秘花。
「あのさぁ、ところで読んだぁ?」
たとえSさんの言葉に主語がなくても、それが一体何を意味しているのかは明白。
「もう一年近くも前に貸した瀬戸内寂聴の『秘花』を早く返して欲しい。よもや、まだ読んでないなどとは言わせないよ。」(←Sさんの胸中さんとう花・訳)
私は、台風の過ぎ去ったばかりの汗ばむような外に飛び出し、自転車にまたがりました。
向かうはタリーズ。バッグには『秘花』を詰めて。
決して読むのを忘れていたわけではないのだと言い訳するのも空しい。
全く忙しさの感じられない私の行動パターンは、すでに知られているし。
せっかくお借りした友人の愛読書について、感想の一つも言わずに返したとなると、私の常識が疑われてしまう(?)に違いない。
耳を素通りしていくジャズが流れる店内で、私はひたすら『秘花』を読み進めました。
この作品は『風姿花伝』などを著した能の大成者・世阿弥の波瀾の生涯を描いたものです。
ストーリーは、佐渡へ島流しの身となった船底に暮らす世阿弥の不遇な逆境から展開する。全盛期には、三代将軍足利義満の寵愛を一身に受けた世阿弥であったが、晩年は皮肉にも甥の音阿弥にその地位を奪われ、佐渡へ流されてしまうのだ。
当時、申楽や田楽、能などの卑賤の出自を持つ芸人らは、高僧や貴顕の者たちの一夜の慰みに過ぎませんでした。
しかし、類稀なる美貌にめぐまれた世阿弥のような存在は、将軍家という格別な地位者との男色行為のもとに庇護されたのです。
瀬戸内作品の根底には、いつもたゆたゆと官能の美が流れているのです。
著者は3年の月日をかけてこの大作に挑むのですが、世阿弥という、摩訶不思議で端正な麗人に恋をした乙女の姿を見たような気がしました。
一気呵成のうちに読み進めたこの作品は、世阿弥の暗い晩年に涙を誘うようなものではなく、慈愛に包まれた、だけど波瀾の半生をふり返る内容でした。
花とは一口にいえば何なのでしょうと訊いた時に、
「色気だ。惚れさせる魅力だ」
とお答えになった。「幽玄」とは、とつづけて問うと、
「洗練された心と、品のある色気」
と答えられた。
世阿弥のことばを瀬戸内寂聴という物書きを通して紡いだ思考は、水を湛えたような透明感を持って描かれています。
老いてなお、淡いピンクの空間を生み出す世界観は、生涯現役である女流作家としての意気込みを見せつけられたような気がしました。
飽くなき官能の美を追求して止まないSさんに敬意を表するのと同時に、このような素敵な本をお貸しいただいたことのお礼を申し上げます。
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