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2014年5月14日 (水)

あゝ野麦峠

テレビの報道で群馬県にある富岡製糸場が、今年の6月に、世界文化遺産正式登録の見通しであることを知りました。
しかもそのおかげでにわかに活気づき、GWは観光客で例年になく賑わった模様が放送されました。
おそるべし、世界遺産効果ではあります。

私が何度となく読んだ『あゝ野麦峠』は、同じ製糸場でも長野県諏訪湖畔の岡谷製糸を中心に取材したものです。
ベストセラーにもなり、70年代に映画化されたりして、幼い私も親と一緒にテレビで見た記憶があります。
あれは確か大竹しのぶが主役で、最後は死んじゃったような? なにぶんストーリーの記憶はあいまいです。

『あゝ野麦峠』の著者は山本茂実で、長野県松本市出身。
「早大文学部哲学科に学ぶ」とプロフィールにあります。
この著者の何がスゴイかと言えば、何年もかけ、ほぼ400名に及ぶ製糸工女を訪ね歩き取材を重ねたとのこと!
これがまた綿密で、嘘、偽りを感じさせる隙がなく、公平さ公正さを押し出したノンフィクションなのです。

そんな『あゝ野麦峠』ですが、官営富岡工場についての記述が少し出て来ます。
長野(松代)の大里忠一郎、同志の横田数馬らが人材を富岡に送り込んで、つぶさに視察・研究させて来るのです。
そこではフランス式やらイタリア式製糸機の、主に設備を学んで来るのですが、長野に帰るやいなや画期的なことが起こります。
それは新たな工夫をこらして、イタリア式でもフランス式でもない日本独自の製糸機を完成させてしまったのです。
さすがは日本人です。
この徹底した日本化は、日本人の得意とするところかもしれません。

大倉高商(現・東京経済大)の教授・安堵泰吉によれば、
「ひとり長野県の製糸家は、産業経営上下可欠の精神に覚め、機械製糸の生産力応用に成功し、合理的経営をなし、ついに製糸業における独歩の地位を獲得した」
とあり、大絶賛なのです。
すごいぞ長野!ってなものです。(富岡から学んだことを、より実用化させたのですから!)

さて、製糸工女らへの取材から分かる、特に悲惨なことの一例に、望まない妊娠による子女たちの苦悶があります。

「避妊具も普及していなかった当時のことで、数多い女たちの中には、みごもって帰る女も少なくなかった」

彼女たちが妊娠のことを誰にも打ち明けられず、ただ空しく時が経ち、大きく膨れたお腹を帯でしめあげて皆の目をごまかし、険しいアルプスの峠道を越えていく姿は、想像を絶します。
途中、もうどうしようもなくなって、「ササやぶにうずくまり、そこに赤黒い肉塊を産みおとした」のです。
このくだりを読むと、同じ女性として絶望的な気持ちになります。

さらにもう一つ、工女たちの間に蔓延したのが結核による死亡です。
とにかく工場内は高温多湿で、丸一日ぐっしょり濡れて働き、一歩工場を出れば極寒の風雪、という極端な寒暖の差のある生活に暮らすのですからたまりません。
しかも過酷な労働条件下で疲労の蓄積はピーク。
健康保険などないので医者にもかからず、ついつい我慢し、悪化させてしまうわけです。
当時としては結核は不治の病。なす術もありません。
長野県下製糸女工の結核死亡統計によると、「七割強が結核という戦慄すべき惨状」なのです。

にもかかわらず、著者が聞取りをした女工らに、ほとんど製糸場での経験を悪く言った者はいないのだとか。
「たんと稼がせてもらった」だの「ワシの金で父は田んぼを買った」「逃げ出そうと思ったことなど一度もない」などです。
なぜでしょうか?
その辺のことを、著者はきっぱりと断言しています。

「この人たちの話を聞く場合、一つの前提をおいて聞かないと大局的判断をあやまる。話してくれた人はいずれもいい思い出の人が多いこと。健康で成績もよかった恵まれた人である。つまり、一番問題の人は、とうに死んでいるということである。」

なるほどと、納得しました。
私がこの民衆史を興味深く読んだのは、日本の製糸業というものがどんな環境の中で行われていたのか、あるいは誰が一番ももうけたのか、ということを知りたかったからなのです。
結論から先に言ってしまうと、決して製糸業者がボロもうけしているわけではありません。
なにしろ当時の糸相場の変動たるや、ものすごい激しさで、ほとんど賭博も同様なのですから。
暴落→挽回→また下落
その繰り返し。
当時の損益帳簿によれば、もうけたのは63年間にたった5回!
破産的な大欠損は、なんと14回もあったのです。
この経営者サイドの苦悩は、それはそれでがく然とするものがあります。

結局、「まるまる太っていたのは、巨大な軍艦だけだった。」わけです。

しかし、今となってみれば、それが仕方のないことだったわけが、よく分かります。
西欧からの植民地化を何としてでも回避する必要があった時代、それが明治なのです。
死にもの狂いで外貨を獲得する必要があり、それが「生糸」だったということです。

私は、『あゝ野麦峠~ある製糸工女哀史~』を読むにつけ、近代日本への道を切り開いたのは、実は、糸ひきの彼女たちではなかったかと思うのです。
愛すべき日本を底辺から支えてくれた、無数の少女たちに心から感謝と、哀悼の意をささげたいです。

富岡製糸場の世界文化遺産登録に湧く前に、『あゝ野麦峠』の一読をおすすめしたいです。
近代日本を読み解くきっかけともなり得る一冊、かもしれません。

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