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2014年11月23日 (日)

大人のための残酷童話

ここのところストレス過多で、肩こりやら頭痛に悩まされていましたが、ようやく改善されつつあります。
まずは休養をとりました。
だいぶ有給休暇も貯まっていたので、思い切って平日にお休みをいただき、羽を伸ばしてみました。
羽を伸ばすと言ってもどこかへ旅行するとかではなく、図書館で10冊ほど本を借りて来てどっぷり読書に浸ったのです。
そうそう、ケーキも買って来ました。(誕生日でもないのに、、、)
和栗モンブランです。
あったかいコーヒーを飲みながら甘い物を食べ、こたつで丸くなって読書三昧。
贅沢なことです。

不思議なもので、気持ちが萎えている時はホラー小説みたいにとんでもなく現実から逃避したジャンルは、反って心に優しい(?)のです。
ベタな恋愛小説で他人のハッピーエンドに胸を熱くさせるような年齢でもないし、かと言って、社会派ノンフィクションなどはこの年の瀬に読む気にはなれないし、、、(孤独死を扱ったものとか)
そんなわけで、倉橋由美子の『老人のための残酷童話』を読んでみました。

この作家の作風は、どこまでも渇いた感じです。
どれほどの濡れ場であっても、そこに男と女という物体が存在しているに過ぎず、感情の吐露みたいなものは皆無なのです。
「恋」とか「愛」という文字が、感情を伴わず、単に文字として存在しているような、まぁそういう感覚で読むと、本来の倉橋作品の醍醐味を味わえるのではと思います。

『残酷童話』は短編集となっているのですが、どれもものすごく残酷でした。
中でも「老いらくの恋」は衝撃的で、夢にまで出そうでした。(笑)
端的に言ってしまえば、偉いお坊さん(80歳)と盲目の少女との恋のお話です。
偉いお坊さんのやることなすことは、これこそが仏の道に仕える者の正しき姿なのかと錯覚してしまいます。
でも、よくよく読んでみると「あれ?」と首をかしげてしまう箇所がいくつも出て来ます。
それも仕方がありません。
この作品はあくまで童話なのですから。

この80歳の偉いお坊さんは、弟子の僧の一人が病に伏していると、そこへ盲目の少女も連れて行きます。
驚くのはその場へ少女を寝かせ、股を開かせて、病人である弟子にその秘所を拝ませてやるのです!
ちょっとこのあたりになると、『老人のための童話』というより『大人のための』と言い換えた方が良さそうです。
本来ならこういうシーンはもっとエロティックに描かれるべきところなのでしょうが、倉橋由美子の筆致はまるでそれを忘れてしまったかのように、淡々としていて、むしろドキュメンタリータッチ(?)なのです。

倉橋作品は、読み手によっては嫌悪感をもよおす方もおられるでしょうから、後味の悪さを気にされる方にはあまりおすすめできません。
とはいえ、ハマるとやめられなくなりそうな作品が多いのも事実です。
ちょっとでも興味を持たれた方は、ものは試しで、こちらの『老人のための残酷童話』あたりを手に取られたらいかがでしょうか?

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2014年11月11日 (火)

疲れた社員たち

一週間ぐらい前からココログのコメント欄に書き込みをするのが困難になっています。
管理者の私がコメントを書くことができないって、一体どうして?!
近日中にサポートセンターに電話して相談してみようと思っているのですが、昨日電話してみたところ、なかなかつながらないのですよ、、、(涙)
5~10分ぐらいなら待ってみるのですが、それ以上となるとさすがに面倒くさくなってしまい、結局つながらないまま電話を切ってしまいました。

こちらのブログに度々コメントを寄せていただいている松枝さん、本当にごめんなさいね!
せっかくお返事を書こうと思ってもコメント欄に書いた文章がぜ~んぜん反映されずに消えてしまうんですよ、、、(涙)
丹羽文雄の小説に興味を持っていただいたようで、大変うれしいです!
勝目梓の『小説家』も私小説なのですが、なかなかですよ(^_-)-☆
この二人、松枝さんのおっしゃるとおり共通性があるかもしれませんね!

さて、最近どうも疲れが溜まっています。
仕事は肉体労働ではないのですが、メンタル面で疲弊してしまい、自分の気力を真っ直ぐに保っておくのがおっくうです。
生きていれば様々な問題に直面するのは当然のことながら、ふだんならさして気にしないことでも、積み重なって来ると堪えます。

そんな中、タイトルを見て思わず購入してしまいました。
『疲れた社員たち』という短篇集です。
著者は眉村卓で、もともとSF作家としてデビューを果たしています。
代表作に『ねらわれた学園』などがあり、もう30年以上も前に映画化され、話題にもなりました。
阪大の経済学文を卒業しており、作家になる前は長らくサラリーマン生活を送っていたようです。

『疲れた社員たち』は、8作品のショートショートがおさめられていて、どれもサラリーマンを描いたものなのです。
不思議な作品ばかりで、背中がゾクゾクするようなラストが多いのですが、私は大好きです。

中でもとくに気に入ったのが、『ふさわしい職業』です。
この作品は近い将来、必ずや起こり得る状況のような気がして、読後は妙な焦燥感に襲われました。
あらすじは次のとおり。

50歳を過ぎた瀬木は、体調不良のため病院の診察を受けた。
精密検査の必要があると言われ、大学病院への紹介状を書いてもらった。
大学時代の友人が勤務する病院に出向き検査を受けると、悪い想像が当たり、かなり状態が良くないようだった。
手術を勧める友人だが、おかしなことをつけ加えた。
「手術には全力をつくすが、仮に結果が良くなかった場合、未来の医学に任せるための処置を許してほしい」とのこと。
つまり、現代の医学ではどうすることもできなくとも、未来の医学ならば病気を治せるかもしれないというのだ。
その場合、瀬木の身体を低温で保存し、未来の医学に委ねるというものであった。
結局、瀬木は友人の説得に応じ、書類にサインした。
そしてその後、瀬木は目覚めた。
だが現代ではなかった。
瀬木にとってはなんと、50年後の近未来の世界で目覚めたのである。

この作品を読んでいてヒヤリとしたのは、せっかく50年後に生き返った瀬木が未来の人間に、「あなたの使い道がないか、考えている」と言われてしまうシーンです。
思考が50年前のままの瀬木にとって、近未来は何もかもが未知の世界なので、どうやって生きていけば良いのかも分からない。
もしもその世界で役に立たず、不要な人物だと認定されてしまうと、再び生命停止の状態にさせられてしまうというのです。
つまり、殺されるわけではないのですが、社会に不要な存在ならば、その人間が必要な状況が来るまで眠らされてしまうというものなのです。
ある意味、究極の合理主義ではありますが、とても恐怖です。

『ふさわしい職業』は、近未来小説でありながら、一方で現代社会を風刺した作品のようでもあります。
わずかな時間で読了できることもあるので、お昼休憩やアフター5のひと時にお勧めです。

『疲れた社員たち』眉村卓・著

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2014年11月 7日 (金)

コメントのお返事

松枝さん、コメントありがとうございます!

ただいま、管理画面からコメントを書き込みできなくなっておりまして、原因不明なのです。

記事を書く欄にお返事を書きますが、大変申し訳ありません<m(__)m>

そうそう、私も松枝さんと右に同じで、高校時代に戻りたいとは思いませんよ。
不思議なもので、懐かしい気持ちはあるのですが、戻りたいという気持ちとはちょっと違うみたいです。
順風満帆とはいかないでしょうが、それでもこれからが青春だという気持ちでがんばりたいものです(*^-^)

いつも書き込みをありがとうございますo(*^▽^*)o

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2014年11月 4日 (火)

ごめんね青春

私が静岡県東部地区から西部地区に引っ越したのは平成10年のことなので、故郷を離れてすでに16年も経つことになります。
私が生まれたのは三島の病院で、高校も三島にある公立高校を卒業しており、“三島”と聞くと、何とも言えない郷愁を感じるのです。

テレビの番宣で、三島を舞台にしたドラマが始まることを知り、ちょっと興味を持ちました。
先月から始まったTBS系日曜劇場『ごめんね青春』は、夜の9時から放送されているのですが、いや本当におもしろい!
宮藤官九郎が脚本を手掛けているので、まずハズレはないだろうなーと思いつつも、期待以上のコメディ・ドラマで、毎週日曜日の夜が楽しみでなりません。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言ったものですが、三島を離れた今、テレビの画面を通して三島の街並や、母校の正門、校庭などが映し出されるのを見ると、思わず懐かしさに胸が熱くなるのです。

ドラマでは、駒形大学付属三島高校という禅宗系の男子高校として登場するのですが、実際のあの場所には公立校が存在します。
もともとは女子高でしたが、現在は男女共学となりました。
そう、私の母校なのです。
あの門を3年間毎日くぐっていた記憶が、昨日のことのように思い出されます。
親友のK美さんも同校の卒業生なので、おせっかいの私はすぐにメールすると、彼女も『ごめんね青春』を見てくれて、「わーなつかしいー!」という返信がソッコーでかえって来ました。
彼女も今は故郷を離れ、大阪に住んでいるため、それはもう懐かしさでいっぱいになったようです。

ロケにも使用された源兵衛川沿いの散歩道は、以前から市民の憩いの場となっており、白滝公園もまた、私やK美さんがブラブラと歩き回った場所で、何てことはないところなのです。
それなのに一歩そこから離れてみると、とても貴重で大切な記憶の断片となっていることに、改めて気づかされるのです。

「久しぶりに三島へ行ってみたいねー」
と、K美さんがメールをよこしたのですが、私も同感。
伊豆箱根鉄道駿豆線(通称:いずっぱこ)に乗ってブラリと三島まで出かける、という気軽な距離ではなくなってしまいましたが、それだけに魅力のある土地なのです。

ドラマに度々登場する“みしまコロッケ”なるものは、おそらく町おこしのために近年になって売り出されたものだと思われます。
なので、私やK美さんなど25年以上も前に青春を謳歌した世代には、残念ながらピンと来ません。

『ごめんね青春』では、私立の女子高と男子高が、少子化の煽りを受けた経営難からの脱却のために、両校が合併しようとする物語です。
偶然にも、私の母校は女子高で、古くは女学校として伝統のある学校だったのですが、何年か前から男女共学となりました。
これも時代の流れなので、仕方がありません。

今思えば、高校3年間は決して明るくはなく、心から楽しかった思い出などというものはありませんでしたが、何十年も経って、ただ一言、「なつかしい」と思える気持ちがふわりと湧き起ったら、それが青春なのではないかと思うわけです。
映画や小説の中で描かれている華やかで輝かしい青春は、ごくごく少数派の体験するものであり、その他大勢はおそらく“灰色の青春”というのが現実なのではないでしょうか?

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2014年11月 1日 (土)

悔いの色

ドロドロとした男と女の情愛をめぐるドラマは、テレビや小説の中のお話ではないのです。
“事実は小説よりも奇なり”とは言ったもので、一昔前の金妻ドラマなんか比較にもなり得ない出来事が起こり得るものなのです。

私はもともと著名人のゴシップ記事やスキャンダラスな話題が大好きで、ヘタな恋愛小説を読むよりも私小説の方に触手が動く方です。
最近読了したのは、丹羽文雄の短篇集なのですが、いやこれがまたものすごくリアルに強烈なのです。
著者自身がはっきりと言っているのですが、

「私の小説は、どんなものでも必ず何かしらモデルがある。私にはよくよく夢物語は書けない。私は事実を重視する」

とのことで、それはもう臨場感あふれる具体的な小説に完成されています。
中でも『悔いの色』には驚愕しました!
この短編の冒頭は、著者の姪がすぐ近所のアパートに一人で住んでいて、そこに深夜、男が訪ねて来るのを偶然にも目撃してしまうところから回想が始まります。
回想の内容は次のとおり。

「私」がまだ大学生のころ、実家(浄土真宗の寺院)で休暇を過ごしていた。
義母は、住職である父にとっての後妻であり、「私」にとっては継母である。
父は夜になると、檀家の一人暮らしの未亡人にお茶を教えていた。おっとりした美人である。
父が未亡人にお茶を教えているのは知っていたが、「私」はそのことに何の関心もなかった。
その時、ふと見た義母の青ざめた表情は見るに忍びなかった。未亡人の来る晩だった。
ある時、「私」は勉強室を出て、父の居間(灯のともらない御内仏の間)のそばを通りかかると、畳の上で衣擦れの音を聞いた。
衣擦れはしだいに烈しくなり、人間のうめき声のようなものが聞こえて来た。
衣擦れの音が止むと、父の声がした。
相手は、未亡人だった。
「私」は前後の事情を推測した。

「私」というのは著者である丹羽文雄ですが、この時、父親と未亡人が同衾の際中、義母も同じ屋根の下にいたと言うのだから強烈です。
本堂では法要の後の食事会が催されていて、人の出入りもあります。
そういう中での情事だからたらまない。
しかも父親は、仮にも僧侶の身なのですから!
むろん、義母は夫のあさましい行為に気付いており、ふつふつと煮えたぎる怒りと嫉妬に狂いそうだったに違いありません。

結局、著者は父のおぞましい行為に羞恥と狼狽を覚えながらも、その事実を小説として発表し、同時に実家の寺から飛び出してしまいます。
人間のやることに完璧なことなどないと分かっていながらも、その「業」とか「煩悩」を真正面から見据えた著者の、冷静で客観的な考察には驚かされてしまいます。

この短編には秘密の宝庫のように人間の恥部が凝縮されており、痛みさえ伴うのです。
この大人の文学は、若い人にはちょっと受け入れにくいと思いますが、私と同世代か、あるいはそれ以上の方々には何とも言えない余韻を残すものではないでしょうか。
講談社文芸文庫シリーズに入っていますが、文庫本のわりに価格が高めなので、私は図書館から借りました。
でも今、この一冊を購入したい気持ちにとり憑かれているのです、、、

『鮎/母の日/妻』丹羽文雄短篇集  丹羽文雄・著

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