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2009年5月16日 (土)

さびしいとき。

長いG.W.も、つかの間の癒しと安らぎの中に、儚く過去のものとなってしまいました。
生活に追われているのが幸いして、五月病にかかることもなく、すでに5月も半ばを過ぎようとしています。

毎年の恒例となりつつありますが、14日の誕生日には、カフェ&ケーキのお店でイチゴのタルトをテイクアウトしました。
本来ならお店のオリジナルコーヒーといっしょにいただいて、まったりとしたひと時を過ごすはずなのですが、いかんせん人気店なので、空席がありませんでした。(涙)
でも我が家の居間でインスタントコーヒーとともにいただくイチゴのタルトも、なかなかオツなものです。

南側の窓から入る、やわらかな5月の陽射しと、初夏の香りを運ぶそよ風。
時折、年端もいかない幼児たちが、キャッキャッと仔猿がじゃれ合うように、路地裏で遊ぶ声が通り過ぎていくのです。
そんな日常に身を投じていると、ふと寂しくなってしまう時があります。
それは、とても漠然としていて、理由などありません。
これまでずっとこんな生活を送って来たわけで、今さらどうして・・・と、我ながら不思議に感じてしまいます。
誰かに寂しさを伝えることもできず、「ま、こんなものよ」とあきらめていたところ、一枚のフォトカードが届きました。
仲良しのSさんから。
Sさんは事あるごとにハガキを送ってくれるのです。
今回の写真は・・・路地から覗く、お地蔵さま。
わずかに傾げたお顔が何とも愛くるしく、微笑んでいるのです。
何気ない日常の一コマ。
衒いがなくて、穏やかで、そして存在感があるのです。

私はこのハガキをひと目見るやいなや、金子みすゞの詩を思い出しました。
そして、ひとまず元気を出そうと思いました。

さびしいとき

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちは笑ふの。

わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
佛さまはさびしいの。

(金子みすゞ・詩集より)

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2009年5月 6日 (水)

豆大福。

おいしい和菓子屋さんと言うと、すぐに思い浮かべるのがテレビのグルメ番組等で紹介されたお店、あるいは全国展開を広げるデパ地下の小洒落た名店等でしょう。
しかし、地方の片隅には知る人ぞ知る、隠れた菓匠がひっそりと存在するのです。

今回私が「おいしい!」と、舌鼓を打ったのは菓匠大しろという小さな和菓子屋さんの豆大福です。
真っ白なしっくいの壁が印象的な、小ぢんまりとした店構え。
ショーケースに並べられた豆大福が売り切れてしまったら店じまい、というアナログ感の漂うレトロな商い方式なのです。
この豆大福の感想は、どのように表現したら良いでしょうか?
例えば一個だけそこにあって、あっと言う間に平らげてしまうとする。
で、「ああ、もう一個食べたいなぁ」と思わせる、後を引くおいしさなのです。
甘味だけが全面に打ち出された和菓子と違って、若干のしょっぱさの中に上品な甘さが口の中に広がる・・・そんな感覚なのです。
女性ならきっと「あの人にも食べさせてあげたいなぁ」と思うほど、一人でいただくのがもったいないような和菓子なのです。

そしてこの季節、そう、新茶が店頭にお目見えです。
私がひいきにしているのは、静岡市は安倍川流域の由緒ある茶処、本山(ほんやま)で摘み取られた新茶です。
手もみ技術を継承する名人は、ごくわずかですが、ここの本山産の名人新茶は素晴らしく良質な逸品なのです。
このお茶請けに大しろの豆大福をいただく・・・それは正に、格調高く、優雅でえも言われぬ至福のひと時なのです。

連休中、どこに出掛けるわけでもなく、家でのんびりと過ごす・・・それも一興です。
交通費や宿泊費は一切かかりません。
新茶と豆大福だけご購入下さい。
あとは、豊饒なひと時が心をほっこりあたためてくれますよ(◎´∀`)ノ

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2009年5月 4日 (月)

レッドクリフ~Part2~

田園地帯を東西に貫く県道を、自転車でひたすら走る。
無数の車に当たり前のように追い越されつつも、シネコン目指し、ペダルをこぎ続ける。
歩道のアスファルトがところどころ剥げていて、時折ガクンガクンと車体が沈む。
郊外型商業施設の繁華を象徴するかのように、巨大な駐車場と大型ショッピングモール街が視界に広がる。

「レッドクリフⅠ」の時は、張り切って公開初日に出かけたものの、PartⅡになると、まるできっかけを失ってしまったようにGWまでその機会を待つことになってしまいました。
私はシネコンのチケット売り場に一人並びました。
私の前にも後ろにも家族連れ、あるいはカップル、中・高生の仲良しグループ。
世の中、不況の嵐だと嘆く最中、これだけの笑顔がこぼれていたら、まだまだ日本は平和なのだと思いました。
私は上映時間になるまで、ロビーの片隅でぼんやりと立っていました。
そして誰かの言葉を反芻するのでした。

「さんとう花さんは、まるでわかってない・・・! “翼をください”をどんな想いを込めて(わざわざ)あげたのか、考えて欲しかったのに・・・!(←エコーのように響く。)

そう、他でもない仲良しのSさんの悲哀に満ちた嘆きに、私の胸の内は漠々と雲のように罪悪感で覆われるのでした。

※このくだりの意味が分からない方々は、大変恐縮ですが前回(4月29日付け)の「翼をください」の記事をご参照下さい。

さて、今回の「レッドクリフⅡ」。
見どころは何と言っても呉の孫権・周瑜軍が火攻めをもって魏の曹操軍を倒し、圧勝するまでの戦闘シーンでしょう。

映画の領域を超えてしまうほどの勢いでくり広げられる壮絶な戦い。
天を焦がすような燃え盛る炎。
バッサバッサと斬られ、あるいは射抜かれ、積み上げられていく死体の山。
断末魔の叫びが赤壁に轟くのだ。
だがそんな地獄絵図を予想だにしない、二千隻の船団を率いて赤壁に侵攻して来た曹操軍は、よもや負けるとは思っていない。
その強大な兵力・武器・兵糧をもって勝利を確信していた。
曹操は大杯を重ね、したたかに酔いしれながら、これまでの武功を思いめぐらす。
まるで、既に周瑜・孔明の首をとったかのような面持ちで、一詩を吟じる。

月は明らかに星稀なり
鳥鵲南へ飛ぶ
樹をめぐること三匝
枝の依る可きなし

しかし、曹操が月光の下で宴を楽しむのもこれが最後となる。
曹操はおおよそ赤壁という地の利を理解せず、その意味・意義が分かっていなかったのだ。
それは正に、孔明という千年に一人と謳われた大天才を見くびっていたからに他ならない。
彼は、孔明の知略・才覚・そして思考回路に遠く及ばなかったのである。

私たちは日常において、必然の産物を偶然だと思い込んでいる節があるのでは?
物事の事象には、必ず意味があるのです。
不用意に他人を理解したふりは偽善ですが、相手を知り分かろうとする姿勢は、人の和を築く上で重要なキーワードと成り得ます。
大切なのは、知識と教養を振りかざすことではなく、蓄え、備え、それらを生かすこと。
自分と、そして誰かの存在意義を確認することなのです。

「レッドクリフⅡ」は、単なるバトルフィルムなどではなく、人の在り方を問うヒューマン歴史ドラマなのです。

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