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2011年8月26日 (金)

小説家。

ずいぶんと久しぶりの更新になってしまった。

何でその本を手に取ったのかは自分でも分からない。
ふらりと入った書店の棚に並べられていただけの一冊である。
もしかしたら、そのタイトルに興味を持ったのかもしれない。
『小説家』というタイトルは、あまりにも素朴で平たんで、それでいてストレートに感じられた。

著者は勝目梓だった。
何やらそれだけで官能的なニオイがプンプンして来そうな印象を受けた。

私はしがない事務職員で、この先どう転んだところで華やかな舞台に身を置くことはなさそうだと思っている。
そんな閉塞的な環境から逃避できるのは、やはり自分の生きる環境とは180度違った世界を展開する物語の中だけ。
それには勝目梓のような流行作家が描く、バイオレンスに彩られた激しい世界を垣間見ること。それは私にとって、充分すぎるほど刺激的に違いない、と思った。

私は『小説家』を読了した。
それも、ページをめくるのがもどかしいほど一気呵成に。
今でこそ売れっ子作家である勝目梓という人物も、若いころは場当たり的に生きていたことに驚いた。
小説家を目指すようになったのも、30代半ばとのことで、全てが若い人中心に動いている現在では、ちょっと遅咲きにも感じられる。

本人いわく、「努力と忍耐を避けてきた。向上心にも背を向けてきた。明日のことは考えないことに決めて、漂い流れるように生きてきた。朽ちて死ぬまでは生きていなければならないのがこの世の定めなら、せめて目先のことであっても面白いことが欲しい」とのこと。

この言葉は、素直に私自身の投影でもあると思った。
しかし、勝目梓が私のような凡人と異なるのは、己を冷静に客観的に判断したことだろう。
もともとは純文学作家を目指して、芥川賞候補にまで上りつめながら、「これでは食えない」と判断し、転向を決意した。
そして、いわゆる娯楽小説とか大衆小説と言われる、エンターテインメント系に没頭するのだ。
テーマはズバリ、“情念”である。
勝目梓の生み出すバイオレンスや男と女のドラマは、彼自身のこれまで味わい尽くした修羅場を物語にしたのだ。

この、一人の売れっ子作家のどうしようもない生き様に励まされるのは何故だろう?
自分でも分からないのだが、著者の私小説でもある『小説家』を読んで、普遍的な価値を見出したような気がした。

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