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2009年1月31日 (土)

ブックカバー。

最近は書店で文庫本を購入した際、店名の入った紙のブックカバーを遠慮させていただいてます。
と言うのも、2年ほど前にいただいたブックカバーを使用することにしたからなのです。
このブックカバーは、ホワイトハウス・コックスという英国の、主に皮製品を扱うブランドなのですが、そこのハンドメイドの品物です。
正直、このような高価な代物は私にとって分不相応だし、もったいなくて使えない・・・と言うのが本音でした。
そんな折、もっか海外文学にハマっている私は、シアトル系カフェであったかいコーヒーとクッキーなどかじりながら読書するというなんとも優雅な構図を頭に描き、思い切ってこのホワイトハウス・コックスのレザーカバーを使ってみることにしたというわけなのです。

何が上品かって、やはり、本が型崩れしないようにカチッと包み込むレザーの強さ。
さらに、店名の入った紙のブックカバーでは感じられない優越感でしょうか。
もっと言わせてもらえば、バッグに化粧ポーチやのど飴などといっしょに収納された時の存在感たるや、それはもうインテリジェンスの風格がそこかしこに漂ってしまうのです。(←ここまでくると自己陶酔の極みですが。)

もともとブランド嗜好ではない私なので、どうしても欲しかった品物というわけではありません。

“そこにホワイトハウス・コックスのブックカバーがあったから。”

・・・的な感覚なのですが、長い目で見たらこれは私なりの“エコ”ですよ!ヽ(´▽`)/
文庫本を買うたびに店名の入った紙のカバーをつけてもらうのは、いかがなものかと思います。
やはり、どうせならお気に入りのマイブックカバーを一つ持って、長く愛用するのがベストなのではないかと。
こちらのブログを閲覧してくださる方々は、おそらく読書好きの面々ではないかと推測しています。
なのでぜひともマイブックカバーの使用を、どうぞご一考くださいませ。
ちなみに当方、アフェリエイトとは無関係のため、ホワイトハウス・コックスのブックカバーを取り扱っているお店などの情報は、よくわかりませんのであしからず。
でもオススメですよ!(◎´∀`)ノ

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2009年1月28日 (水)

エンジェル。

最近は専ら海外文学にハマっているさんとう花なのです。
これも親しみ易い翻訳のおかげです。
なにしろ少し前までは、もちろん訳者にもよるでしょうが、“~するやいなや”とか“なぜなら~であったからなのである~”的な訳し方で、とても最後まで読む気にはなれなかったのです。
ところが最近は翻訳者の質が高く、と言うより呑み込み易い文体に気が配られていて、きちんと消化されるので嬉しい限りです。

街の大きな書店で海外文学のコーナーを流していたら、「エンジェル」というタイトルの赤い装丁の書籍を見つけました。
著者はエリザベス・テイラーとありました。
「エリザベス・テイラー? あの女優さんの自叙伝か何かだろうか?」
と、私は思わず一冊だけあった「エンジェル」を手に取っていました。
さっそく訳者のあとがきを読むと、女優のエリザベス・テイラーとは同姓同名ですが、全くの別人でイギリスの女流作家であることがわかりました。
興味を引いたのは、過去にこの小説の翻訳は出ておらず、今回初めて白水社から出版されたとのこと。
これまで未邦訳だったのか・・・。
なんだかそういう付加価値に弱い私は、¥2400という大枚を叩き、購入するに至ったのであります。

さて、その内容ですが・・・。

おもしろいのなんのって!

実にユニーク、そして読み易い。
これまで村上春樹の翻訳を崇拝して来ましたが、「エンジェル」を翻訳した小谷野敦氏にスタンディング・オベイションをおくりたいほどです。
イギリスを舞台にしたエンジェルという奇抜でトンチンカンな女流作家の生涯を描いているのですが(もちろん、エンジェルという人物は架空です)、そのあまりの傲慢さ、非常識さに脱帽なのです。
このKYな人物が、しかし終盤にかけて、なんとなく愛すべき“オバちゃん”に変革していくのですが、そのあたりの表現がおそらく英語ならもっと味わい深く、読み手に伝わってくるのでしょうが、なかなかどうして小谷野敦氏によってすばらしく丁寧に、しかも自然な言い回しで翻訳されていました。
久しぶりに名作と出会えたような、充実感たっぷりの読後なのです。

ちなみにこの「エンジェル」は、2007年に若き巨匠フランソワ・オゾン監督によって映画化されているので、小説を読む気力に欠ける方はDVDなどで「エンジェル」をご堪能ください。
このトンチンカンな女性“エンジェル”は、私たちにある意味、勇気・・・のようなもの(?)与えてくれるのです。

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2009年1月25日 (日)

いつか晴れた日に。

休日の朝は、運動不足の解消にウォーキングに出かけます。
と言っても、家の近所を40分ほどぶらぶらと歩くだけのお粗末なものですが。
途中、自販機で井村屋のあったかいおしるこを買って、身も心もポッカポカ。
贅沢な気持ちを満喫して我が家に帰ると、再び現実の嵐に襲われるのです。
冷蔵庫の中身は空っぽ。
部屋のお掃除もまだ。
読みかけの本が何冊もたまってるし。
コンビニで支払いもしてこなくちゃならない・・・。
つまり、生きていくということはそういうことなのです、はい。
しかし、自分に甘い私は最低限の義務を果たした後は、こたつにあたって、まったりDVD鑑賞をしました。

今回は、イギリス文学の「分別と多感」(ジェーン・オースティン著)を原作にした「いつか晴れた日に」を観ました。
端的に言えば、中流階級の家庭で巻き起こる適齢期に達した姉妹の愛と苦悩の日々・・・的なストーリーです。
父親を亡くし、老いて泣き虫の母と、思慮深い長女、情熱的な二女、天真爛漫な三女、と言う女性ばかりの家庭が物語の主な要になっているのですが、実に見事な構成・脚本でした。
長女エリノア役をエマ・トンプソン、二女マリアンヌ役をケイト・ウィンスレット、お二人ともすばらしい演技で、目を見張るものがありました。
脚本を手掛けたのは主役を演じたエマ・トンプソンであり、アカデミー賞最優秀脚色賞を受賞しています。
さすが名門ケンブリッジ大学卒の才媛ではあります。

ジェーン・オースティンの作品全てを読了したわけではありませんが、日本で言うところの向田邦子のような作風でしょうか。
どこにでもありそうな家庭の日常的光景、恋愛のあり方、結婚までの苦悩・・・。
女流作家の作品は、得てしてあまり評価は高くなく、辛口批評がつき物なのですが、ジェーン・オースティンに関しては、かの文豪夏目漱石ですら絶賛しているのです。
しかしそんな海外文学の翻訳を読むのは、訳者にもよりますが、かなりしんどいものがあります。
そんな時、ペーパーバックなどさりげなく読みこなせるだけの英語力があればなぁと、つくづく思わずにはいられません。
しかし、映画化によって名作がとても身近なものに感じられ、この悦びと言ったら他にたとえようもありません!

「いつか晴れた日に」は、ちょっとした教養を培う上でもおすすめの作品なのです。

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2009年1月14日 (水)

ティファニーで朝食を。

「空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただからっぽで、だだっ広いだけ。そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消え失せていく場所なの」
(「ティファニーで朝食を」よりカポーティ・著)

友人からもしも「今、何を読んでるの?」と聞かれたら、「カポーティを読んでる」と答えるのが夢でした。週末の読書は、あったかい紅茶ととっておきのビスケットを食べながら、まったりモードでページをめくる・・・そんな優雅な光景にはカポーティの本が持って来いだなぁなどと勝手に夢想していました。
昨年の2月に待望の村上春樹の翻訳で「ティファニーで朝食を」が出版されて、発売当日に購入。
ですが実際に読み始めたのは一年後なので、しばらくは本棚の片隅に眠っていました。
今回私はその「ティファニーで朝食を」を読みました。
「ティファニーで朝食を」は、名女優オードリー・ヘップバーン主演による映画で、興行的にも大成功を収めました。
残念ながらそんな名画にもかかわらず、いまだ鑑賞する機会にめぐまれず、原作の翻訳を先に読むことになったわけです。

舞台はN.Y.イーストサイドの古いブラウンストーンの建物。
ホリー・ブライトリーは、古いたたずまいとは対照的に趣味の良いドレスを着て上品な宝飾品を身につけていた。
そしてホリーのアパートメントには彼女の魅力に引き寄せられて、代わる代わる男たちが訪ねて来るのだった。
そんなある日、ホリーは国際麻薬密輸組織の重要参考人として警察に連行されてしまう。

小説のヒロイン、ホリー・ゴライトリーという女性を単なる“娼婦”とか“コールガール”などと表現したくはありません。もっと自由で、掴みどころがなく、妖精のような存在として描かれているのですから。
この小説は、トルーマン・カポーティという作家が創り上げた、正に“小説らしい小説”でした。
作家志望の貧乏青年から見た高級娼婦ホリーの自由奔放な生き方、そして淡い恋心。
それが実にセンシティブに描かれているのです。
“四十歳以下でダイアモンドを身につけるのって野暮だし、四十過ぎたってけっこう危ないのよ。”
とホリーのセリフにもあるように、ティファニーのような有名宝石店の宝飾品は、それなりに人生経験を積んで社会的に認められた人たちが、自分へのご褒美として身につけるものなのかもしれません。

私はアクセサリーをあまり身につけることがなく、自分で買うこともありません。
唯一お気に入りなのは、昔プレゼントしてもらった一粒の本真珠のペンダントです。
決してブランド品ではありませんが、お出かけの時など必ず身につけます。
それが私にとって最高のアクセサリーです。
しかし、この小説を読んだ後、にわかに込み上げて来た感情・・・それは、ティファニーで朝食を食べることに何の違和感もない、例えばティファニーのオープンハートのペンダントをさりげなく身につけた様が自然体に見える・・・そんな精神的なセレブに成長したいものです。

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2009年1月 1日 (木)

和菓子・美菓彩々。

大晦日においしい幸せをいただきました。
つい先日はりんごを10kg送っていただいたばかりなのに、今度は和菓子の詰合せです!
なんと、源吉兆庵の季節の和菓子!!
私はさっそくご先祖さまと両親のお位牌にお供えし、お線香をあげ、手を合わせました。
お供えしたそばから矢も盾もたまらず、私はこの日のために大切に保管していた川根茶の封を切り、あつあつのお茶を入れました。
もちろん、川根茶と言えば静岡における最高級ブランド。
このお茶を引き立てる相手にとって不足なしの銘菓が、我が手中にあるのですから狂喜せずにはいられません。
江戸表千家の茶道をたしなむ私としては、風流人としてそれなりの流儀を以ってたしなまなくてはならないところ、もうそんな煩わしいことなんかどうでもよくなってしまい、仏壇からさっさとお菓子を下げ、その包装紙をはぎ取るのでした。

ふたを開けてまず目に飛び込んで来たのは、お多福面。
おしながきの解説によれば、「この福福しい笑顔にあやかりたく、お召し上がりになりますと自然と笑顔になるふくよかな縁起菓子」とのこと。
そうでしょうとも、お多福のような大らかな笑い顔は自然と福を招きますからね!

※お多福面・・・ミルク風味の白餡を桃山で包む。

さらに、干支菓子「丑」です。
解説によると、「姿勇ましい牛に模した」菓子とのこと。

※干支菓子「丑」・・・白手亡豆入りの羊羹。

そして、津弥栗。
「やわらかく蜜漬けした渋皮付きの栗」を使用とのこと。

※津弥栗・・・栗を小倉羊羹で包む。

真打ちは、粋甘粛。
この粋で甘美な名前もニクイ!
「長野県市田柿を使用した干柿」で、「果実の持つ純粋な甘さをつき詰め、匠の技で磨き上げた創作果実菓子」とな。
一体どんな口あたりなのかと、イマジネーションをかき立てられるお菓子ではあります。

※粋甘粛・・・干柿に白餡を詰め、薄く羊羹で包む。さらにその周囲をみじん粉でまぶす。

どれも食べてしまうのがもったいないような和菓子たちではありますが、遠慮なくいただきます、はい。
甲乙つけがたく、ベストは決めかねますが・・・(←だれも聞いてないけど。)あえてエントリーさせていただくと、やっぱり「お多福面」でしょうか。
口どけの良いミルク風味の白餡が、非常に上品な味に仕上がっていました。

この豊饒で、格調高く優雅なひと時を満喫する私って・・・。
私はなんて幸せなんでしょう・・・!

ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!!

今年一年も、皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
平成21年 迎春

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