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2014年5月31日 (土)

黄落

私はこれまで、アクセス解析というものにあまり興味がなかったので、あえて詳細を見ることもありませんでした。
一方、アフェリエイトなどでお金を稼ぐ方々にとっては、大切なツールの一つだと思います。
閲覧者の男女の比率や世代などが一目瞭然なので、それらを分析して、あれこれ役立てるのかもしれません。
私なんか、せっかくのアクセス解析だというのに、何をどのように見て良いものやら分からず、とりあえず日々の訪問者数だけチェックしています。
だいたい一日に7~8人の方がこちらのブログにアクセスしてくれているようです。
たまに10人を超えると、何だかすごく嬉しい。(笑)
男女の比率は、圧倒的に女性の訪問者が多いようです。
8割の方が40代の女性(30代の方も若干おられる)で占められています。
やっぱり色気のある記事(?)を書かないので、男性にはスルーされてしまうようですね、、、トホホ。

そんな状況を意識したわけではありませんが、今日は、壮絶な介護小説のご紹介をしたいと思います。
最近では、企業で介護休暇など福利厚生を充実させているところもあり、昔とはだいぶ変わって来ました。
しかし、日本人の潜在意識において、老親の介護は嫁の仕事として捉えがちなのです。
今でこそ介護保険のおかげで、デイサービスや入浴の援助などを受けられるしくみが整い、ご家族の負担が多少なりとも軽減されたようにも思いますが、実際にはまだまだかゆいところに手が届いていないのが現実のようです。

『黄落』は、著者である佐江衆一の実体験を記録した、いわば、私小説でもあります。
佐江衆一は、県立栃木高校卒で、代表作に『けんかの仕方教えます』があり、中高生向けのロングセラー小説となっています。

『黄落』のあらすじはこうです。

もうじき60歳の誕生日を迎えようとしている「私」の、87歳の母親が庭先で転んだ。
スープの冷めない距離に自宅を構える「私」の妻・蕗子が、その連絡を聞いて慌てて「私」の老親宅に駆け付ける。
自分は長男なので、老親の面倒をみる立場にあるのだが、実際にあれこれ世話をやくのは妻の負担になってしまう。
妻は、「私」の母が痛みを訴えた患部に湿布を貼って処置をした。
その後、仕事の合間をぬって「私」が老親宅を訪れてみると、92歳の父親が、腰を打って顔を歪めている母に苛立ちを感じているらしく、役立たず扱いしている。
「私」は、痛がる母を見て、湿布だけの処置では心もとないので、病院へ連れて行くことにした。
結局、母は庭先で転んだ際、腰の骨を折っていたことが判明。
このことがきっかけで、「私」夫婦は老親介護を迫られることになる。

この小説を読んだ時、もしも私の両親が生きていた場合のことを想像してみました。
40代の私の親と言えば、もうそれなりの年齢です。
健康でピンピンしているのなら話は別ですが、何かのきっかけで身体が不自由となり、誰かの介添えなしでは生活できない状態となったら、、、
幸か不幸か、私の両親は私が20代の時に、すでに他界しているので、あくまで想像の域を出ませんが、相当の負担を強いられるのは間違いありません。

作中の87歳の母は、この後、認知症も発症し、92歳の夫に対し殺意をあらわにします。
昔年の恨みつらみだけは記憶のどこかで覚えているらしく、最後は夫婦らしい会話もなく、強い攻撃性だけが鮮明に描かれています。
その理由は、著者がためらいつつも明らかにしていますが、それはもう壮絶な過去が、老いた両親の若かりしころにあったようです。
また、介護をする側の「私」夫婦の関係にも亀裂が入ります。
嫁の立場としては精一杯の世話をしつつも、それが周囲には当然の義務のようにまかり通っているのがいたたまれず、妻は苛立ちを募らせます。

「適当にやってくれよ」
と私はいった。嫁として適当にうまくやって欲しい。狡いようだが、そう頼むほかはない。私は自分の親だから仕方なくやっている。妻と角突きあわせたくないから、夫として出来ることは精いっぱいして、それも適当にやっているつもりなのである。
「頼むよ。うまくやろう。もう少しの辛抱じゃないか」
母が死ぬまでの辛抱である。父もそう長くはないだろう。

このページを読んだ時、思わずため息が出てしまいました。
自分の肉親が往生してくれるのを、指折り待っているような記述ではありませんか。
しかしながら、これが本音であり、嘘、偽りのない現実なのでしょう。
介護は決してキレイゴトではありません。
私と同世代の女性の方々で、この記事にちょっとでも興味を持って頂けましたら、ぜひこの老親介護の記録でもある『黄落』の一読をおすすめしたいと思います。
今はまだまだお元気なご両親でも、いつかは床に臥す時が来るでしょう。
その時、子どもとして何ができるのか。
親の介護を一身に背負うことのみがベストなのか。

しかし、人の子の親なら、皆思うことは同じ。
「息子(娘)には、負担をかけたくない」
この一点に尽きることでしょう。
私たちは、身も心も自立した人生を歩んでいきたいものです。

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2014年5月27日 (火)

選択の余地

友人のおじいちゃんが、年に一度の健康診断にひっかかり、精密検査の結果、ガン宣告を受けたそうです。
おじいちゃん、御年87歳。
現代では、年齢的なものへの配慮などはなく、グローバルスタンダードの見地からも本人に告知するのが通常なのだとか。

「おどろいちゃったよ。87歳の老人に面と向かって、あなはた肺ガンですよってハッキリ言うんだから」

それを聞いた私もまた驚いてしまいました。

「親族に前もって、告知するかしないか、それも聞いてくれないわけ?」
「そんな選択の余地はなかったよ」
「知る権利ってやつ?」
「87歳の老人に絶望を知らせたようなもんだよ」

おじいちゃんは、その場では毅然とした態度で医師の宣告に耳を傾けていたらしいのですが、帰宅してから、そっと表情をうかがってみると、沈んだ面持だったとのこと。

「家族にだけ病名を知らせておいてくれればいいのに。あれじゃ反って本人の寿命を縮ませているようなもんだよ、まったく」

こういう問題はケースバイケースで、中にはどんなささいなことでも知っておきたい、思いやりなどと言っておためごかしに嘘なんかつかないで欲しい、という人もいれば、絶望的な宣告は聞きたくない、そっとしておいて欲しい、という人もいて、いろいろだと思います。
病名を知って、やり残したことがないように、あれやこれやと身辺整理をするのに都合の良いこともあるでしょう。
それでも、そうは言っても、告知するかしないかは、選ばせてもらいたいような気がします。

それまで自覚症状もなく、毎朝、新聞を隅から隅まで読むのを日課とし、一時間の散歩をし、庭いじりをしたり、梅を漬けたり、そういう平凡な老後を暮していたおじいちゃん。
真面目なので、年に一度の健診は欠かしたことがなかったけれど、それによって肺に白い影が発見されてしまったのです。
知らなければ、自覚症状もないので何事もなく平穏な日々を暮していたことでしょう。
反って、知ってしまったことで、自分の体内に爆弾を抱えて生きているようなストレスを、常に感じるようになるわけです。

健康診断の本来の目的は、一体何なのでしょうか?
私も友人も、首を傾げずにはいられません。
ガン宣告をされた一人の老人が、意気消沈して衰えていく姿を、その家族はこの先ずっと見続けていくのです。

私たちには選択の余地がないのでしょうか?

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2014年5月24日 (土)

聖☆おにいさん10巻発売!

数年前、短大時代からの友人であるYさんから、「これ、おもしろいよ」と借りたのが『聖☆おにいさん』なのです。
私は読書も好きですが、マンガも大好きで、気に入ると登場人物のセリフまで覚えてしまいます。(もちろん、お気に入りの名場面だけであって、最初から最後までそらんじるわけではありませんが。)

『聖☆おにいさん』の何がどうそんなに気に入ったのか、改めて分析(?)してみたのですが、まずは平和なストーリー展開であることでしょうか。
ドギツイ性描写や、バイオレンスシーンは皆無で、安心して読めることが第一です。
さらには、主要登場人物がイエス・キリストとブッダ(お釈迦様)であることです。
これはなにも、神や仏をちゃかしているわけではなく、もしも二人が仲良しで、この下界に舞い降りたなら、こんな生活ぶりではないだろうか、というファンタジーに溢れた内容となっているのです。

『聖☆おにいさん』は、“月刊モーニングtwo”で連載されています。
著者は中村光・30歳(女性)で、静岡県田方郡中伊豆町出身の漫画家です。
ウィキペディアによると、美人の誉れが高く、作品であるマンガのファンより、中村光ご本人のファンが多いとのことです。
その中村光の描くイエスもブッダも、それはもう瑞々しく、新鮮なキャラクターとして圧倒的な存在感を誇っています。
これにはさすがの手塚治虫も、正統派伝記漫画『ブッダ』を世に出した作家とはいえ、舌を巻くことでしょう。(笑)

作品は、仏教の祖・ブッダと、神の子・イエスが下界でバカンスを楽しむために、東京は立川市のアパートで暮らすことになった、という導入です。
二人の特徴は、「ダジャレやお笑いをこよなく愛し、新しいモノ好きな浪費家イエス」と「自分とお金に厳しく」モノ作りの好きなブッダというキャラ。
このマンガはストーリーを楽しむものではなく、愛すべき登場人物のユニークさ、おもしろさを味わうと言った方が良いかもしれません。
さらには、イエスとブッダという二人のおにいさんコンビを取り巻くミラクルなお話、というコンセプトが良い。

だいたい、いにしえの偉人が登場する時点で、シリアス系の、ヘタすれば宗教色の強い学習漫画になってしまうのがオチだと思うのですが、なかなかどうして、『聖☆おにいさん』はあくまでコメディ・マンガである分をわきまえているのですから!

とはいえ、著者の中村光は、キリスト教にしろ仏教にしろ、かなり力を入れてリサーチしているはずです。
これはマンガを読んでいて実感するのですが、宗教上の知識はそうとう持ち合わせているのではと推測されます。
私のようなにわか読者が四の五の言うのも何ですから、ぜひとも本屋さんで立ち読みを、、、とおすすめしたいところなのですが、今どきのマンガは全てビニールをかけられていて、中身を閲覧できない状態になっています。残念!
興味のある方は、“月刊モーニングtwo”で連載中ですので、どんなものかちょこっとだけご覧になってみては?

現在、『聖☆おにいさん』は5月23日に新刊10巻が発売されました。
私なんか、その日、有給休暇を取って書店に出向きましたよ!(笑)
生活にささやかな笑いが欲しいと、密かに望んでいる女性の皆さんにおすすめですよ。

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2014年5月21日 (水)

サンダカン八番娼館

思い出すのは、母が亡くなった時のこと。
病院の支払いやら葬儀費用、お寺に差し出すお布施、それに滞っていた家電製品のローンや奨学金の返済で、二進も三進もいかなくなったあのころ。
もうどうやってお金を捻出して良いのやら、万事休すの状況でした。
わずかばかりの積み立て預金も全て解約したところで右から左という、何もかもが負のスパイラルに陥ってしまいました。

「世の中、お金だけが全てじゃない」

と、学校の先生は教えてくれましたが、実際にはお金でたいていのことは解決できてしまうのです。
結局、いっぺんに支払うことは難しいので、優先順位を決め、一つ一つ片付けていこうと決意し、数年をかけてどうにか完済しました。やれやれです。

私がすでに三度も読み直した『サンダカン八番娼館』では、食べることに困った少女らがお金を稼ぐため、その身一つを担保に南洋行きの船に乗り、現地で外国人相手に売春をしたという女性たちの足あとを記したものです。
私もお金のことでは人並みに苦労した方だとは思いますが、『サンダカン八番娼館』に登場する少女たちの、過酷で壮絶な日々を想像すると、私の苦労なんて笑い話にもなりません。

著者は山崎朋子で、福井大学学芸部修了(二部)。女性史を研究するために、日本女性の底辺と言われた海外売春婦たちにスポットをあて、記録したのがこの『サンダカン八番娼館』なのです。

最近では、従軍慰安婦問題が様々な局面でネックとなっているようですが、戦前の日本、とくに天草・島原地方から、同胞である日本人女性が何人も海外へとその身を売られていったのです。
しかしながら、なぜ日本国内ではその事実が公にならないのでしょうか?
彼の国のように、声をあげて泣き叫び、生活の実情と苦悩を訴えても良いはずではないかと思うところです。
著者はそれに対し、次のような見解を述べています。

「女性としての抵抗感がつきまとうということもあるが、売春生活を告白することが家または一族の恥になるという思念が、何よりも大きな障壁となった」

このような日本固有の民族性は美化される反面、なかなか本質が表面化されないため、事実が埋没しがちなのです。
そこで著者の山崎は、思い切って当事者を探り当て、その女性と生活を共にすることでサンダカンにおける体験を聞き出すことに成功したのです。

その女性は、おサキさんという70代の女性。天草在住。
著者が聞き出したおサキさんの初体験たるや、あまりにも陰惨で思わず吐き気をもよおすほどです。

「うちらが客ば取らされたとは、うちが十三になった年じゃった」

な、なんと13歳で?!

「親方どんから無理やり客ば取らされたとじゃが、ひと晩客ば取ってみて、うちらは、恐ろしゅうて縮み上がってしもた。男と女のこと、ようは知らんじゃったもんじゃけん、世の中にこげな恐ろしかこつのあろうか」

あまりに生々しく、これが現実だとしたら、何たる酷い労働かと、正直次のページをめくるのがイヤになってしまったほどです。
サンダカンの女郎屋での娼売ぶりなども、このおサキさんの証言により赤裸々に記されているのですが、

「ふだんの日はそれほど多くの客をとるわけではないが、港に船が着いたような日は、先客が済むのをあとの客が女郎屋の前で待っている始末で、多いときは、ひと晩に三十人もの客の相手をした」

とのこと。
ひと晩に30人?! まるで工場の流れ作業のようです。
私はもう胸がつぶれる思いで読み進めました。
この労働につきまとうものが、女性としての精神的な羞恥心のみならず、命をも脅かすものであることは周知のとおり。
そう、性病です。
梅毒というものは、「感染してもただちに発病するためしは少なく、十年、二十年という長いあいだ体内に潜伏し、思い設けぬときに発病する」のです。
そんなわけで、おサキさんのサンダカン時代の朋友の中には、終戦となって帰国してからかなりの時を経て亡くなるという例もあったようです。

このような酸鼻を極めた女性たちは、一体なぜここまでに身を落とす必要があったのでしょうか?
それは言うまでもなく、貧困という問題が日本社会を巣食っていたからなのです。
明治維新という大きな社会変革が起こった時、近代日本国家は西欧の資本主義に倣うことを目下の命題としました。
それにはとにかく外貨が必要だったのです。
一方では、『あゝ野麦峠』にあるような生糸の輸出で。
もう一方では、海外売春婦が稼ぎ出す外貨の、日本への送金により、日本国家が潤っていたわけなのです。
とにかく近代日本にとっては西欧列強からの植民地化を回避するため、軍事面、経済面において、「ある程度抵抗できるようになるまでは、何としても必要」でした。

その犠牲となったのが、このような底辺の女性たちだったと。
著者が女性としての立場から強く訴える、「少数の独占資本家に厚く、労働者や農民に薄い現代の日本政府」についての問題点は、この著書が上梓された70年代と今現在では少し変わって来ているかもしれません。
とはいえ、平和の国日本が抱える近代の悲哀を知っておくのは、当然の義務のような気がするのです。

山崎朋子渾身のノンフィクションである『サンダカン八番娼館』は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。
書店ではなかなか手に入りにくいでしょうが、図書館なら必ず置いてあるはず。
一読の価値がある名著なのです。

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2014年5月18日 (日)

初めてのiTunes

これまで何か映画でも見たいなぁと思った時は、TSUTAYAに行って安価な旧作からめぼしいDVDをレンタルしたものです。
私は車に乗らないため、自転車をキコキコこいでお店に行っていました。
それがフツーのことだと思っていたので、とくに面倒だとも思ったことがありません。
ただ、すでに見終わったDVDを返却しに行くのは、「あーめんどくさ」と思ったことは、多々あります。
期限があるので、間違っても延滞金が発生するなんてことのないよう、雨の日だろうと風の日だろうとTSUTAYAに出向いて返却するのです。
我ながら真面目なオバさんではあります。

そんな中、長野に住む友だちが、「せっかくPCを新しくしたんだからさー、iTunes で映画とかレンタルしてみれば?」と言われ、よし、と思って挑戦することにしました。
ところが最初、何からどうやって良いものやらさっぱり分からないのです。

「そりゃまずはダウンロードからじゃん」

と、いともあっさり言われて、私は恐る恐るダウンロードまでこぎつけたのです。
さて、これでいよいよレンタルできるのかと思いきや、そうではなく、あれやこれやと個人情報を入力し、規約うんぬんに同意して(内容はろくに読んでいません。)、やっと私はiTunes の正統な会員になったわけなのです。
ところがですよ、いざ意中の映画をレンタルしようとピコピコとクリックしてみると、IDやらパスワードを入力する画面に。
私はそこに何のためらいもなく、数字とアルファベットを混ぜ合わせて考えたパスワードを入力すると、な、なんと違っているではありませんか?!
つい先ほどiTunes の会員になるためにあれこれ情報を入力したばかりで、パスワードだって忘れようがないものなのに!

泣きたくなりました。
いくらパスワードを入力しても拒絶されてしまうのですから。
結局、パスワードの件は自分のちょっとした勘違いだったことが判明し、どうにかクリア。
やっとレンタルすることに成功!!
iTunes で上位にランキングしている『REDリターンズ』をレンタルしました。48時間以内なら何度でも再生可能。¥500です。

作品の感想はここには書きません。
今、私のお伝えしたいのは、デジタルに疎いこの私が、家に居ながらiTunes store でレンタルすることが出来たという事実。
なんだか天にも昇るような達成感があるのですよ。
時代の最先端を行く(?)自分が、神々しいばかりに輝いているような錯覚に陥ってしまいました。

その後、時計を見てびっくり!
私はiTunes に半日がかりで格闘していたのです。
TSUTAYAに行って立ち読みして、帰りにスーパー寄ってもまだ半日はかからないでしょう、、、
この年齢になると、時代に追いつくのが本当に大変ですよ。トホホ、、、(苦笑)

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2014年5月14日 (水)

あゝ野麦峠

テレビの報道で群馬県にある富岡製糸場が、今年の6月に、世界文化遺産正式登録の見通しであることを知りました。
しかもそのおかげでにわかに活気づき、GWは観光客で例年になく賑わった模様が放送されました。
おそるべし、世界遺産効果ではあります。

私が何度となく読んだ『あゝ野麦峠』は、同じ製糸場でも長野県諏訪湖畔の岡谷製糸を中心に取材したものです。
ベストセラーにもなり、70年代に映画化されたりして、幼い私も親と一緒にテレビで見た記憶があります。
あれは確か大竹しのぶが主役で、最後は死んじゃったような? なにぶんストーリーの記憶はあいまいです。

『あゝ野麦峠』の著者は山本茂実で、長野県松本市出身。
「早大文学部哲学科に学ぶ」とプロフィールにあります。
この著者の何がスゴイかと言えば、何年もかけ、ほぼ400名に及ぶ製糸工女を訪ね歩き取材を重ねたとのこと!
これがまた綿密で、嘘、偽りを感じさせる隙がなく、公平さ公正さを押し出したノンフィクションなのです。

そんな『あゝ野麦峠』ですが、官営富岡工場についての記述が少し出て来ます。
長野(松代)の大里忠一郎、同志の横田数馬らが人材を富岡に送り込んで、つぶさに視察・研究させて来るのです。
そこではフランス式やらイタリア式製糸機の、主に設備を学んで来るのですが、長野に帰るやいなや画期的なことが起こります。
それは新たな工夫をこらして、イタリア式でもフランス式でもない日本独自の製糸機を完成させてしまったのです。
さすがは日本人です。
この徹底した日本化は、日本人の得意とするところかもしれません。

大倉高商(現・東京経済大)の教授・安堵泰吉によれば、
「ひとり長野県の製糸家は、産業経営上下可欠の精神に覚め、機械製糸の生産力応用に成功し、合理的経営をなし、ついに製糸業における独歩の地位を獲得した」
とあり、大絶賛なのです。
すごいぞ長野!ってなものです。(富岡から学んだことを、より実用化させたのですから!)

さて、製糸工女らへの取材から分かる、特に悲惨なことの一例に、望まない妊娠による子女たちの苦悶があります。

「避妊具も普及していなかった当時のことで、数多い女たちの中には、みごもって帰る女も少なくなかった」

彼女たちが妊娠のことを誰にも打ち明けられず、ただ空しく時が経ち、大きく膨れたお腹を帯でしめあげて皆の目をごまかし、険しいアルプスの峠道を越えていく姿は、想像を絶します。
途中、もうどうしようもなくなって、「ササやぶにうずくまり、そこに赤黒い肉塊を産みおとした」のです。
このくだりを読むと、同じ女性として絶望的な気持ちになります。

さらにもう一つ、工女たちの間に蔓延したのが結核による死亡です。
とにかく工場内は高温多湿で、丸一日ぐっしょり濡れて働き、一歩工場を出れば極寒の風雪、という極端な寒暖の差のある生活に暮らすのですからたまりません。
しかも過酷な労働条件下で疲労の蓄積はピーク。
健康保険などないので医者にもかからず、ついつい我慢し、悪化させてしまうわけです。
当時としては結核は不治の病。なす術もありません。
長野県下製糸女工の結核死亡統計によると、「七割強が結核という戦慄すべき惨状」なのです。

にもかかわらず、著者が聞取りをした女工らに、ほとんど製糸場での経験を悪く言った者はいないのだとか。
「たんと稼がせてもらった」だの「ワシの金で父は田んぼを買った」「逃げ出そうと思ったことなど一度もない」などです。
なぜでしょうか?
その辺のことを、著者はきっぱりと断言しています。

「この人たちの話を聞く場合、一つの前提をおいて聞かないと大局的判断をあやまる。話してくれた人はいずれもいい思い出の人が多いこと。健康で成績もよかった恵まれた人である。つまり、一番問題の人は、とうに死んでいるということである。」

なるほどと、納得しました。
私がこの民衆史を興味深く読んだのは、日本の製糸業というものがどんな環境の中で行われていたのか、あるいは誰が一番ももうけたのか、ということを知りたかったからなのです。
結論から先に言ってしまうと、決して製糸業者がボロもうけしているわけではありません。
なにしろ当時の糸相場の変動たるや、ものすごい激しさで、ほとんど賭博も同様なのですから。
暴落→挽回→また下落
その繰り返し。
当時の損益帳簿によれば、もうけたのは63年間にたった5回!
破産的な大欠損は、なんと14回もあったのです。
この経営者サイドの苦悩は、それはそれでがく然とするものがあります。

結局、「まるまる太っていたのは、巨大な軍艦だけだった。」わけです。

しかし、今となってみれば、それが仕方のないことだったわけが、よく分かります。
西欧からの植民地化を何としてでも回避する必要があった時代、それが明治なのです。
死にもの狂いで外貨を獲得する必要があり、それが「生糸」だったということです。

私は、『あゝ野麦峠~ある製糸工女哀史~』を読むにつけ、近代日本への道を切り開いたのは、実は、糸ひきの彼女たちではなかったかと思うのです。
愛すべき日本を底辺から支えてくれた、無数の少女たちに心から感謝と、哀悼の意をささげたいです。

富岡製糸場の世界文化遺産登録に湧く前に、『あゝ野麦峠』の一読をおすすめしたいです。
近代日本を読み解くきっかけともなり得る一冊、かもしれません。

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2014年5月10日 (土)

親一人子一人

私は仕事柄お年寄りと接することがあるのですが、昨日も80代の女性S子さんと、そのご子息である50代のK男さんの応対をしました。
S子さんは足腰が弱く、歩くのが難儀で、亀の歩みのようにゆっくりといらっしゃいました。
付き添いのK男さんは、そんなS子さんのことがもどかしいようで、
「おい、もたもたすんなよ! 早く、早く!」
と、小声で怒鳴っているのがこちらに筒抜けでした。
S子さんは、息子であるK男さんに「ごめんよ、ごめんよ」と、始終あやまりっぱなし。

10分ぐらいで用事が済んだため、「ご苦労さまです」と言って二人を送り出したのですが、その際も、K男さんがS子さんの手荷物をひったくるようにして、「まったく何やってんだよ!」と奪い取り、「早く来いよ!」と言ってスタスタと一人駐車場の方へと去って行ってしまったのです。
杖のコツコツという音と、S子さんの丸くなった背中を見送った時、私は言葉には表現できない複雑な思いに駆られました。
そんな様子を一緒に見ていた同僚が言うには、
「あれはまだいい方だよ。母親の用事にちゃんと付き添って車で送り迎えしてやるだけの甲斐性があるんだから」
そう言われてみると、確かに口は悪いけど、S子さんの荷物もちゃんと持ってあげていたし、S子さんにたくさん歩かせなくて済むように、先に駐車場に行って車を出して来るのかもしれないと思いました。

「ね、それより何か臭わない?」
同僚が鼻をクンクンさせながら言いました。
「え? 私、花粉症で鼻が詰まってるかも、、、」
同僚は、悪臭の根源を突き止めようと、室内をうろうろし、やがてS子さんの座っていた椅子の傍まで来ると、「臭いっ!」と悲鳴をあげました。
私も思わず近寄って確認すると、うん、確かに臭う。
「これ、失禁したんだよ、、、」
「えっ? 失禁?!」
同僚は妙に確信を持って断言するのでした。
「うちの亡くなったお婆ちゃんも、よく尿漏れしちゃって、、、おしっこ臭いニオイが部屋のそこらじゅうに漂うんだよねぇ」
同僚は雑巾を持って来ると、椅子をゴシゴシと拭き始めました。
私も慣れない他人の排泄物の臭いをどうにかしなくてはと、出入口の扉を開け放ち、換気窓も全開にして空気の入れ替えをしました。

「親一人子一人の生活だから、大変なのは分かるけど、母親の紙パンツとか尿漏れパッドなんか、ちゃんと交換するのを声がけしてやらなくちゃいけないのに、、、」
「男の人が母親の下の世話をするのは、何かと抵抗があるんでしょうね」

私は、老いた母親を邪険にするK男さん、と、最初に抱いてしまったイメージは、この場合あてはまるものではないと思い直しました。
むしろ、K男さんが、日々老いてゆく母親にどうしようもない切なさやら哀しみを深めていく中、優しい言葉をかけてやれない自分自身に対する苛立ちなのかもしれないと思うようになりました。

やっとのことで、鼻腔を刺激したイヤな臭いが消され、平常に戻りました。
それでも鼻の良い同僚は、
「まだ失禁の臭気が室内にこもっている感じ」
と言って落ち着かない様子でした。

この先、S子さんとK男さんのような親一人子一人という世帯は、さらに増えていくことでしょう。
あるいは、独居老人の世帯も珍しい環境ではなくなるでしょう。
自分で自分の下の処理ができなくなる時、私たちはどんな思いでそれを受け止めれば良いのでしょうか?
親が子どもを育てるのは当然ですが、老親をその子どもが面倒をみるのは当然と考えてはいけないのかもしれません。

私は20代ですでに両親を亡くしていますが、あの時は若さと勢いで介護をやり遂げたような気がします。(とはいえ、介護らしい介護などやらずじまいだったというのが本当のところですが。)
今私は40代。
第二次ベビーブーム世代です。
この先、間違いなく老いへと向かってゆくのです。
オギャーと生まれ出た全ての人の宿命なのです。

今、私たちは何をするべきなのか、何をしたら良いのか?
問題は山積みです。

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2014年5月 7日 (水)

42歳の女子会

あっという間に一週間が経ってしまいました。
久しぶりの楽しいひと時で、いまだその余韻が冷めやらぬ感じです。
そう、それは5月1日(木)のことです。
修善寺に在住の友だち、M美さんが浜松まで遊びに来てくれたのです。
M美さんとは高校時代からの長い付き合いですが、私が伊豆から引っ越したり、M美さんが結婚したりなどでなかなか旧交をあたためる機会もなく、たまのメールと年賀状のやりとりだけでつながっているような状態でした。

M美さんは二男であるご主人のところへと嫁いだのですが、結果としてご主人のご両親と同居し、後を取ることになったという経緯があります。
「お義兄さんが都会で就職して、結婚して、向こうにマイホームを買ったから仕方ないんだよね」
「そうなんだ」
「その代わり、同居が条件だけど、主人の実家を建て直して、土地も家屋も名義は主人のものになったから文句は言えないけどね」
M美さんは一つ一つの言葉をしっかりと選び、低い声でゆっくりと話す人なので、まるで村上春樹の小説の登場人物が話すセリフのようなのです。
「私の母親が姑との確執でずいぶん苦労しているのを目の当たりにしているから、できることなら自分は避けたかったんだけど、、、やれやれ」

そんな話を交わしたのが浜松駅すぐそばにあるホテルオークラベーカリーのカフェでのこと。
上品で手ごろなランチを食べながら、気分は村上ワールドなのです。
積もる話はなかなか尽きず、食べ終わっても尚、居座り続けたのですが、店内がかなり混雑して来たのを潮時に、オークラベーカリーを後にしました。

「せっかくだから、浜松城公園に行ってみようか?」
私はM美さんを連れ、市役所行きのバスに乗り、新緑に萌ゆる公園を散策したのです。
「浜松城には思い出があるの。主人とまだ結婚する前に浜松までドライブに来たんだけど、ガイドブックに載っていた浜松城までの行き方が分からなくて、大ゲンカしたの」
「あのころカーナビなんて付けてないしね」
「そう、スマホで“ググる”わけにもいかないし」
「今日は20年前のリベンジ?」
「そうなるよね」
「今度は家族で来なよ。浜松城は出世城だから、ご利益があるかもよ?」
「息子はともかく、主人を連れて来て、出世にあやかりたいよ」

二人で公園内をくまなく歩いて回り、つまらないお喋りに花を咲かせ、やがて「お茶しようか?」ということでスターバックスへ。

「スターバックスなんて初めてだよ」
「私もあんまり行かないんだけど、コップのサイズがS,M.Lじゃないんだよ。ショートとかトールとか言うんだよ」
「えーっ! すごいね。なんだか日本じゃないみたいだね」
私たちはスタバのことで小一時間ぐらい盛り上がり、トールサイズの何とかラテやら何とかフラペチーノを飲み、ケーキをつつき、そして二人の舌は乾くことを知らなかったのです。

楽しい時間は無情にも過ぎていきます。

気付けばすでに夕方の6時。
M美さんには帰りを待つご主人と舅姑、それに中学一年生の息子がいます。
「お土産はやっぱり浜松っぽくなくちゃね」
と、うなぎパイで有名な春華堂駅前店に案内しました。
あーでもない、こーでもないと二人で相談しながら、浜松カラーベタベタのお菓子を選りすぐり、M美さんの両手は春華堂の紙袋でふさがってしまいました。

「すごい荷物だけど大丈夫?」
「うん、勢いでいっぱい買っちゃったよ」
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫」

新幹線の改札口で別れる時、お互いが42歳という現実に戻る瞬間だったような気がしました。
二人して二十歳ぐらいの若さにタイムスリップしていたのに、まるで魔法が解けるみたいに家庭の顔になっていくのです。
今度いつ会えるか分かりませんが、その時まで楽しみです。

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2014年5月 5日 (月)

龍潭寺

せっかくのGWだというのに、何も予定がないというのは悲しいものです。
とはいえ、自分の性格からして、人がわんさかいるような所はあまり好きではなく、できれば心を洗えるようなひっそりとした所にでも、、、などと考えていました。

ふと目にした浜名湖花博のポスターに、湖北五山が載っていました。
細江にある宝林寺、引佐にある龍潭寺と方広寺、それに三ヶ日にある摩訶耶寺と大福寺を総称して湖北五山と呼ぶそうな。

「そうだ、龍潭寺へ行こう!」

5月4日(日)の朝、張り切って龍潭寺へ出かけることにしました。
お天気にも恵まれ、初夏の暑さを感じさせられるほどでした。
浜松駅からバス(奥山線)で50分ぐらいでしょうか。
神宮寺というバス停で降り、てくてくと歩くこと10分。
私のイメージでは、ひっそりと静寂に包まれたお寺で、参拝客も自分も含めて2~3人ぐらいだろうとたかをくくっていたのです。
それが、なんと、けっこう混んでいましたよ、はい。
小堀遠州作の庭園は、国指定名園になっているだけあり、遠方(他県ナンバーの車が駐車場に停まっていた)からぞくぞくと拝観客が来ていました。
私は庭園を愛でるほど枯れた趣味は持ち合わせていませんが、やっぱりきちんと清掃され、草木の手入れをされた庭を前にすると、魂がよみがえる感じになります。
季節的にはもう少し早いと、藤の花が見ごろだったようです。
でも今は新緑に瑞々しさを感じましたが。

せっかくだからと思って、井伊直弼など井伊家歴代のお位牌やら墓石なども見て回りました。
龍潭寺は、井伊家の菩提寺のようですね。
若い歴女の二人組が、重要文化財を前に熱く語り合っていたのが印象的です。
思わず私も話に加わりたくなりましたが、20歳そこそこのお嬢さん方に、私のような42歳のオバさんが割り込んでしまったらそれこそKYなので、やめました。

私なりの見どころとしては、庭園はもちろんですが、本堂の廊下にある左甚五郎の龍の彫刻が良かったと思いました。
思わず、「いい仕事してますねぇ~」と言いたくなりました。
素人から見ても、これは本物の職人技だというのが分かるほどの見事なものなのです。
我が家の玄関先にも甚五郎作品を飾りたいぐらいですよ。(どだいムリな話ですけど、、、)

バスの本数が限られているため、適当に切り上げた後は、名物の紅屋のみそまんを購入。(10個入¥900)
引佐町出身の知人に聞くところによると、
「ネットの口コミでは“紅屋”が有名だけど、“すぎや”の方がおいしいと思うよ」
とのアドバイスでした。
この辺はみそまんの激戦区らしく、どの店もしのぎを削っているようです。
私はアドバイスに従い、すぎやへ行こうと思ったのですが、なにぶんバス停とは目と鼻の先ほどにある紅屋に行くことになってしまいました。
でもそれがかえってラッキーでしたよ!
できたてのあったかいみそまんを購入することができたのですから!
帰宅してすぐにお茶請けにいただいたのですが、「おいし~い!」
しっとりとした皮と、甘さ控えめのこし餡が絶妙なおいしさなのですよ。
これは食べログでも話題になるはずだと納得。
私の個人的評価は星4つ。☆☆☆☆
なぜかと言えば、みそまんはバラ売りされていないから10個入を買ったのですが、『製造日の翌日までにお召し上がり下さい』と表示されているのには困ったからです。
食いしん坊の私ですが、さすがに二日間で10個を平らげるのは難し、、、くはないか。

あ、みそまん評をつらつらと書いてしまいましたが、あくまで龍潭寺メインです。
こちらは大人のデートスポットとしていかがでしょうか?
井伊直弼や直政のお位牌、それにお墓もありますよ!(一般の檀家さんのお墓もあったりします。分譲しているかどうかは分かりませんが、、、)
本堂では浜納豆がお土産として売られていました。
ぜひともこれらの情報をるるぶで取り上げてもらいたいものです?!

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2014年5月 2日 (金)

二回試験

「不合格だった。もうサイアク」
と言って半ばふてくされているのは、司法修習生である我が友人。
年齢の壁を越え、見事、司法試験に合格したまでは良かった。
埼玉県和光市にある研修所で、若き司法修習生らと机を並べて頑張って来たというのに、ここへ来てズッコケてしまったのです。
それは、司法修習生考試(通称:二回試験)に落ちてしまったとのこと。
とりあえず、次回再チャレンジするとのことですが、“二回試験”というネーミングなのに、そんなに何度も受けられるものなのでしょうか?

もう一つ気がかりなのは、その友人がキリスト教に傾倒し始め、折に触れ、善きサマリア人の話やキリストの復活の話などをするようになったことです。
それがまた板についたもので、悦に入って話し出すのですよ。
弁護士目指すより牧師とか宣教師を目指した方が良いのでは?などと思ってしまうほどです。
経済的にも能力的にも極限状態での勉強なので、最後は神頼みとなってしまう気持ちは痛いほど理解できます。
とはいえ、いつぞやは、「私はイエス・キリストと契約を結んだのです」などと神妙に言い出して、私はわけもわからず、「そ、それは良かったね」などと言ってしまいました。
なんで私はここぞと言う時に言うべきことが言えないのか?!

「愛する兄弟たちよ。思い違いしてはいけない。」(ヤコブの手紙1:16)

なーんて、言い返してやりたいところです。
それはともかく、どなたか二回試験への突破口を、我が友人にご伝授下さる方はおられませんでしょうか?
あるいは、熟年世代でがんばっておられる方の体験談など、ぜひともお聞かせ下さい!

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