2009年3月 1日 (日)

へっつい幽霊。

最近はブログの更新もすっかりご無沙汰しています。
すでにカレンダーは3月。
いよいよ花粉シーズンの到来です。

週末の天気は何やら微妙でした。
朝からどんより雲って今にも降り出しそう・・・でも降らない。
これからちょっと外出しなくてはならない用事があるのに、傘を持って行くべきか否か?
こういう時に限って天気予報を見忘れてしまった。
さてこんな時、皆さんならどうしますか?
とりあえず、折り畳みの傘をバッグにしのばせて外出、あるいは傘など持たずに、出先で万一降られたらコンビニでビニール傘を購入して難を逃れる・・・?
いずれにしても人生とは、丁か半かの博打なのかもしれません。

そんな中、日ごろからお世話になりっぱなしのSさんから柳家小さん師匠の「へっつい幽霊」のCDをいただきました。
ここで申し上げておきたいのは、このCDはあくまでいただいたものであり、お借りしたものではありません、はい。
なので特に返却を求められる言われもないのですが、Sさんとのこれまでのやりとりからして、貸した・あげたに関係なく、とにかく一刻も早く聴いて感想を言わなければならないという強迫観念があるのです。
その証拠に、毎回電話のある度に、

「ねぇ、聴いてくれたぁ? えっ、まだ!? ・・・そっかぁ、やっぱりねぇ。人はみんなそうなんだよ。興味がないものには動かされないんだよねぇ。」

申し訳ございません! 実は明日にでも聴こうと思って・・・。

「いいの、いいの。それだけ『聴いて欲しい』って言うこちら側の情熱が足りなかったってことなんだから。だってさ、もし土下座して『お願いだから聴いてちょうだい』って言われたら、否が応でも聴くでしょ? ・・・つまり、相手を動かすだけの情熱が足りなかったってことなんだよ・・・(ため息混じり)。」

私はもう、この絶望的で悲愴感の溢れる静かな口調に肝を冷やし、取るものもとりあえず「へっつい幽霊」を聴きました。(汗)

「へっつい幽霊」は、もともと上方落語の演目だったようですが、後に江戸に渡ってすっかり定着します。
“へっつい”という言葉は、噺を聴けばその筋から何となく雰囲気で、お勝手で使われるものなんだろうなぁという予想はつきますが、これは「かまど」のことです。
要するに、かまどにとり憑いた幽霊の噺なのです。

古道具屋でいわく付きのへっついをタダでもらった男と、そのへっついにとり憑いた幽霊とのやりとりが本当におかしいのなんのって!(◎´∀`)ノ
両人とも無類の博打好きで、最後のオチもそれが伏線となってさげているので、実に粋な噺なのです。

やっぱり相手が熱心にオススメしてくれるものは、四の五の言わずに試してみるものですね。
本当におもしろくて、すでに3~4回も聴いてしまいました。
Sさん、どうもありがとう!!ヽ(´▽`)/

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2008年12月30日 (火)

時そば。

一年をしめくくるのは、やっぱり年越しそばですよ。
大晦日の晩、除夜の鐘の音を聞きながらすするおそばの味は格別なのです。
できればお汁は熱くてふぅーふぅーするぐらいが粋でしょう。
サクサクの桜えびのかき揚がのっていたら、もう否が応なしに満点です。

そんな私は部屋の窓拭きをしながら「時そば」を聴きました。
やっぱり古典落語は安心して聴いていられるし、実におもしろい!
おかげでちっともお掃除がはかどらず、参りました。(汗)
5代目柳家小さんの十八番でもある「時そば」は、正に芸術ですね!
おそばをすするところなんか、本当に食べているようなリアルさが伝わってくるのです。
おそばをすすり、お汁を飲み、ちくわなどを頬張って舌鼓を打つシーンなど、ありありとイメージが膨らむのですよ。
内容はこんな感じです。

男がそば屋の屋台を呼び止め、あったかいそばを注文する。
そばが出来上がるまでのわずかな時間に、店の行灯や割り箸を褒めちぎる。
さらには容器、麺の細さ、ちくわの厚みを褒めちぎるのだった。
食べ終わるとそば代16文を支払うのだが、細かい銭だからと言って「ひい、ふう、みい・・・」と数えながら店主に手渡ししていく。
そして「いつ、むう、なな、やあ」と数えたところで、「今、なんどきだい?」と店主に尋ねることで(ここで店主は「ここのつです」と答える。)代金の一文をごまかすのだ。

この落語の解釈は噺家によってずい分と違うようですが、私としては、やっぱり小さん師匠のようにおそばを美味しそうに食べてみせるのがこの噺の醍醐味のような気がします。
「時そば」を聴くと、矢も盾もたまらずあったかいおそばを食べたくなるのですから不思議です。
大晦日の晩は、皆さんも感謝の気持ちと末永い繁栄をお祈りしながら、ぜひともあつあつの年越しそばを召し上がって下さいね。

今年もさんとう花のつたない記事にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

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2008年12月22日 (月)

粗忽長屋。

「ねぇ、落語聴いてくれたぁ?」
映画のDVDとともに落語のCDが宅急便で届いて、わずか2時間あまり。
電話でSさんの矢のような催促が始まったのです。
「えっ? まだ聴いてないのぅ? 聴いてよん。せっかく送ってあげたんだからぁ。」
ええ、ええ聴きますとも。何を置いてもまずは落語のCDを聴きましょう・・・。
だけどその時の私は千趣会のカタログをめくったり、キットカットや柿の種をつまんだり、足の爪を切ったり、とにかく忙しかったのですよ。
そんな雑用をあれこれこなしているうちに、ついぞ落語を聴くのを忘れてしまったのです。

それからさらに2時間後、再び電話が・・・。
「ねぇ、聴いてくれたぁ? えっ!? まだ? もう、いいよーだ。やっぱりさんとう花は自分・自分・自分なんだよ!」
つまり、Sさんの胸の内を要約するとこうだ。

『忙しい最中CDやいてあげたっていうのに、さんとう花は相手の心遣いを無にする薄情者なんだ! さんとう花はいつだって自分本位で自己愛主義者なんだ! あーあ、送ってなんかやるんじゃなかった・・・。』

その心の声を聞いた私は、先日のりんごのこともあるし、毎回貸していただいているDVDのこともあるし、とにかく忘れないうちに落語を聴いて感想の一つも言わなくちゃと思ったわけなのです。
そそっかしい私は、やいやい催促されていながらも忘れてしまうのですから、もう打つ手がありません。
いつのまにかSさんが電話口で落語のことを話さなくなった今、柳家小さんの「粗忽長屋」を聴きました。

そそっかしい男が浅草観音のお参りに来たところ、何やら人だかりができている。
興味本意でのぞいてみると、“いきだおれ”の身元を尋ねている。
男は“いきだおれ”の意味なんて知らないから、そこに横たわる人が死んでいるなどとはつゆ思わない。
“いきだおれ”の顔をよくよく見ると、なんだか長屋の隣りに住んでいる兄弟同然に育った熊に似ているではないか。

やっぱり人間国宝のことだけはあります。
5代目柳家小さんの話術はずば抜けてますよ。
私が特に気に入っているくだりは、男がいきだおれの知り合いかもしれないとわかると、「仏さんを引き取ってもらえないか?」と聞かれ、それに対し男が、「でもねぇ、これだけの人だかりだから中には『あの野郎うめぇこと言って(いきだおれを)持っていっちまった』なんて、あとで痛くもない腹をさぐられるのはイヤだからさぁ」と応えるのだが、実におもしろい!
“いきだおれ”の意味がわからずに話がここまで発展し、おもしろおかしく奇妙なオチへとつながっていくこのプロセスが、実にナンセンスで愉快なのです。
正に、柳家小さんの噺っぷりは“芸術”ですね。
今度は同じ小さんの「時蕎麦」を聴こうと思います。

遅ればせながらSさん、どうもありがとう。
そして、粗忽者のさんとう花をお許し下さい。

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2007年8月 9日 (木)

帯久。

仕事が休みの日は、前の晩からまったりモードなのです。緊張感から解き放たれる中、空に浮かぶ雲がゆっくりと風に流されてゆくのを眺めたりします。

幼い頃、すぐには寝付けない私の傍らで、父が何か即興で作ったお話を聞かせてくれました。それは、週に一度とか二度という頻度ではなく、毎晩なのです。絵本の読み聞かせなどではありません。原作 兼 演出 兼 語り 全て父のプロデュース(?)なのです。
今となっては一体どんな話を聞かせてくれたのかは、断片的なことぐらいしか覚えていません。それは例えば、主人公のマチコさんという小学生の女の子なのですが、家が貧乏のせいで身なりも粗末で容姿もさほどでないからクラスの皆からバカにされているのです。でもマチコさんはどんな辛いめにあっても一生懸命がんばります。そうは言っても勉強も運動も苦手で、成績はいつもクラスで最下位。けれどマチコさんは歌だけは抜きん出て上手く、聴く人皆に感動を与えてくれるのでした。
その「マチコさん物語」をどんな思いで私にお話してくれたのかは、今の私なら泣きたくなってしまうぐらい理解できます。父は昔の人だったので、多くは語らず、「どんなに愚鈍な者でも何か一つとりえがあれば、それでいいんだよ」と言いたかったに違いありません。

私は米朝師匠の帯久(おびきゅう)を聴きました。
この演目は、お腹の底からゲラゲラ笑うというものではなく、じっくりと耳を傾けずにはいられない、いわば貫禄さえ感じられる噺なのです。

町で評判の良い大繁盛の呉服屋を営む和泉屋与兵衛のところに、同じく呉服屋を営む帯屋久七が金の用立てを頼みに来る。しかし久七はどこか一癖ある男で、評判も良くない。しかし人の好い律儀な与兵衛は、無利子無証文で金を貸す。
その貸し借りが何度か続いて、今度は百両貸して欲しいと久七。与兵衛は二つ返事で百両を渡す。
年の瀬になってようやく百両を返しに来たところ、与兵衛はバタバタと忙しくしている。久七が持って来た百両をしっかりと仕舞いさえすれば事は大きくならずに済んだのだが、与兵衛は忙しさに紛れて久七の百両をそのまま置きっ放しにしてしまい、部屋を出てしまった。
後に残された久七と目の前の百両。久七は、自分が返済のため持って来た百両をそのまま懐へ入れてそそくさと帰ってしまう。
後から与兵衛はその百両がないことに慌てるが、「さては」と思いつき、しかし自分が大金をほったらかしたまま部屋を出たことがまずかったと反省し、あきらめてしまう。
ところが年が変わると与兵衛の一人娘がはしかで亡くなり、看病疲れ泣き疲れでその母親も亡くなり、たて続けに二度も葬式を出す。さらに番頭が女に狂って得意先の金をかき集めて逐電してしまう。あげくの果ては火事に遭ってしまう。
一方、久七の方はと言えば、返すための百両がまた自分の懐へ戻って来たのでその金で町中へとチラシ広告を配り、一月いっぱい「お買い上げの方どなたにも粗品進呈」といううたい文句で初売りセールをやってみた。これが爆発的に当たった。
両者立場の逆転してしまった与兵衛と久七だが、乞食同然の与兵衛が頭を下げて久七に金の用立てを頼んだところ、久七は鼻で笑って相手にせず、あげくは与兵衛の顔面を傷つけて表へと放り出してしまう。

この演目はとても長く、どんなに短縮しても三十分はかかるとのことです。なぜならどのシーンもカットすることのできない意味合いがあり、重厚感があるからです。自暴自棄となって与兵衛が久七の店の裏手に火を付けるところから、お白州にて名奉行のお裁きを受けるくだりは、もう何と言うかテレビの時代劇を圧倒的に超越した臨場感があります。
私はこの演目をすでに何度か聞いているのですが、その度に父が寝物語に聞かせてくれた「マチコさん物語」を思い出し、真面目にコツコツと暮らしていくことの大切さを知るのです。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。
それが人生、これが人生なのです。

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2007年8月 5日 (日)

たちぎれ線香。

うだるような暑さの中、何をする気にもなれず、血気盛んなセミの鳴き声を耳にしながらぼんやりとしていました。
網戸の向こうに見える車道は、この暑さに閉口したように車一台通る気配はなく、アスファルトに照り返す地表の熱気だけが無言のままゆらゆらと漂うのでした。

うら盆が近づくと、どこもかしこも寂寥とした雰囲気に包まれ、アパートやマンションの住人たちはその間姿を消します。中には海外旅行などに出かけて羽を伸ばす方もおられるでしょうが、ほとんどは田舎のご実家に帰省され、つかの間の休息と団欒を楽しむのでしょう。
ふだんはめったに会うこともない親類縁者等が集まり、お仏壇を囲んで近況など語り合うのでしょうか。冷えたビールをゴクリと飲んでは塩味の効いた枝豆をつまみ、子供の進学先を自慢し合い、同級生の死を悼み、興が乗って来ると年金問題について何たるかを論じるのです。
茹でたとうもろこしや冷麦、それからウナギの蒲焼などがズラリと並べられた食卓は、なんと華やかで彩りがあって、それでいて庶民的なのでしょう。
でもこの先、私がそういう一場の流れに身を置くことはありません。両親はもちろん、祖父母もいない私に田舎はなく、帰る家はここしかないのです。
そんな私の唯一の慰めは今のところ落語。例によって米朝師匠の「たちぎれ線香」をDVDで観ました。

船場の一流商家の若旦那が、御茶屋の娘芸者、小糸に一目惚れ。若旦那は毎日御茶屋通いを始め、浪費を重ねる。見かねた親類は親族会議を開いて若旦那をいかに更正させるかを話し合う。結局、策士である番頭の意見が通り、若旦那は百日間、蔵の中へ入って一歩も外へ出られないという生活を強いられる。
その間、色町からは小糸の恋文を手にした者が何度となく商家を訪れ、若旦那にその手紙を渡して欲しいと頼み込む。けれど代わりに受け取った番頭はその手紙を引き出しの中へしまって鍵をかけておく。毎日小糸からの手紙は届けられたが、百日の間、その手紙は若旦那の手元に渡ることはなかった。
百日間、蔵の中での修行が済み、晴れて若旦那は娑婆の空気を吸うことになったが、そこで初めて番頭から小糸の度重なる手紙の件を聞くことになる。
若旦那はいてもたってもいられず色町へと再び足を延ばし、一目散で小糸を見舞う。
しかし、若旦那が目にしたのは小糸の俗名の刻まれた白木の位牌だった。

いつかマルチタレントのみうらじゅんが、桂米朝師匠のことを大絶賛した手記を読んだ記憶があるのですが、その意味がやっと理解できました。
これは一つのドラマなのです。噺家の間の取り方、徐にキセルを取り出して一服吸うところ、色町の芸妓たちが交わす「はんなり」とした会話。最後に三味線の手が入り、伴奏にしてセリフが入るという演出。これぞ上方落語を代表する大演目ではあります。
あまりにも格調が高く、単なる落語というにはもったいないほどで、そこに芸術という檜舞台を見たような気がしました。
私はこの凝縮された人間社会の本質と、そこに繰り広げられる鮮やかで粋なストーリーに脱帽なのです。

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2007年7月28日 (土)

貧乏花見。

生きることに貪欲であることは、ある意味、格好が悪いような錯覚にとらわれがちです。
がつがつとした生活。時間に追われて暮れる日々。漠然とした焦燥感。誰もが抱えている苦悩で、人間たる所以でもあります。
季節はずれで恐縮ですが、お花見という娯楽はそんな世知辛い人間社会をつかの間、優雅で風流な空間に演出してくれる格調高い(?)行事なのです。
しばらく前からはまっている五代目柳家小さん師匠の「長屋の花見」は、何度聞いてもおもしろくて思わず笑いがこぼれてくるのです。しかしこの演目はもともと上方の噺で、江戸に輸出されたことで内容がだいぶ変わってしまいました。
私は米朝師匠の「貧乏花見」を聞きました。

長屋の愉快な住人たちは、朝方の雨のせいで仕事にも行けずぼやいている。そのうち晴れ間が見えたのに、今さら仕事に行く気もしないので住人の一人が、一つ花見にでも行こうと、長屋の連中を誘い出す。
花見には酒と旨い肴がつき物だが、貧乏長屋の住人にはそんな大そうなものは用意できない。仕方がないので皆は酒の代わりにお茶を、かまぼこの代わりに釜底のおこげを、鯛のお頭付きの代わりに雑魚のお頭付き、卵焼きの代わりにたくあんという代物で花見に出掛ける。
周囲が賑やかに花見を楽しんでいる中、長屋の住人たちはお茶では酔えないしつまらないから何か良い方法はないものかと一計を練る。そこで住人の二人組みが、豪華な酒宴を催している連中の側で、わざと酔っ払ったふりして喧嘩を始め、巻き込まれては迷惑だとばかりにその団体が逃げた隙をねらって酒からお重までごっそりとくすねてしまう。

江戸落語では、長屋の大家さんが「さあ今日は花見に行こう」と音頭を取るところから始まるのですが、上方落語では長屋の住人たち自身が「一つ花見にでも行こう」という具合で始まります。
江戸落語があくまで見栄と体裁にこだわることで笑いを追求しているのに対し、上方のそれは貧乏を笑い飛ばす開き直りのたくましさが垣間見られます。そして貧乏なら貧乏なりのしたたかな生き方があるのだと、半ば本来あるべき人間の姿を鏡のように映し出してくれるのです。
私個人としては、小さん師匠の「長屋の花見」がお気に入りなので、上方のそれは落語の「比較文化」という感覚で楽しませてもらったわけです。
けれど「生きる」ということと「貧乏」であるということをここまで明るく、てらいなく、リアリズムに追求しているのは正統派上方落語以外その類を見ません。
そして米朝師匠は、その東西大きく異なる特色に渾身の話術で皆を笑いの渦へと巻き込むのです。
落語とは、なんと奥の深い伝統であり芸能なのでしょうか。

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崇徳院。

いつだったか、おそらく数年前のことだと記憶しているのですが、当時何かつまらない悩み事を抱えていました。いつも忘れた頃に音沙汰のある友人から電話がかかって来たので、ここぞとばかりに胸の内にくすぶる悩み事を洗いざらい話してみました。するとその友人(関西在住)は、私が話し終わるのを待たずに一言、
「あんたの話はまるで見えん。」
と、私の心の傷口をさらに抉るような言葉で返して来たのです。私としては慰めの一つも言って欲しかったのに、その期待は見事に裏切られたわけです。
さんざん私の話し方についてダメだしをした後、
「落語はええで。特に桂米朝師匠は絶対聞かな。見える話の真髄やで。」
と、上方落語を聞くことを強く勧められました。
その後、何の因果か半年ほど前、別の友人が江戸落語のベストセレクションと言っても過言ではないCDを録音してくれて、毎晩一席ずつ拝聴する機会を設けてくれたのでした。
私のお気に入りは、五代目柳家小さん師匠の「長屋の花見」、六代目三遊亭円生師匠の「小言幸兵衛」、五代目古今亭志ん生師匠の「おせつ徳三郎」等です。
それらについて思うこと考えること等の感想や簡単なあらすじを紹介したいのは山々なのですが、一身上の都合で割愛させていただきます。
今回は、いつか勧めてくれた米朝師匠の一席、「崇徳院」をDVDで観る機会を得たのでそれを少しだけ紹介します。

ある時、御本家に呼ばれた熊五郎は、若旦那が明日をも知れぬ病気であることを知る。しかしその病気と言うのは、さる名医に寄れば「気の病」であると。若旦那がひそかに胸の内に抱えている悩み事を解決せねばどうにもならないと。そこで若旦那とはウマの合う気心のしれた熊五郎が病床の若旦那を見舞うことになる。
若旦那は熊五郎に、実は自分は恋わずらいであることを打ち明ける。どこのどなたとも分からぬ娘にのぼせてしまい、ただ頼りになるのは茶店で娘がサラサラと書いてよこした崇徳院の歌で、「瀬を早み岩にせかるる滝川の」という上の句だけ。下の句である「割れても末に逢はんとぞ思ふ」が書いてないところを見ると、「今日は本意なきお別れをするけれども、後でまたお会いできますように」との意味ではないかと一縷の願望を抱く。
若旦那の真意を知ると、熊五郎はその旨を御本家に報告。すると御本家は熊五郎に借金棒引きの上いくらかの謝礼を渡すから、その娘を探し出して欲しいと依頼する。

この演目は30分間とわりと長い語りになっているのですが、米朝師匠の客を飽きさせない朗々とした話しっぷりや、細かなしぐさ、勢いの中にあるわずかな「間」がたまらなく素晴らしい!!
話が本題に入ってサラリと羽織を脱ぐ瞬間の格好良さと言ったらありません。
思わず惹き込まれて行くのです。その世界に。そこに若旦那と熊五郎が見えて来るのです。
今さらながら「見える話」の意がわかりました。
あれからだいぶ疎遠になってしまった友人ですが、もしもまた話す機会があったら「見える話うんぬんについてのご指摘ありがとう」と、皮肉抜きで感謝したいです。
ただし、「見える話」について理解は出来ても実行出来るかどうかは今後の私の努力しだいなのです(笑)

※三代目桂米朝は、上方落語の四天王の一人です。兵庫県姫路市出身。平成8年に人間国宝に認定されています。

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