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2008年10月30日 (木)

日の名残り。

仕事が終わって屋外へ出ると、あたりはすっかり暗くなっているのです。
日が短くなって、寒さと寂しさに震える季節になりました。
「石焼きいも~おいしいおいもだよ~!」
と言う焼きいも屋の軽トラックが、住宅街を徐行している光景は、妙に切なく感じます。
もう何年もこんな生活を続けて来たと言うのに、さらになお孤独に拍車をかけるのは、このどうしようもない季節感なのです。

一度結婚に失敗しているせいもあって、よそ様の仲睦まじい家族愛に触れると、むしょうに羨ましくなります。
何気ない一コマが、まるで映画のワンシーンのように輝いて見えてしまうのです。

そんな中、私はジェームズ・アイヴォリー監督の「日の名残り」を観ました。
1993年公開のイギリス映画なのですが、非常に格調高い作品です。
ダーリントン邸の執事スティーブンスが主人公で、共に働くミス・ケントンへの淡い思慕を描いています。
スティーブンスというのがとにかく主人に対して常に忠実で、いわゆる“堅物”と言うタイプ。
女中頭的な存在であるミス・ケントンは、そんなスティーブンスに惹かれていて、スティーブンスも同じ気持ち。
なのにスティーブンスは不器用で堅物で仕事最優先を美徳としているため、自分の個人的な恋愛感情を封印。
ミス・ケントンはあの手この手でスティーブンスの本音を聞き出そうとするものの、あえなく失敗。
結局、他の男性と結婚してしまう。

この地味なストーリーのどこが気に入ったかと言えば、全て。
本当に全てです。

手も握ることなく、ましてや肌を寄せ合うことすらない大人二人のいたいけな純愛に思わず胸が高鳴りました。
ミス・ケントンがスティーブンスに業を煮やして他の男性と結婚してしまったところ、後悔もある反面、夫ほど自分を必要としてくれる人はいないのだと改めて気付くシーンや、スティーブンスの新しく仕えることになった米国人富豪のルイスに合わせてジョークを習おうとする、半ば吹っ切れた前向きな姿勢に目頭が熱くなりました。

執事スティーブンス役に名優アンソニー・ホプキンス、ミス・ケントン役にエマ・トンプソン。
実に見事な演技力で、激しい感動の波に襲われるのでした。

秋の夜長、孤独を封印する珠玉の一作としておすすめです。

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2008年10月 7日 (火)

自転車。

僕は道具、便利なものさ

中国では僕がいないと朝が始まらない
日常生活に溶けこんでいるのさ
僕がボロボロガタガタになろうと
最後の最後まで使ってくれるのさ
僕は高価で貴重な道具だからね
僕は人間の脚になるのさ

だけど、日本では違う
僕はファッションなのさ
ファッションの次に脚になるのさ
赤色だった僕はどこかへ行き
銀色(シルバー)の僕が誕生してる
僕はおしゃれは好きじゃないよ
脚になりたいのさ

僕を雨の中にほうって置くのも
道端に乗り捨てておくのもいい
だけど僕は道具なんだ
飾りではない

僕はいつだって人間に片思いさ

(「自転車」より さんとう花・17歳の時の作品)

はっきり言って、自慢です(笑)
この詩は、Cobalt(コバルト)という集英社から出版されている隔月刊誌に掲載された私の作品なのです。
すでにあれから二十年が経ってしまいました。
なんと月日の流れるのが早いことか。
この詩はその後、集英社文庫から「新・あなたの詩わたしの詩」というタイトルで、1991年に出版された詩集の中の一編として再び掲載していただきました。
私はその詩集を大切に大切に保管しています。

当時、駅の駐輪場に無造作に乗り捨てられ、放置されたままの自転車が、歩道まで占拠し、毎朝毎晩登下校時になると腹立たしい気持ちでそこを通り過ぎていました。
なにしろそのはみ出した自転車のせいで、危険を冒して車道を歩かねばならない日々だったのですから。
これは何とかせねばと、ペンを執ったのでした。

私が今愛用しているママチャリも、すでに十年。
安価なものですが、充分機能を果たしてくれます。
車のない私には、本当に重宝しています。
かなり錆付いていますが、大事に乗りたいと思います。
ペダルをこぐとカタカタと音がして、ハンドルも重いし、前のカゴも多少歪んでいます。
でも、そういう不完全な体裁が妙に私にとっては心地良いのです。

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2008年10月 5日 (日)

セルフ・サティスファクション。

辛酸と苦杯を嘗めた過去と向き合うことに、疲れてしまいました。
自分を見つめ直す・・・そういう言葉も虚しく宙に消えていくような心境です。

故郷を離れて知らない土地で生きていくこと。
人の死と直面すること。
色眼鏡で見られること。
火災で全てを失うこと。
一つ一つのことが夢のような、幻のような、あまり現実味はありません。
日々を暮らすこと、ただそれだけです。
変化があろうとなかろうと、ただ今ある自分を受け入れることで精一杯なのです。
生かされている自分を実感しつつ、新しい暮らしのかたちを整えているだけ。

秋の夜長、居間でうたた寝をしてしまい、「しまった」と思って顔をあげると、何か音がします。
台所の蛇口がゆるんでいて、「ポタッ、ポタッ」と一定の間隔で水滴が落ちていました。
気付いて私がその蛇口を閉めない限り、半永久的にその水滴は落ち続けるのです。
そういうそこはかとない気持ちを汲んで、これまで私を支えてくれた数少ない友人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

住まうこと、暮らすことは、決して楽しいことばかりではないけれど、全ては時間が解決してくれるはず。

過去、私のことを「忍耐強いひとだね」と評してくれた人がいました。
その時はあまり嬉しい言葉ではなかったけれど、今は優越感に浸りそうなぐらい嬉しい。

「今、私は何をしたらいいのかな?」
「日々を暮らすことだよ。ありのままの自分で。」

そんな優しい言葉すら素直に受け入れられなかった自分なのに、めぐみの雨が大地に浸透していくように今の私なら理解できます。

「人は皆、セルフ・サティスファクションだよ。」

その言葉の真意を、十数年経って、やっと気付かせてもらいました。
本当に、本当にどうもありがとう!

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