さびしいとき。
長いG.W.も、つかの間の癒しと安らぎの中に、儚く過去のものとなってしまいました。
生活に追われているのが幸いして、五月病にかかることもなく、すでに5月も半ばを過ぎようとしています。
毎年の恒例となりつつありますが、14日の誕生日には、カフェ&ケーキのお店でイチゴのタルトをテイクアウトしました。
本来ならお店のオリジナルコーヒーといっしょにいただいて、まったりとしたひと時を過ごすはずなのですが、いかんせん人気店なので、空席がありませんでした。(涙)
でも我が家の居間でインスタントコーヒーとともにいただくイチゴのタルトも、なかなかオツなものです。
南側の窓から入る、やわらかな5月の陽射しと、初夏の香りを運ぶそよ風。
時折、年端もいかない幼児たちが、キャッキャッと仔猿がじゃれ合うように、路地裏で遊ぶ声が通り過ぎていくのです。
そんな日常に身を投じていると、ふと寂しくなってしまう時があります。
それは、とても漠然としていて、理由などありません。
これまでずっとこんな生活を送って来たわけで、今さらどうして・・・と、我ながら不思議に感じてしまいます。
誰かに寂しさを伝えることもできず、「ま、こんなものよ」とあきらめていたところ、一枚のフォトカードが届きました。
仲良しのSさんから。
Sさんは事あるごとにハガキを送ってくれるのです。
今回の写真は・・・路地から覗く、お地蔵さま。
わずかに傾げたお顔が何とも愛くるしく、微笑んでいるのです。
何気ない日常の一コマ。
衒いがなくて、穏やかで、そして存在感があるのです。
私はこのハガキをひと目見るやいなや、金子みすゞの詩を思い出しました。
そして、ひとまず元気を出そうと思いました。
さびしいとき
わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。わたしがさびしいときに、
お友だちは笑ふの。わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。わたしがさびしいときに、
佛さまはさびしいの。(金子みすゞ・詩集より)
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