するやいなや、私は一気に作品の中へと没入していくのがわかりました。
ヒロインが忍び寄る不安に恐れおののき、精神的に追い詰められていくシーンでは、バーグマンの顔色がみるみるうちに青褪めていくのがわかるのです。(モノクロ映画だと言うのに。)
もはやこれは演技というより、芸術ではないかと思ったほどです。

その後、私はヒッチコック作品に傾倒して行くのですが、そのヒッチファミリーの一員であるイングリッド・バーグマンは、サスペンス・スリラー映画において見事に開花していくのです。
ヒッチコックの自叙伝などを読むと、イングリッド・バーグマンについてずい分多くを語っています。
それだけヒッチが彼女にご執心だったという証拠でもあります。
しかし、そんなヒッチの想いも空しく、彼女はサスペンス映画にはあまり興味がなく、ヒッチの作品には正直、力を入れていなかったことや、ヒッチの要求する演出に駄々をこねたり、とにかく奔放な女性だったようです。
にもかかわらずヒッチはイングリッド・バーグマンに惜しみない愛情を捧げ、彼女の出演したヒッチ作品の全て、完成度の高いヒット作品に仕上げています。
そんなヒッチ作品に出演する一方で、彼女は他の監督のもとで「ジャンヌ・ダーク」の映画化に夢中になっており、そちらの方に女優魂を注いだのですが、皮肉なことにこちらは興行的には失敗しています。

「富と名声に、成功を見出したことはない。私にとっての成功は、才能と情熱の中にあるの。」

私はバーグマンの媚びない、毅然とした知性美に憧れて止みません。
私が一番大好きな、女優さんなのです。

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2008年3月16日 (日)

アンナとロッテ。

血を分けた兄弟・姉妹という関係を、これまでに味わったことがありません。(一人っ子なので当たり前ですね。)
小さいころ、友だちのお宅に遊びに行くと、華々しい兄弟ゲンカというやつに出くわしました。
お互いの主張を一歩も引かずに相手にぶつけるのです。
そばにいる私の方がハラハラして「この後どうなっちゃうんだろう?」と、心配になってしまうのです。
それでいて、ケンカの後はお互いケロリとして何事もなかったように一緒に人形ごっこをするのですから、兄弟・姉妹というものはなんと都合の良い関係なんだろう・・・と、うらやましくてたまりませんでした。

私は「アンナとロッテ」を観ました。
この作品はオランダの女流作家テッサ・デ・ローのベストセラー小説を映画化したものです。
混沌とした世相の第二次世界大戦下が舞台となっているのですが、戦争コードの映画ではなく、あくまでアンナとロッテという双子の姉妹の生き様を描いたヒューマン・ドラマなのです。

1926年ドイツ・ケルン。
幼い双子の姉妹のアンナとロッテはとても仲良しでいつも一緒。
しかし、両親の死によって引き裂かれてしまう。
健康で快活なアンナは、ドイツの貧しい親戚のもとへ働き手として、病弱なロッテはオランダの裕福な家庭へ養女としてそれぞれ引き取られる。
お互いがお互いの身を案じて手紙を書き続けるのだが、養父母の思惑で本人の手に渡らないようにされてしまった。
二人はそれぞれ全く異なる環境の中で成長する。
そんな中、アンナは養父の容赦ない暴力から逃れ、メイドの仕事をしながら自立を果たし、一方ロッテは大学で音楽を専攻し、恵まれた学生時代をすごす。
その後、アンナはナチス・ドイツ将校と結婚し、ロッテはユダヤ人の恋人と婚約する。
二人は、戦争という過酷な試練に見舞われ数奇な運命を辿ってゆくのだ。

この映画は2004年に公開されたオランダ・ルクセンブルグ製作の作品です。
オランダ映画というものにはふだん馴染みがないのですが、「アンナとロッテ」だけを観て感じたのは、何と言うか、どんな人間に対してもとても真摯に向き合っているなぁと思いました。
同じ血を分けたアンナとロッテが、それぞれ異なる環境におかれ、周囲の及ぼす影響によって人間の持つ特性とか意識が大きく左右するのです。
貧しい農家で虐げられた環境の中で育ったアンナは、成人してからも常に誰かに仕え、許しを請う人生を送ります。
一方、ロッテは恵まれた環境の中で育ったため、お嬢様としての品格を備え、許せないものに対して厳格なまでの拒絶をします。
ある意味、媚びへつらわない高貴さを感じるのです。
この双子と言えども大きく隔たりのある相違点は、いかに環境というものが影響するのかを浮き彫りにしています。
さらに、二人に影を落とした戦争という過酷な試練がこれほど互いの意識を変えてしまうものなのかと、改めて感じないではいられませんでした。

胸にズシリと重みを感じつつも、思わず目頭の熱くなるヒューマン・ドラマなのです。

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2008年3月10日 (月)

サイン。

すでに虫の息だった母の枕元に顔を近づけると、私の気配に気付いた母は、全身の力をまぶた一点に集中させたのです。
それまで硬く閉じられていたまぶたが、ゆっくりと半分だけ開き、私の方へとその視線を泳がせました。
病室には他の重症患者さんも寝ていて、鉛のように重い空気が漂っていました。
白いカーテン越しに冬の弱々しい陽射しが室内を申し訳程度に照らし、床の上をホコリがくるくると舞っているのでした。
『さんとう花、お母さんは・・・もうダメだよ。・・・もう、楽にしてちょうだい。』
ひと言も言葉を発したわけではありません。
それなのに、母の眼が全身の痛みを訴えてくるのです。
そしてそれを私の魂がきちんと聞き取ったのです。
そのアイ・コンタクトを最後に、母は昏睡状態に陥り、翌日からモルヒネの投与が開始されたのです。
あの時、あの瞬間、私は決心しました。
延命措置はすまい、と。
親不孝をくり返して来た私に、最後のチャンスを与えるために発したもの・・・そう、あれは母の「サイン」だったのかもしれません。

私は「サイン」を観ました。
この作品は2002年に公開されたM・ナイト・シャマラン監督のヒット作なのです。
シャマラン監督と言えば、すでに「シックス・センス」で興行的にも成功しており、超常的なモチーフに固執することでそのスタイルを確立して来ました。

舞台はペンシルヴァニア州バックス郡。
グラハム・ヘス(メル・ギブソン)は、妻を悲惨な交通事故で亡くし、神の存在を疑う。
信仰に背を向けたグラハムは、それまで従事していた教会の牧師をやめてしまう。
ある朝、一家のとうもろこし畑に巨大なミステリーサークルがまるで神の啓示の如く出現する。
そしてそれは世界中で同様のことが起きており、テレビでは四六時中UFOや宇宙人についての報道が流れる。

「シックス・センス」と同様に「サイン」も身近な人の死をきっかけに物語は展開します。
主人公は、過去のトラウマに苦悩し、自己を解放できずにいるのですが、シュールな存在と対面することで「勇気」や「信念」と言ったものを取り戻していくというテーマになっています。
シャマラン作品を、単なるSF・ホラーというカテゴリに括ってしまうのは短絡的過ぎる気がします。
彼の作品の根底に流れる宗教観・道徳観・・・言い方を変えれば、アイデンティティーや家族と言ったネガティヴなテーマが鵺のように横たわっているのです。

「この世の中に<偶然>は存在しない。すべては真実を伝えるための<サイン>である。」

私たちは、その「サイン」を見逃さないためにも、いつも魂を磨いている必要があるのです。

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