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2014年6月28日 (土)

木枯しの庭

職場の同僚らは30~50代で独身者2人をのぞけば、皆、既婚者です。
そのうちの女性に限ると、皆、子どもさんがいて、他愛ない会話の中において、いかに“息子命”であるかがほのぼのと伝わって来ます。
息子さんが野球部やサッカー部に入っていると帰りが遅くなるとかで、そのお迎えに忙しくされている方々や、塾の送り迎え、さらには息子さんの出場する試合の応援やらで、土日があってないような多忙な毎日を過ごされているようです。
それはごく一般的な中高生の子を持つ親の姿なのだと思います。
ちょっとイレギュラーなパターンで、スゴイと思ったのは、2人の子どもさんの親であるAさんのこと。(上は娘さんで、下が高3の息子さんです。)

「息子がカノジョをつれて来たのよ」
「わ、すごいじゃないですか」
「居間で2人してテレビを見るのはかまわないんだけど、カノジョの手が息子の太ももに触ってるのよ」
「なかなか今どきの女の子は積極的ですね」
「でもね、2人っきりの世界じゃないの。そこの空間には私もいたし、主人もいたのよ。ちょっと常識がないっていうか、、、」
「きっとベタベタしたい年ごろなんですよ」
「でね、私それが許せなくて、2人を別れさせたの」
「えーっ?!」

さすがに私もその結末には驚きました。
しかし、Aさんとしてみれば、最初は清らかな男女交際でも、女子の方が何か誘いをかけて来て、理性の効かない思春期の息子が一線を越えてしまったらと思ったとたん、夜も眠れず心を鬼にして「別れなさい」と言ったとな。

「ヘンな女の子に捕まって、一時の迷いで妊娠でもさせてごらんなさい。息子の将来はないもの。息子を命がけで守るのが親の使命なのよ」

このぐらいの母親としての愛情がどの女性にも備わっていれば、世の中に幼児虐待とか育児放棄なんかなくなるでしょうに。
なかなか上手くはいかないものです。

そんな中、曽野綾子の『木枯しの庭』を読みました。
この小説が文庫化されたのは昭和56年なので、ざっと数えても33年も前に、すでに息子を溺愛する母親の歪んだ愛情というものがクローズアップされていたのでしょうか?
曽野綾子は、聖心女子大学文学部英文科卒で、敬虔なカトリック教徒でもあります。
代表作に『神の汚れた手』や『二十一歳の父』などがあり、現在に至るまで女流作家として第一線を行く人物なのです。

『木枯しの庭』は、息子をとられたくないあまり、次々と縁談にイチャモンをつける母と、その母の呪縛から解放されることを願いつつも、結局は親離れできずにいる息子との関係を描いた作品です。
あらすじは次のとおり。

43歳で大学の教授として勤務する公文剣一郎は、65歳になる母親と二人暮らし。
これまで浮いた話はいくつかあったが、母の存在が災いし、結婚には至らずに終わった。
ある時、再び剣一郎に見合いの話が持ち上がった。
相手はスポーツ関係の仕事をする、業界では有名な新海協子だった。
剣一郎の母は、いつだって剣一郎の見合いに反対するわけではなく、「結構なお話じゃないの」と、言葉の上では前向きだが、実際にはどう考えているか分かったものではない。
剣一郎は様々な苦悩を抱えながらも、協子を愛し、結婚についてあれこれ考えを巡らせてはみるものの、やはり上手くいかなかった。
剣一郎が日々の生活に忙殺されていく中、協子は突然、他の男性と結婚してしまうのだった。

主人公の剣一郎は、一見、親孝行で何もかもが行き届いており、申し分ない男性です。
女性に対しても爽やかで優しく、何の問題もなさそうに見えるのです。
ところがここに、母一人子一人という家庭環境が重くのしかかって来ます。
もっと突っ込んで言ってしまうと、母親というどうしようもないモンスター(?)がネックとなっていることが分かります。
息子に依存するにもほどがあると、読み進めていくうちに嫌悪感が湧いて来るほどです。
だからと言って母一人の責任かと言えば、すでに43歳にもなった大人の男性が自分の意思と勇気を振り絞って、母親から離れることをしないというのも気になります。

また、これは剣一郎の性格に限ったことではなく、世間一般の人々が抱く感情にも共通のものがあるかと思いますが、他人の不幸を密かに喜び、それを自分の置かれた境遇に照らし合わせることで、「あの人の不幸に比べれば、まだ自分の方がマシだ」と安心する人間の厭らしさ。
この醜さとかエゴは、ほとんどサスペンスに近い心理的恐怖を味わいます。
どんなカテゴリに区分したら良いものか、迷ってしまうのですが、あえて言うならヒューマンドラマになるでしょうか。

これは男性の方々にはぜひとも一読をおすすめしたいです。
単なるマザコンでは済まされない、日本の将来を垣間見てしまうような内容となっています。
もちろん、母としての立場から息子さんを持つ女性の方々にもぜひぜひ。
読後は、行き場のない孤独感で押し潰されそうになりますよ!

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2014年6月23日 (月)

茶の菓

両親が生きているころは良かった、と思うことの一つに、親族やら両親の古い友人と称する人たちから、お中元やお歳暮が届いたことです。
深くは考えず、私は贈ってくれた先方への感謝の気持ちもそこそこに、家に届いた特産品やら銘菓に舌鼓を打っていました。
図々しく食べるだけ食べていた私の知らないところで、母はきっと、礼状などを添えてお返しを送ったりしていたのでしょう。

とらやの羊羹や千疋屋のメロンなど、今ならムリすればネットで取り寄せることは可能だけれど、なかなか自分のためには贅沢すぎて購入できるものではありません。
もっと味わって食べておけば良かった、、、と思ったところで今さらですが。

あの頃せっせと贈って下さった方々からは、母の亡くなった年を最後に、ピタリとお中元もお歳暮も届かなくなりました。
それは決して薄情とかいう話ではなく、残された娘の私に対するせめてもの思いやりだったと思います。
高価な物をいただいたら、もらいっぱなしにするわけにはいかないことぐらい百も承知の上なので、反って私にいらぬ出費をさせないようにするため、あえてこれまでの義理を終わらせたのではと思うわけです。

そんなわけで、今年も自分で自分にお中元を贈ることにしました。
と言っても、そんな高価なものは買う勇気がないので、デパ地下で“茶の菓”なるものを購入しました。
このお菓子は、京都北山に本店のある、マールブランシュというお店のスイーツです。

簡単に説明すると、京都は宇治の茶葉を使用したラングドシャで、濃い緑色をしており、生地の真ん中に「京」「茶」「菓」など小さく刻字されています。
サンドされたホワイトチョコレートが何とも上品な味わいで、うっとりするような美味しさなのです。
正式には“お濃茶ラングドシャ茶の菓”という逸品ですが、実はこれ、[京都限定]なのだとか。(ありがたいことに、私は浜松で購入しましたが。)
茶の菓 5枚入¥648を購入。
袋を開けたとたんに漂うお茶の香りを楽しむためにも、花粉症のシーズンは避けた方が良さそうですね。(花粉症ではない方はいつでもこの芳醇な香りが楽しめますが。)
味わう一方で、匂いもクンクン嗅いで、2倍楽しむことをおすすめします。

大切などなたかに贈り物をする場合は、ギフトボックス16枚入¥2074(税込)というものもあります。
こういう高級感のある焼菓子こそ、日ごろお世話になってる方にプレゼントして差し上げたら、絶対、喜んでもらえるはずです!
コーヒーや紅茶のおともにぜひぜひ。(◎´∀`)ノ

追記:茶の菓は、遠鉄百貨店にて6月24日までの限定販売です。

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2014年6月18日 (水)

モンターニュ

我が家には“お父さん”という存在がないため、“父の日”はあってないようなものです。
6月15日(日)、テレビで「今日は父の日です。全国のがんばってるお父さんにありがとうの気持ちを込めて、、、うんぬん」などと、ほんの申し訳程度に放送していましたが、みなさんのお宅ではいかがだったでしょう?

偶然にも6月15日は、日本vsコートジボワールの対戦で、全国のサッカーファンのみなさんが応援に声を嗄らしていたことと思います。
この大事な試合を前に、父の日はお預けとなってしまったご家庭も少なくはなかったのでは?
サッカーは好きでも嫌いでもない私は、それでも何となく結果は気になるので、報道番組のダイジェストVTRで試合の経緯を確認しました。

それはさておき、我が家から自転車で15分ほど行ったところにあるモンターニュでは、6月14,15日の2日間に渡り、“父の日、大感謝フェア”とうたって、20%offセールを開催していました。
モンターニュと言えば、定番は“はままつラスク”ですが、ケーキなどの洋菓子も充実していて、最近ではパティシエによるポップコーンなども目玉になっているようです。
ちなみにモンターニュの創業は昭和38年で、浜松市内に5店舗ほど構える、地元密着型の洋菓子屋さんです。

数年前までは、行列のできる、タルト系が主のスイーツ店に足繁く通っていたものですが、今は、昔ながらのケーキ屋さんの方がホッとします。
本格的なスイーツの追求より、慣れ親しんだ素朴な風味への回帰(?)という気もします。

そんなモンターニュで購入したのは、“天竜抹茶モンブラン”です。
栗のモンブランは定番ですが、抹茶モンブランは珍しい。(1個¥486の20%off)
ここに画像を掲載できないのが残念ですが、なかなかボリュームがあって、洋菓子なのに和菓子っぽい風味なのです。
というのも、無心にざっくり食べていると見逃してしまいそうですが、中に小豆がおりまぜてあって、何となく安心できる味わいになっています。

他に購入したのは“ポップコーン”なのですが、この何のへんてつもないポップコーンが、今、都会では長蛇の列を作るほどのブームになっているとか。
モンターニュでは、ベリー、キャラメル、チョコ味の3種類があり、私はベリー味を買ってみました。
ピンク色のポップコーンなのですが、見た目からして可愛いし、食指を動かされます。
ベリーの酸味とチョコの甘味がバランス良くポップコーンに行き渡っていて、申し分のない美味しさでした。(1袋¥395の20%off)

世間が、サッカー観戦に湧いた日、私は地元静岡のお茶を飲みながら、抹茶モンブランをいただきました。
父の日フェアに便乗し、自分のために購入したケーキですが、がんばっている我が身を癒すには、最高にして良質の余暇だったような気がします。
クリスマスでも誕生日でもない日に、ケーキを食べる、、、それはもう至福のひとときでした。

大人になると、誰も褒めてくれないし、優しい言葉もかけてもらえることが少なくなります。
“自分は自分の主人公”なので、甘やかし過ぎない程度に、自分を褒めて伸ばしていこうかと思う、今日このごろです。
みなさんも頑張り過ぎず、たまには美味しいものでも食べて、のんびりくつろいで下さいね!(o^-^o)

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2014年6月13日 (金)

アスパラドリンクDX

現代人は皆、疲れているとつくづく思います。
もちろん、昔の人だって何かと忙しく、疲れていたことでしょう。
でも、何と言うか、その疲れの質が昔とは違うような気がするのです。
「最近の若者は辛抱強くない」とか「甘え過ぎだ」とか「主張ばかりする」などと、年配の方々のおっしゃることも、ごもっともだとは思いますが、おそらくきっと“昔の若者”も同じことを言われて年を経たのだと思います。

私の同級生(40代女性)を念頭に置いた時、既婚者のうち、仕事をしていない専業主婦は0人です。
家のローンを払い、夫婦の車2台分の維持費と、子どもの教育費などを合算すると、とうていご主人の給料だけではやっていけないという状況なのだとか。
生活が苦しいなら、苦しいなりに生活レベルを下げれば良いではないかというご意見もあろうかと思いますが、それがなかなか簡単にはできず、結局、頑張ってお金を稼ぐという歯車に乗っかってしまうわけです。
それが良いのか悪いのかは分かりませんが、右を見ても左を見ても似たような状況ならば、「ま、こんなものか」とあきらめて、夫婦共働きにあまんじるのです。(少なくとも友人の一人は専業主婦に憧れているのですが、叶わぬ夢だとあきらめています。)

昔と違って、現代は空前の情報化社会。
不要な情報もあれこれ耳に入って来るので大変です。
受験生を抱える友人などは、そんなつもりもなかったのに、子どもを塾に入れることになったとか。

「え? 受験生なのに、今どき塾に入れてないの? 信じられない」

と、ママ友の一人に言われ、ショックを受け、慌てて入塾させたとのこと。
言うまでもなく、夏期講習の申し込みもせざるを得なかったと。

本来なら、“我が道をゆく”という精神で、他人は他人、自分は自分と、割り切って物事を考えられれば問題ないのですが、現代はそうもいかず、「あの人、空気読めない」とか「ありえないし」などの他人の評価、つまり干渉がイヤでもまとわりついて来るため、自己流を通すのがなかなか難しいのが現実です。

そんな疲れた友人を持つ私としては、無責任なことも言えないので、ただもう疲労回復に効果のある、アスパラドリンクを飲むようにおすすめしました!

実際、私もささいなことで気に病んだり、睡眠不足で疲労がピークに達している時があります。
そんな時、気晴らしに職場の自販機(ダイドー)で扱っているアスパラドリンク(¥130)を飲むと、なんだかシャキーンとなる(?)ような気がします。
これがまた美味しいのです!
ぜんぜん薬品っぽい感じではなく、スッキリとした甘さでクセになります。
製造販売元は、田辺三菱製薬です。
タウリン1500㎎、アスパラギン酸カリウム・マグネシウム配合のアスパラドリンクDX。

疲れているみなさんにおすすめです。
気分転換にもどうぞ!ヽ(´▽`)/

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2014年6月11日 (水)

収集癖

5月21日付(だったと思いますが、定かではありません。恐縮。)の某新聞に、みうらじゅんのコラムが掲載されていました。
見出しは“収集癖と発表癖”。
みうらじゅんの言動、言論は本当にユニークで、思わず注目せずにはいられないのです。

みうらじゅんと言えば、“マイブーム”という造語を世に広めた人物として有名です。
京都出身の武蔵野美大卒、イラストレーターという肩書きを持っていますが、正直、そんな狭いくくりではご本人に失礼というものです。
今、空前のブームとなっている“ゆるキャラ”も、言い出しっぺはみうらじゅんで、そのマルチのご活躍ぶりには目を見張るものがあります。

さてそのみうらじゅんは、コレクターとしても有名です。
ご本人が言うには、すでに小学生のころから、お気に入りのものがあると集めてしまう癖があったそうな。
一人っ子のせいで、親にねだればたいていの物は手に入ったそうです。
これは私にも覚えがあるのですが、一人っ子の特権というものなのか、何か物を誰か(たとえば兄弟姉妹)とシェアする必要がないため、自分のために買ってもらったものは永遠に自分のものだし、捨てなければ永遠に収集されていくわけなのです。

そんな中、みうら少年は怪獣に興味を持ち、それらの掲載された雑誌や新聞の切り抜きをスクラップしてまとめていたそうな。
こういう話を聞くと、私なんかすぐに思うわけです。
ああ、当時の円谷プロの怪獣を企画・製作したスタッフに、このけなげなみうら少年のスクラップブックの話を聞かせてやりたいものだと。

ご本人はそんな怪獣の切り抜きをせっせと集めてスクラップする癖のある自分のことを、名付けて、“スクラッパー”と呼んでいます。
なんだか新種のハウス系ミュージシャン(?)みたいなネーミングに驚きです。

さてその後、さんざんスクラップした怪獣のあれやこれやをみうら少年が友だちに披露したことは、想像に難くありません。
ちょっと得意気にスクラップブックをめくっては、うんちくを語ったことでしょう。

大人になってからもそういう癖というものはなかなか抜けないようで、いわゆる“オタク”の部類に入るとは思うのですが、みうらじゅんの、あの明け透けで悪びれた色もない態度にとても好感が持てるのです。
とはいえ、そんなみうらじゅんのファンになる女子に多いタイプは、皆、薄幸そうで不幸せな感じなのだとか。(タモリ談)
なので私はファンにはならず、「なんとなくイイ感じ」ぐらいに留めておこうと思います。

結論として何が言いたいのかと言えば、みうらじゅんのように自由で奔放に生きたいなどと考えるならば、「あの人、変わってるよね」と言われることを覚悟した上での生き様を通すということでしょうか。
なかなかどうして、勇気のいることではあります。(笑)

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2014年6月 5日 (木)

ゼロ

生きていればいろんなことがあるわけで、どんなに恵まれた環境の中に暮らしているように思える人にも、必ず悩みはあるものです。
慣れないキツイ坂道を、ヒィヒィ息をあげて登っていると、このままずっと坂の向こう側にたどり着けないのではと、一瞬不安を感じたりするものですが、上り坂の向こうには必ずラクな下り坂があるわけです。
でも歩いている時は必死で、わき目も振らず真剣です。
そのわりに人生とは、予測のつかないもの、計画通りにはいかないものです。

“ホリエモン”の愛称で若者から絶大な支持を受けている堀江貴文もまた、いろんな意味で山あり谷ありの人生を送って来た人ではないかと思います。
福岡県八女市出身の堀江貴文は、今年42歳なので、私より一つ年下です。
東大在学中に、(有)オン・ザ・エッジを立ち上げ、上場企業にまで上り詰めたのは有名です。

実業家として(株)ライブドア代表取締役CEOに就任し、近鉄バファローズやニッポン放送の買収騒ぎで一躍脚光を浴び、その後は政治家への道にまで踏み出そうとしました。(衆議院選では落選しましたが。)
蝶よ花よと、この世の栄華を誇ったホリエモンでしたが、周知のとおり、証券取引法違反で逮捕され、実刑判決を受けました。

ホリエモンに対するイメージは人それぞれだと思いますが、私などは同世代に属するため、決してイヤな印象は持ちませんでした。
むしろ、好奇と羨望の眼差しで眺めていたような気がします。
それは、出所後の現在もあまり変わりません。

ホリエモンの著書として、『稼ぐが勝ち』があり、これはベストセラーとなったものの、あまりにも有名すぎて私はまだ読んでいません。
しかしながら、昨年刊行された『ゼロ』は、そのタイトルからしてシンプルだし、何か惹きつけられるものがありました。
それもこれも堀江流のビジネス戦略だと言われれば、私はまんまと引っかかってしまったことになるわけですが、真摯な気持ちで『ゼロ』を手にした時、それは決して無駄な一冊ではないことが分かります。

『ゼロ』は、啓蒙書として読むには少しパンチが弱いような気もします。
単純に、堀江貴文という実業家の体験談と提言、として読む方が、あるいはしっくりいくかもしれません。

この著書のテーマは一つ。
ズバリ、「はたらこう」です。
とてもシンプルで明快です。

戦後民主主義にどっぷりと浸かって来た私たちは、飽食の時代を生き、自由を謳歌しているつもりでいます。
極端なことを言ってしまえば、一生プータローでいるのも、ひきこもりでいるのも、あるいはホームレスとなるのも自由であるという権利です。
しかしながら、まともな人間ならばそんなものが本当の自由なわけがないと気づくのです。

「人はメシを食うために働くのではない。働くことは生きること。僕らは、自らの生を充実させるために働くのだ。」

もちろん、生活のために働いていることに違いはありませんが、でもそれだけのために働いているわけではないと言うのです。
正論です。
あれほど前衛的で、時代の先端を突き進んでいた人物の言う言葉にしては、しごく真っ当としか言いようがありません。
“勤労”という言葉が死語になりそうな、何でもありの現代において、これだけ謙虚に「はたらこう」と言える著者の姿勢は、ウソでも若い人たちに影響を与えるのではと思いました。

『ゼロ』を一読した中で、私が一番グッと来たところを、ここに抜粋し、少しでも自由という言葉の本来の意味とか意義を探る手がかりになればと思います。

どんなにたくさん勉強したところで、どんなにたくさんの本を読んだところで、人は変わらない。自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。

そのとおり!
私たちの自由は、働くことから得られる報酬の上に成り立つ、とても尊いものなのです。

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2014年6月 2日 (月)

眉山

私は人と話をしていて、よくトンチンカンな受け答えをしてしまう時があります。
今ここで例えをあげたいのですが、すぐには思いつきません。
けれど、とにかく相手の真意を汲み取っているようで、実は論点がズレていたりすることがあるのです。
なぜそれに気づいたかと言うと、神経質な友人がその間違いを時々指摘してくれるからです。

「違う、違う。そういうことが言いたいんじゃないって」

こういうことは、気がおけない友だちだからこそズバリ言い当ててくれるのでしょう。
私ぐらいの度が過ぎたトンチンカンは、ヘタをすれば黙殺されてしまう場合があるので、人と話すにも慎重になるに越したことはありません。

そんな中、太宰治の未完の絶筆である『グッドバイ』を再読しました。
新潮文庫から出ているものですが、『グッドバイ』以外にもいくつかの短編や戯曲などが収められています。
中でも私のお気に入りなのは『眉山』です。
この短い小説に登場するトシちゃん(通称:眉山)が、これまた並外れたKYな女中さんなのです。
この眉山の存在が、私にはたまらなく愉快に感じたのですが、作中の「僕」は、その無知と図々しさと騒がしさに常に苛立っているのです。

そもそも何でトシちゃんが“眉山”というあだ名で呼ばれているのか?
それは彼女が、背が低くて色黒で、いわゆるブスに属する容姿なのですが、眉だけはほっそりした三ヶ月型で美しく、それゆえに“眉山”というあだ名がつけられたのです。

とても短い小説なので、あらすじを言ってしまうとほとんどネタバレになってしまう恐れがあるため、ここには記述しませんが、さんざん眉山のことをバカにしていた「僕」が、最後は手の平を返したように地団太を踏むのです。

行きつけの飲食店で働く女中さん(眉山)と、「僕」をはじめとする小説家や画家、音楽家など客たちとのやりとり。
眉山がいなくなって初めて気づくその存在感。
このなんとも言えない切なさは、やっぱり太宰のプロ技です。
恋愛小説でもないのに、読後の喪失感は、まるで大切な人を失った時のような鈍い心の痛みを感じます。

太宰治には『人間失格』をはじめ、『走れメロス』や『晩年』『斜陽』など、いくつもの有名作品があります。
しかしながら、本当に心を動かされ、共鳴できる作品というものは、この『眉山』のように短編集の中にひっそりと息をしているものが本命なのではという気もします。

仕事の合間、休憩中にちょこっと読めるという意味で、文庫の短編小説はバッグにしのばせておくのにちょうどいいアイテムなのです。
男女問わず、こちらの記事を読んでくれた皆さん、太宰治の『眉山』、ぜひぜひ読んでみて下さいね!ヽ(´▽`)/

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