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2014年7月10日 (木)

砂糖菓子が壊れるとき

コイバナはいくつになっても盛り上がる話題の筆頭です。
さすがに既婚者の友人には、そんな浮ついた話を持ち出して来る人はいませんが、いまだ独身の友人K美さんには気になる相手がいるようです。
これまでこのブログに何度か登場しているおもしろキャラのK美さんは、昨年の夏に大阪へ引っ越してしまったため、以前のように頻繁に会っておしゃべりしたり旅行に出かけたりすることもなくなってしまいました。
どうやら職場の同僚の某さんに心惹かれているようで、K美さんにとってときめきの止まらない(?)職場環境に違いないのです。
しかも某さんは、K美さんよりも9歳も年下とな?!
けっこうなことです、はい。
友人の私めは、ただただK美さんの恋が成就することを祈るのみなのです。

それにしても恋愛というものは、一つの才能ではないでしょうか?
たとえば恋愛の才能のある人は、全身全霊で相手にぶつかってゆき、成就するも撃沈するも、そのプロセスを大いにドラマチックに盛り上げることができるのです。
恋に燃えている時は、仕事や勉強のことが手につかず、相手の欠点も冷静には判断できません。
でも、それさえも才能なのです。
形振り構わず、相手を振り向かせようと、あの手この手で攻めまくるというもの(?)です。

テレビドラマや小説の世界ではそういう恋愛スタイルがスタンダードで、“恋に臆病なあなたへのエール”的な内容となっています。
それはそれで充分楽しませてもらっているので問題はないのですが、実際、私のように恋愛の才能がない人種にとっては、どこか異次元の話に思えて仕方がありません。
というのも、私の経験から言ったら、女性ばかりの職場での出会いは論外だし、たまたま落し物を拾ってもらい、話しかけられるとか、エレベーターで肩がぶつかって、思わず見つめ合うなどのハプニングは、まずありません。
せいぜい、世話好きな親戚のオバちゃんから、ちょっと残念なルックスの、まじめだけが取り柄のような男性の見合い写真を見せられるということぐらいです。
元カノの登場で三角関係に悩むとか、思いがけず男友だちとしてしか見ていなかった人物から告白されるなどの、恋愛にありがちなトラブルも、43年間生きて来て、ただの一度もありませんでした、、、

結局、何が言いたいのかというと、恋愛は宗教みたいなものではないか、ということです。
信仰心の篤い人は、信じている神なり仏なりに絶対的な主義を貫くであろうし、いかなる迫害を受けようとも、それに打ち克とうとする精神性は、崇高でさえあります。
万が一、神や仏に疑問が生じるようなことが起こったとしても、それは信仰心の足りない自分のせいであるとして、一切の責任を自分のものとします。

そういう姿勢を恋愛に置き換えた時、あらゆる世間の情報を遮断し、思考をストップさせた状況など、ちょっと危ういところが酷似しているように思えるのです。

前置きが長くなりましたが、曽野綾子の『砂糖菓子の壊れるとき』を読みました。
最近、曽野綾子の初期の作品にハマっています。
曽野綾子と言えば保守派の論客として聞こえ、私には敷居の高い作品ばかりで、これまであまり親しむきっかけがありませんでした。
ところがたまたま、ある中古本の巻末にあった案内文(紹介文)を読んだら、「謎の死を遂げた女優マリリン・モンローから材を取った作品」とあり、がぜん興味が湧いて、『砂糖菓子が壊れるとき』を購入しました。

いや、これはスゴイですよ、はい。
これを読んで、ますます恋愛を謳歌する人もいるでしょうが、私はむしろ、持論でもある「恋愛は幻想に過ぎない」と思うに至りました。
ストーリーはこうです。

売れない大部屋女優の千坂京子は、映画監督の栗原と交際していたが、栗原は京子と距離を置くようになった。
愛に飢えている京子は、深夜にもかかわらず電話をかけてしまう。
しかし、栗原本人とは連絡がつかず、打ちひしがれる。
京子は、精神病院に入院中の母親のために入院費を稼がなくてはならなかった。
わずか1万5千円を稼ぐために、京子はヌードモデルのアルバイトをやった。
郵便局から現金書留で送金した後、京子は帰って一人部屋の隅で泣いた。
すると、芸能プロダクションである工藤プロの社長から手紙が届く。
京子に好感を持つ工藤の采配により、京子は著名な石黒監督の作品に出演することが決まった。
工藤は持病を抱えており、しかも京子とはかなり年も離れていたが、結婚しようと言う。
京子の胸にはまだ栗原という存在がちらついたので、即答はできなかった。
また、工藤に対しては尊敬してはいるものの本当に愛しているかどうかは分からないと、素直に答えた。
結局、京子は工藤との入籍を拒んだ。
だが工藤は、自分が亡き後、自分の財産を全て京子に与えてやりたいと思っていた。
京子は、「お金を私に与えるために結婚するなんていやだ!」とつっぱねる。
その後、工藤は最後の発作を起こし、亡くなる。

京子はこの後、知的なものへのあこがれから大学の聴講生となり、そこで知り合った教授と深い関係になります。
さらには、新聞記者の奥村や、野球選手の土岐とは結婚するまでに至ります。
その後、土岐とは離婚し、今度は脚本家の五来と再婚するのです。

京子は常に、自分に自信を持てないでいます。
男たちが、京子の恵まれた肉体としなやかな美しさに惹かれて近寄って来ることは知っていたのですが、いつも漠然とした不安を抱え、不眠症に悩んでいます。
恋愛というものが、この京子のように、孤独と不安を埋め合わせるものだとしたら、なんと切なく、儚いものなのでしょうか。

睡眠薬の常用者であったマリリン・モンローの死は、世界中の男性が哀しみに暮れる中、「女たちは彼女の死を黙殺した」とのこと。
マリリンは世界中の女性たちから嫌われても、たった一人の男性から愛されているのならば幸せだと思ったかもしれません。
しかしながら結果として、男たちは彼女から離れていきました。
その理由は、この作品を読むとしだいに明らかになります。

恋愛の本質って、一体何だろう?と疑問が生じたら、この『砂糖菓子が壊れるとき』を読めば、何となくその輪郭みたいなものが掴めるかもしれません。
興味のある方は、ブックオフなどの中古本取扱店にてご購入下さい。おすすめです。

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