悔いの色
ドロドロとした男と女の情愛をめぐるドラマは、テレビや小説の中のお話ではないのです。
“事実は小説よりも奇なり”とは言ったもので、一昔前の金妻ドラマなんか比較にもなり得ない出来事が起こり得るものなのです。
私はもともと著名人のゴシップ記事やスキャンダラスな話題が大好きで、ヘタな恋愛小説を読むよりも私小説の方に触手が動く方です。
最近読了したのは、丹羽文雄の短篇集なのですが、いやこれがまたものすごくリアルに強烈なのです。
著者自身がはっきりと言っているのですが、
「私の小説は、どんなものでも必ず何かしらモデルがある。私にはよくよく夢物語は書けない。私は事実を重視する」
とのことで、それはもう臨場感あふれる具体的な小説に完成されています。
中でも『悔いの色』には驚愕しました!
この短編の冒頭は、著者の姪がすぐ近所のアパートに一人で住んでいて、そこに深夜、男が訪ねて来るのを偶然にも目撃してしまうところから回想が始まります。
回想の内容は次のとおり。
「私」がまだ大学生のころ、実家(浄土真宗の寺院)で休暇を過ごしていた。
義母は、住職である父にとっての後妻であり、「私」にとっては継母である。
父は夜になると、檀家の一人暮らしの未亡人にお茶を教えていた。おっとりした美人である。
父が未亡人にお茶を教えているのは知っていたが、「私」はそのことに何の関心もなかった。
その時、ふと見た義母の青ざめた表情は見るに忍びなかった。未亡人の来る晩だった。
ある時、「私」は勉強室を出て、父の居間(灯のともらない御内仏の間)のそばを通りかかると、畳の上で衣擦れの音を聞いた。
衣擦れはしだいに烈しくなり、人間のうめき声のようなものが聞こえて来た。
衣擦れの音が止むと、父の声がした。
相手は、未亡人だった。
「私」は前後の事情を推測した。
「私」というのは著者である丹羽文雄ですが、この時、父親と未亡人が同衾の際中、義母も同じ屋根の下にいたと言うのだから強烈です。
本堂では法要の後の食事会が催されていて、人の出入りもあります。
そういう中での情事だからたらまない。
しかも父親は、仮にも僧侶の身なのですから!
むろん、義母は夫のあさましい行為に気付いており、ふつふつと煮えたぎる怒りと嫉妬に狂いそうだったに違いありません。
結局、著者は父のおぞましい行為に羞恥と狼狽を覚えながらも、その事実を小説として発表し、同時に実家の寺から飛び出してしまいます。
人間のやることに完璧なことなどないと分かっていながらも、その「業」とか「煩悩」を真正面から見据えた著者の、冷静で客観的な考察には驚かされてしまいます。
この短編には秘密の宝庫のように人間の恥部が凝縮されており、痛みさえ伴うのです。
この大人の文学は、若い人にはちょっと受け入れにくいと思いますが、私と同世代か、あるいはそれ以上の方々には何とも言えない余韻を残すものではないでしょうか。
講談社文芸文庫シリーズに入っていますが、文庫本のわりに価格が高めなので、私は図書館から借りました。
でも今、この一冊を購入したい気持ちにとり憑かれているのです、、、
『鮎/母の日/妻』丹羽文雄短篇集 丹羽文雄・著
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