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2014年9月25日 (木)

たまゆら

男性も女性も、それこそ人の数だけタイプがあり、それぞれに違うのでしょうが、私のような単純な思考回路の持ち主だと、おおざっぱに言ってしまえば男性は浮気をする生き物なのだ、と捉えています。
もちろん女性も、する人はするだろうし、男性だって、しない人はしないと思います。
でも、比率で言ったら圧倒的に男性の方が多いのではと考えるわけです。
きっとそれは生物的な問題であって、大したことではないとも思っています。

一般的に浮気というのは、他にちゃんと本命があってその上での火遊びのようなもの、と世間の女性は捉えているわけで、自分が本命という立場にあるならば、少しぐらいの浮気は大目に見てやろうという寛大さを、たいていの女性は持ち合わせていると思います。
(とはいえ年齢的に若いと、なかなかそうはいかないかも、、、)

ところが『たまゆら』を読むと、そういう単純な思考が音を立てて崩れてゆくのです。
既成概念に囚われていた自分が恥ずかしいのですが、もともと男性に浮気という概念のないタイプが存在するということを、今さら知ったからなのです。
裏を返せば、浮気もない代わりに本命もないのです。
じゃあ恋愛感情がないのかと言えば、まったくそうではなく、女性に対しては限りなく優しく、恋を囁くには余りあるスタイリッシュでクールなダンディ。
でも男性は「結婚にはあまり興味がない」と、予防線を張るのです。

そんな男性を好きになってしまった女性は、おいそれとあきらめもつかず、結局は先のことなどは考えず、何も約束せず、不幸の予感めいたものを抱きながらも付き合いを続けていくのです。
男性はそんな女性を愛おしむ一方で、親の勧める見合い相手とお義理でデートを重ねます。
そこに罪悪感はなく、どちらの女性にも誠意(?)を見せているというもの。

他にも、その男性に好意を持つ女性はいて、男性はその一人一人に優しく、無意識のうちに思わせぶりな態度なのです。

『たまゆら』の作中では、現代の光源氏的なその男性を、妙に完成度の高い男性に仕立てることで、反って読者に反感を仕向けているのがおもしろい。
そんなのは自由恋愛という幻想の上に成り立つものであり、不毛な恋愛地帯であるに過ぎません。

このような男性を「この上もなく利己的で、この上もなく高慢な人間に違いない」と批判できる女性は少なく、たいていの女性はそのタイプの男性を限りなく誤解し、受け入れてしまうので、もうどうしようもありません。

『たまゆら』では、その手の男性に熱をあげてしまい、でもその気持ちを振り切ろうと別の男性と結婚までするものの、やはり思慕を捨て切れずに精神を病んでしまう女性が登場します。
このような絶望的な状況となっても、当事者である男性は「優しく」その女性の想いを拒絶します。
罪悪感など微塵もありません。

曽野綾子の『たまゆら』は、1959年に上梓された作品なので、すでに50年以上の月日が経っています。
それなのに今読んでもまったく時代性を感じさせず、むしろ新しい感じがします。
私の身近なところでは、作中にあるような束縛のない自由な交渉を良しとする男性はいません。(ホンネは分かりませんが、、、)
しかし、もしもご主人やカレの浮気で悩んでいる友人がいたら、この小説を読むように勧めてやりたいと思うのです。

「あくまで本命はあなたなのだから、そんな浮気なんて気にしなさんな」

と、言ってやるのです。
求めても受け入れず、こちらの心を「優しく拒絶する」自由恋愛よりは、浮気の方が数倍も人間的で可能性のある感情なのですから!

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2014年9月22日 (月)

夜叉御前

ドラマや小説の世界では取り上げられるプロットですが、実際にはあり得ないことだと思っていました。
倫理的にということももちろんですが、遺伝学的にも悪影響を及ぼすので、決してあってはならないことだと受け止めています。

そう、近親相姦というタブーです。

そうは言っても、よもやそんな禁忌が行われているはずもないと思い、検索をかけてみると、、、あるはあるは、次から次へと。
世界中のいたるところで(無論、日本国内においても)そのタブーは破られているのです。

私は、山岸凉子の作品が大好きで、十代のころから愛読しています。
『花とゆめ』とか『ララ』などで山岸凉子のマンガが掲載されているのを知ると、その月だけ買ってみたり、とにかくませた小・中学生でした。
その山岸凉子の作品集が、20年近く前に発売され、当然のように私は買い求めました。
その一冊に『夜叉御前』があります。
これは、文春文庫ビジュアル版として出版されたものですが、今でも取扱いはあるのでしょうか?
最近、書店で見かけることはありませんが、自選作品集と謳っているだけあり、秀逸です。

十代のころ、ませていた方の私ですが、『夜叉御前』の本当の意味が分かりませんでした。
しかし、今ならはっきりと認識できます。
これこそまさに、近親相姦を扱った作品なのです。

◆ここからは作品のテーマにも触れますので、内容を明かします。

とある山深い一軒家に、15歳の少女とその家族が引っ越してきた。
少女の母は腎臓が悪く、寝たきり状態。
父方の祖母も体が弱く、しかも耳が遠い。
少女には年の離れた弟妹がいるので、家事一切をこなさなくてはならなかった。
少女は夜ごと、般若の面をかぶった女から、じっと見られている妄想にとり憑かれている。
それはもしかしたら、古い旧家の木造建築に住んでいるからという環境もあるかもしれない。
とにかく少女は、心細さから、不安と恐怖におののいていた。
そんな中、少女は食欲を失っていった。
吐き気をもよおし、耐えられず、戻してしまう。
少女は自分をつけ狙う般若に、殺されるかもしれないと常に不安を抱くが、ある晩、寝ていると、黒い物体が覆いかぶさって来た。
少女はその黒い物体を押し退けようとするが、その抵抗も虚しく、どうすることもできない。
そんな少女の様子を、般若は押入れの中からじっと見つめている。
それからは毎晩、少女が寝ていると黒い物体が覆いかぶさるようになったのだ。

上記は概略ですが、マンガを読んで頂くと、その恐怖たるや鳥肌モノです。
夜ごと覆いかぶさって来た黒い物体の正体は、間違いなく少女の父親なのです。
さらに、少女を恐怖のどん底に陥れるような般若は、正に、病身の母に違いありません。
とんでもない禁忌を破ったことに対する夫への恨みつらみから、ラストでは斧で殺害してしまい、娘に対しても異常な嫉妬に駆られ、殺そうとします。

作中、少女と父親が実の親子であるのかどうかは触れていません。
イマジネーションを働かせれば、あるいは母の前夫と間に生まれたのが15歳の少女で、年の離れた弟妹が現在の父親との間に生まれた子ども、ということも考えられます。
実父であろうが養父であろうが、15歳の少女に行った仕打ちは人間としてあるまじき行為であり、殺害されてしまうというラストも当然の帰結かもしれません。
しかし、哀しい哉、女という性は、我が子であっても嫉妬の対象であり、憎しみと憤りで鬼にもなり得るという意味でしょうか。
いずれにしても、近親相姦の末路にあるのは、絶望以外の何物でもないことがこの作品から分かります。

人は皆、それぞれに他人には言えないような醜いヘドロのようなものを胸に秘めて、日常をやり過ごしているのです。
この潜在的に隠されている狂気が目覚めた時、自らを失ってしまうことは間違いありません。
私たちは常に、理性と秩序を保ち、生きていかねばならないのです。
山岸凉子の『夜叉御前』は、人間の持つ底知れぬ怖さと狂気を、とてもよく現した作品なのです。

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2014年9月18日 (木)

介護保険

私の親しい友人が高齢の父親の介護をすることとなり、余計なおせっかいとは思いつつも、介護保険のことを少しだけ調べてみました。

40歳になった時点で月々の給料から天引きされている介護保険が、こうして高齢の方々のお役に立っているのを知ると、日本という国も、なかなか社会保障制度が整いつつあるではないかと、少なからず誇りに思います。
今、働いている若い世代だって、いつかは必ず老いるのですから、この先介護サービスを利用しないとは言い切れないのです。
なので、賛否両論あるとは思いますが、制度としては有意義なもののように思えます。

友人のお父上は、今のところ入院していますが、少し容体が落ち着いたら退院しなくてはならないとのこと。
老人病院ではないので、そういつまでものんびりと入院はさせてくれないそうです。
そこで友人は、すでに嫁いで久しいお姉さんと話し合いをしました。

退院したお父さんを在宅で介護するか、あるいはどこか特定の施設に入所させるか。

友人は責任感が強くて親孝行なので、「在宅で介護したい」と希望しています。
よそで訊いたうわさによれば、もしも公営の介護施設に入所させようとしたら、100人待ちの状態とのこと。
もしかしたら話が一人歩きして大きくなっているだけかもしれませんが、すんなりとは入所できないのは事実のようです。
結局、友人はお姉さんを説き伏せる形で在宅介護を決めました。

ここからは、私が想定した介護サービス利用までの手順なのですが、友人はまず市役所に出かけ、介護保険の申請を行わなくてはなりません。

【介護保険の申請】

これは、要介護認定・要支援認定の申請です。
申請書には、介護保険の被保険者番号や病院名、主治医の氏名、病院の所在地などを記入する欄があるため、あらかじめ確認しておく必要があります。
(自宅にて療養中の方は、現住所の記入。施設利用者の方は、施設名と施設の所在地の記入。)

【訪問調査】

申請が通ると、介護を必要とする本人のいる自宅か、あるいは入院先、入所先に保健師さんが調査に出向きます。
この時、必ず本人だけではなく、介護している人も同席します。

【認定結果の通知】

総合的な審査が行われた後、結果が通知されます。
だいたい申請後30日以内には通知されるようです。

友人の場合だと、お父さんの状態から言って、要介護4か、もしくは要介護3ぐらいの判定になるのではないかと思われますが、なにぶん素人判断なので分かりません。
ですが、この認定結果により、介護給付が受けられるので、友人もだいぶ助かるとは思うのです。

さてここで、在宅で介護サービスを利用するにあたり、友人はどんなサービスを利用したいのか、その辺をしっかりとまとめておく方が良いような気がしました。
[例]訪問入浴介護・訪問看護・福祉用具貸与等

【ケアプランを作る】

ケアマネジャーさんと面談し、介護サービスの種類や利用回数などの計画書を作成してもらいます。
この後、市役所へ出向き、ケアプラン届出書を提出することで、やっと介護サービスの利用が開始されます。

こうして流れだけ追っていくと、ずいぶん手間のかかる手続きのように思えますが、やっぱり介護を必要とする当事者の状態が一人一人違うため、本人の心身の状況に合わせ、堅実で慎重なものとなっているのかもしれません。

先日、友人は市役所の窓口で介護保険の申請をして来たとのこと。
特に問題がなければ、近日中に保健師さんから連絡があり、訪問日の調整をするに違いありません。

今後、友人がお父さんを在宅で介護するにあたり、どんな試練が待ち受けているとも知れません。
私はとにかく、大切な家族を必死に守ろうとしている友人を、陰ながら応援していきたいと思います。
介護は決して、他人事ではないのですから、、、

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2014年9月14日 (日)

母に歌う子守唄

お彼岸が近付くと、季節の変わり目とも重なるせいか、体調を崩しがちになります。
娘さんのご結婚のことでさんざん悩んでいたSさんも、今はそれどころではない状況となっているようです。(8月20日付、当ブログ記事を参照)
というのも今月に入って、Sさんのお母さんが体調を崩され、入院したとのこと。
娘さんの結婚もしばらく延期となり、今は介護の方に専念されています。
よもや占い師さんから伝授された縁切りの秘法が、こんな形で作用しているとは思いませんが、さすがのSさんも今はそれを中断し、病院と自宅の往復で日々が過ぎるという多忙を極めているようでした。

一方、私の親しい友人の父親が、やはりここ数日のうちに体調を崩し、入院しました。
と言っても、数カ月前にガン宣告を受けてはいたのですが、なにぶんご高齢なので、それほど急激な悪化はないと思われていたのです。
容体もずっと安定しており、気長にガンと付き合っていくつもりでいたらしいのですが、急変したと。
当たり前のように存在する親は、いつまでも死なないような気がするのに、こうなってみて初めて、命には限りがあることを知るのです。
折しも、落合恵子の介護日誌である『母に歌う子守唄』は、この友人が私に紹介してくれた本でした。

落合恵子と言えば、元文化放送アナウンサーであり、みのもんたの同期に当たるそうです。(ウィキペディア参照)
明治大学文学部卒で、幼児教育誌などを発行したり、子どものための本や女性のための本の専門店を経営しています。
こうして華々しいプロフィールだけ追うと、ビジネス・ウーマンとして勝ち組の部類に入りそうな気もしますが、この『母に歌う子守唄』を読むと、大変なご苦労をされた側面も窺えて、介護経験のある私などにはとても共鳴できるのです。

この著書は、一人娘である落合恵子が実際に母親の介護や老いに直面し、思うことや考えたことを介護日誌として綴ったエッセイなのです。
落合恵子の母に痴呆の兆候が表れたのは、「散歩の途中で道に迷って」帰宅できなかったというのが最初だったそうです。
ところが実際に病院でお世話になるのは、腎臓結石による発熱で入院し、そこで初めて医療の現場に直面するのです。
講演活動や執筆業で忙しくしている著者からすれば、もっと早くに母の体調の変化に気付き、然るべき治療を開始していれば良かったと、悔やみきれない思いで一杯のようです。
そしてその様子がこの著書のそこかしこから漂っています。

検査を受けて新たな病名を知ることとなったものの、落合恵子は納得がいかず、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを求めて、漸くたどりついた診断結果が“アルツハイマー病”だったのです。
しかしこのプロセスをたどれるのは、やはり確固たる主義主張を持っている落合恵子ならではの帰結という気もします。
一般的な感覚から言わせて頂くと、最初にお世話になった病院の診断結果を反故にし、他の医師の診断を仰ぐというのは、なかなかできないものです。
(もちろん、そんな遠慮などをしていたら治る病も治らなくなってしまうかもしれないので、まずは一番苦しんでいる患者の立場に立たなくてはいけませんが。)

そんな著者でも、いわば母親の命を預けている主治医との関係には、ずいぶん神経質になっているのを隠せません。

「教えていただきたい。他の人たちはどうやって医療と向かい合っているのだろう。そこに不安や不信や疑問を見つけてしまったとき、どのように乗り越えていかれるのだろう。」

主治医も所詮、一人間。
どうしたって相性の問題もあると思うのです。
その主治医に対して不信感を募らせてしまったら、患者とその家族はもうどうしようもありません。
たいていは「ほどほど」であきらめるしかないという現実に、落合恵子もその当事者となってみて初めて思い知らされたのです。

同じような経験を、私の友人も現在進行形の状態で味わっています。
大切な家族の命を預けているにもかかわらず、病院との折り合いをつけ、「ほどほど」の医療で我慢を強いられる現状。
完璧な医療を求めることができないジレンマに、悶え苦しまねばならない患者とその家族。
本当に難しい問題なので、一体何が正論なのかも分からず、混乱してしまいます。

今、介護に直面されている方々、きっと読書の時間なんてなかなか取ることができないでしょうが、この落合恵子の著書は、介護入門とも言えるエッセイ集となっていますので、おすすめです。
寝る前の10分ほどの読書タイムに、いかがでしょうか?

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2014年9月10日 (水)

多文化共生

私が小さいころ、青い瞳の外国人を見た時には、好奇心から後をつけてみたり、その透き通るような色の白さや風になびく金髪を、うっとり眺めたりしたものです。
ところが今は、外国人が街を歩いていても気にも留めないし、我が家の前を外国人の子どもが楽しそうに母国語でおしゃべりしながら歩いていても、当たり前のような日常の出来事となっています。
最近は学校教育の一環としても英語に力を入れているし、子どもを小さいころから英会話教室などに通わせておられる親御さんも増え、否が応でも英語は身近なものとなりました。

そんな中、外国の方々と共に生活していくことは、ある意味、グローバリゼーションに則った最も進歩的な生き方なのかもしれません。
それにしてもこれまで英語英語と騒いでいた皆さん、これからはポルトガル語の習得も、将来への間口を広げる手段になるかもしれませんよ!
もちろん地域性もあると思いますが、ブラジルから就労等で来ておられる方々のほとんどがポルトガル語を話すらしいのですが、その通訳とか翻訳をする日本人が、まだまだ不足しているようなのです。
ここは一つ、日本人が日本の文化・伝統をきちんとプレゼンできるほどの語学力を習得し、ポルトガル語で発信できる人材を育てたら良いのにと思うしだいです。

“多文化共生”という言葉を、中身のない空しいものにしないためにも、少なくとも日本の国土においては、歩み寄りとは少し意味合いが違うのですが、おおよその日本人のあり方、日本人の気質を受け入れてもらう必要があるのではないでしょうか。
たとえば、“郷に入れば郷に従え”という意味・解釈を、きちんと納得してもらえるような語学のセンスを持つ方に、ご活躍頂くのです。

ちなみに11月9日に、クリエート浜松にて『ポルトガル語スピーチコンテスト』が開催されるようです。
これには条件があり、「ラテン系の言語を母語としない方」とあるので、もともとポルトガル語やスペイン語を話す人ではなく、あくまで後天的に学習してポルトガル語を話せるようになった人の募集のようです。

明治維新以降、日本はそれまでの文化・伝統を中断し、充分すぎるほど西洋化に努めて来ました。
これからは受け入れる側から、発信する側に変わっていけたらなぁと思います。
若い人たちの外国語の習得に期待するのと同時に、異なる文化の共生が可能なことなのか、あるいは実現するにはどうしたら良いのかを考察して頂きたいと思う、今日このごろなのです。

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2014年9月 7日 (日)

ショコラ水羊羹

43歳ともなりますと、親戚の法事やら町内会の付き合いやらで、度々香典を包む機会があります。
なにぶん、私は二十代で両親ともに亡くしており、いろんなところでお心遣いを頂いております。
これからは、そんなお世話になった方々への義理をお返しし、変わらぬ御交誼に預かりたいと思うわけです。

先日、学生時代からの友人Yさんのお父上が亡くなられたことを知り、驚いてしまいました。
最近は「遠慮」という常識を知り、それほど電話することもなくなりましたが、昔はヒマつぶしのように、ろくに用事もないくせにしょっちゅうYさんのお宅に電話していました。しかも夜遅く。(10時ごろ、、、)
すると必ず電話口に出られるのがYさんのお父上で、

「はいはい、Yですね? もうお風呂から上がったと思います。ちょっと待ってね」

などと、その場の状況を私に知らせつつ、Yさんに取り次いでくれるのです。
あの頃はケータイもないので、家に備え付けの固定電話にかけるため、のんびりくつろいでいるところ、コール音に立ち上がって受話器を上げたであろうお父上のことを想像すると、度々お手間を取らせてしまったことを、深くお詫びしたい気持ちでいっぱいです。

どんなに長電話になっても苦言を呈されたことはなく、イヤミ一つ言われなかったことは、いかにお父上が懐の深い人であったか、そのことだけでもよく分かります。

今年はそのお父上が亡くなられて初盆ということで、盆供も兼ねた香典を送らせて頂きました。
本来ならお宅まで出向いて、お線香の一本もあげさせてもらっての上での話なのですが、なにぶん自転車や徒歩では行けない距離なので、郵送にてご無礼させて頂いた次第です。

だいぶ前置きが長くなり恐縮ですが、ここからが本筋です。
先日、お返しの品が届いたのです。
いわゆる「香典返し」というものです。
私はこれまで香典返しと言えば、おそうめんとかお茶、あるいはタオルのようなものを頂いて来ました。
しかしYさんは違いました。
紳士的でハイカラなお父上の血筋を受け継いでいるのでしょう。
Yさんの選んだ品のオシャレなことと言ったらありません!
な、なんとBEL AMERの“ショコラ水羊羹”だったのです。
だいたいお店の名前がBEL AMERって、どう読むのか?
残念ながら英語の辞書には記載がありませんでした。
学生時代、第二外国語でドイツ語を選択していましたから、あわててドイツ語の辞書をひっくり返してみましたが、ここにも該当はありませんでした。

現代はデジタル社会でした。
こういう時こそ検索をかけるのですね。
さっそくパソコンで調べたところ、「ベル・アメール」と呼ぶ店名であることが判明。
しかもフランス語で“美しい苦み”とな!
オシャレだなぁ、、、と、思わずうっとり。
チョコレートを駆使した西洋菓子のお店であることは分かりましたが、ショコラ水羊羹というのは、また粋なものです。

種類は、小倉・和栗・柚子の3種類。
これがまた上品で、殿上人の食するようなものではと見紛う美味しさなのです。
とはいえ、可愛らしい四角い形状をしていて、私の場合だと一個を一口二口で食べ終えてしまうので、味わっている時間が短く、夢の中の出来事のような錯覚に陥ってしまいます。(?)

Yさんには反って気を遣わせてしまい、大変申し訳なく思っています。
この場をお借りし、お詫びと感謝、そして「今後ともよろしくお願いします」と申し上げたいです。

◆ちなみにBEL AMERは、静岡県内では静岡伊勢丹のみに店舗があります。

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2014年9月 2日 (火)

妙法寺

私はそれほど信心深いわけではないのですが、お寺や神社を訪れて、ちょっと拝んでおくのが習慣となっています。
電車の車窓から美しい富士山を見ることができた時なども、拝んだりしてます。(←明治のおばあちゃんみたいですが、、、)
そのことが功徳になるなどとは、正直、期待していませんが、はっきりとした信仰の対象がない私には、あちこちの神仏を敬っておくことが気休めになっているのかもしれません。

8月30日(土)は、白糸の滝まで出かけたのですが、張り切って早朝の列車に乗ったので、思いのほか早く見物を済ませてしまったため、それならばと吉原まで足を延ばすことにしました。
JR東海道線吉原駅より東へ徒歩15分ほどでしょうか。
毘沙門天をお祀りしている妙法寺というお寺を訪れました。
山門をくぐって境内の正面に出ると、何と申しましょうか。
横浜中華街などにありそうな、あるいはタイの寺院などにありそうな、そういう雰囲気なのですが、こういうのを何と言いましたっけ?
とにかく、異国風のムードが漂っているのですよ。
ここには毘沙門天がお祀りされているのですが、体のどこかが悪い方の身代わりになってくれるという有難い神様なのです。
なので、たとえば腰痛持ちの方なら、毘沙門天立像の腰をさすった後、自分の腰をさすると、その痛みを引き受けてもらえるというわけです。
その際、毘沙門天立像をさする布ですが、寺務所にて¥500で購入することができます。有難いことです。

その布を購入した時に頂いた『風流説法46』という冊子なのですが、これがまた興味を引く内容なのです。
もともと仏教説話が大好きなので、帰りの電車内ではずっと読み耽っていました。
妙法寺の住職による手記なのですが、動物たちとの触れ合いに関する日常的な内容が主となっています。
その冊子の中に、“一角仙人”という水に関する教訓としての物語が紹介されていました。

ある仙人が谷川で小便をした。
この小便に混ざって流れ出た仙人の精子が、ちょうど下流で水浴びしていたメス鹿の体内に入って妊娠した。
メス鹿は、男の子を産んだ。
その子は人間そっくりだが、頭の上に鹿のように一本の角が生えていた。
人々はこれを“一角仙人”と呼んだ。
ある日、一角仙人が長雨でぬかるんだ道をぶらついていると、泥に足をとられてスッテンコロリン。
人々は手を叩いてはやし立てた。
真っ赤になって怒った一角仙人は、長雨のせいで恥をかかされたと思い込み、仙術を使って天雲を封じ込めてしまった。
これによって何カ月も雨が降らず、大地も人々も枯渇した。
そこで困った人々は、仙術を解く方法を相談し合った。
それは、女色で仙人を誘惑しようというものだった。
白羽の矢が立ったのは、町一番のチョーカワイイ遊女。
そんなこととはつゆ知らず、仙人は大木の下に女性が倒れてうめき声をあげているのを見て、駆け寄ってしまう。

「一体どうしましたか」
「今、どう猛な犬に局部を食い切られて、痛くて、痛くて」

と、泣きながら裾をまくる。
仙人はこれまで、女性のものを見たことがない。
女の言うことを信じたが、一体どうしてやれば良いのか分からない。

「痛くて痛くて仕方ありません。どうかあなたの手でやさしく撫でてください」

女は哀願した。
仙人は、言われたとおり撫でていると、そのうち雨が降り出した。

だいぶ端折ってあらすじを引用してみたのですが、概略はだいたい上記のとおりです。
これは一体どういう教訓なのかと言いますと、「上流で小便なんかしてはいけない。下流ではその水を飲み水に使うのだから。そういう悪いことをした者には、必ず罰が当たる」というものだそうです。
要は、「水を汚してはならない」ということなんです。
言葉にしたらただそれだけのことを教え、諭すために、そのようなユニークな物語を二千年も前に考え、作ったのかと思うと、昔の人ってスゴイなぁと思うわけです。

吉原の妙法寺まで足を延ばし、この冊子を頂けたことは、偶然の賜物とはいえ、大変有難いことでした。
こちらの住職の人柄が伝わって来るような、人間味あふれるエッセイの趣を感じました。

体のどこかに持病を抱えておられる方、ぜひこちらの妙法寺の毘沙門天にお参りされてはいかがでしょうか?
心が洗われるような、清々しい気持ちになりますよ!

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